雛唄、 | ナノ

30


 嬉しいこと、悲しいこと、楽しい日々、憂鬱な日々。それらを何度も何度も飽きることなく繰り返し、一喜一憂を繰り返し、幸せにも悲しみにも足を取られぬよう手探りで生きていく。

 きっとどこにいても。誰といても。



「上り、下り、き」



 一難去って、また一難という諺はこういう時に使うのかもしれなかった。

 小松田くんと共に拙いながらも事務の仕事をどうにか出来るようになってきた、事務室に足を運んでから五日目の午後。まだそんなに上手くも筆で字も書けないし内容も全然理解出来ていないけれど、徐々に仕事というものが楽しくなってきて、小松田くんともある程度自然に話せるようになってきた今日。

「小松田くん、お茶菓子どこー?」
「えーっと、確かそこの棚の左からー……二番目!」
「……ん、あった」
「お茶も沸いたし休憩しましょーう!」

 小松田くんにも小松田くんの仕事があるし、私にも食堂のお手伝いや自分の着物の洗濯や任された掃除などがあるから、午後の大体一時過ぎくらいから夕方四時くらいまでを目途に事務室に入り浸っている。小松田くんのゆるりとした雰囲気がとても癒しで、ここは私にとって正に憩いの場所となりつつあった。事務のおばちゃんやおじさんも、優しい。
 事務室にあるお菓子は素朴ながらも美味しくて、この仕事の合間の休憩時間が何よりの楽しみだったりする。

(だって、お金ないし)

 お金がないということは、お菓子どころか何も買えない。お金がなくても衣食住には困らないあたり、私は恵まれているのだと分かってはいるけれど。

(というか……)

 こちらに来てからというもの、二週間ほど前に学園を飛び出すという暴挙に出た以外にこの学園内から出たことはない。形容するならば、私は鳥で、この学園は鳥籠のようなものなのだ。まあ、そもそもこの学園自体が無駄に広いから外に出ても出なくても大した変わりはないようにも思えなくもない。そんなこんなで、もやもやと考えつつ一服していれば聞こえてきた声があった。

「雛さんっ、雛さんいますか!?」

 その切羽詰まったような声に少し嫌な予感がした。声の方を見れば、くの一教室の生徒である、ユキちゃん、トモミちゃん、おシゲちゃんの三人が駆けてきた。

「雛さん……!」

 この時の私は、彼女たちが持ってきてくれた情報が厄介なものであったと気付きはしなかった。


 ―――くのたまの上級生が帰ってきました。


 ***


「ユキ、トモミ、おシゲちゃーん!」

 数日ぶりに聞く声に振り向けば案の定私たちの先輩がいた。くの一教室全員で出掛けた実習から先に帰って来た私たちに続いて、今日くの一教室の生徒たちがこの学園に帰ってきたらしい。ざっと見た限り、私たちくの一教室のリーダーと呼べるあの方といつもあの方に付き添っている二人はまだ帰ってきていないみたいだったけれど。

「せ、せんぱ……帰ってくるのもう少し後って言ってませんでしたか?」
「何よぅ、その言い方。まるで私たちに帰ってこられると困る、みたいな言い方じゃない?」
「い、いえ……そんなわけないじゃないですかぁ……」
「そーう? それならいいんだけど。ていうか、あんたたち今日からまたどっか行くんじゃなかったの? 補習とか何とかって」

 先輩の言うことは最もで、私たち三人をはじめ同学年の皆は今日からまた一週間ほど遠出をしなければならない。帰って来たばかりと思われるかもしれないが、容赦ないことで有名なのが我らが山本シナ先生だった。

「あ、今から行くところなんです!」

 先輩たちがこんなに早く帰ってくるとは思わなかった。しかも、くの一教室をまとめているといっても過言ではないあの三人を除いた先輩たちが。上級生はもう二週間近く下級生とは別個にあっちで作法と色を学んで帰ってくるみたいなことを聞いていたから。

(雛さんが心配……)

 くのたまの上級生の中には、忍たまの上級生を好いている先輩だっていると聞く。くのたまの先輩は高飛車な人が多い、でもそれだけの実力も持っている。雛さんはいい人だろうし私たちは信じてる、彼女の話を、彼女のことを。

 だけど、先輩方は?

 忍たまの最上級生並に他人に警戒心を抱きやすいくのたまの上級生である先輩たちがそんなに簡単に彼女の話を信じるとは思えない。彼女を受け入れるとは思えない。それにここ数日、雛さんの様子を見るに、今日帰ってきた四年生の先輩たちが好いているという噂の忍たまの五年生と結構仲が良さそうに思えた。

 もしも先輩たちが嫉妬心を燃やしたりすれば何をするか分かったものじゃない。ただ、私たち三人がいれば彼女のことを少しは守れるかもしれない。少しは庇うことくらいできる。でも、今日から私たち三人はいない。四年生を抑えられる年長の先輩方、三人もいない。
 彼女の存在が知れるのは時間の問題だろうけれど、学園外に行く前に彼女のことについて色々弁解したって意味がないのは分かり切ったこと。私たちだってそうだけど、先輩方は自分の目で見たもの、聞いたことしか信じないのだから。……それよりも何よりも先に、四年生の先輩たちが彼女の話をちゃんと聞いてくれればいい。

「ど、どうしよう……雛さんのこと言ってみる?」
「止めましょうよ。先輩たちだって疲れてるだろうし……今言ったってそうって軽く流されて終わりだわ」
「そうでしゅね。どうしましょ……。とりあえず、雛しゃんにこのこと伝えましょ……!」

 彼女が先輩方に認められなきゃ結局は意味のないことだけど、とにかく私たちのいない間に彼女が怪我をしないようやれることはやってみることにした。彼女を庇う理由なんて説明できないけれど、でも、彼女が傷つくのは嫌だとそう思ったから。


 ***


「……くのたまの上級生ってそんなに怖いの?」
「さあ? くの一教室の子たちはやられたらやり返せ! がモットーらしいですよお。忍たまにやられたことは倍返しにして返すとかってぇ」

 気に留めておく程度にしようと思った。あの人に殴られたこと以上のことはきっとされないだろう。そう結論づけて、いつものように事務室を後にして食堂へと足を進め、彼らと出くわしたから少しばかり話をした。


 ――ただ、それだけだったのに。


「雛さん、先輩方は嫉妬深いですから先輩方が雛さんのことを認めるまでは、少なくとも先輩方が雛さんの話を聞いてくださるまではくれぐれも忍たまの上級生……特に五年生とは接触を避けてくださいね」


 そう言われていたのに。


 ***


 雛さんを見かけた。

 彼女は変わらず食堂の手伝いはしているものの、今は、以前のように表に出て注文を取ることをしていないから彼女と面と向かって会うのは少しだけ久しぶりだ。焔硝蔵の点検をし終えて、大体酉の中刻頃、おそらく夕食用に使う水を汲んできただろう彼女に遭遇して声を掛ければ彼女はこちらを振り向いた。

「雛さん」
「あ、……久々知くん」
「今、名前忘れてませんでした?」
「……大丈夫。忘れてない、うん」

 一瞬間の空いたことに冗談めいてそう言えば、雛さんが少し困ったように笑ったものだから何とも言えない新鮮味を覚える。彼女が両手に持つ桶の、中の水はゆらゆら揺らめいていてその足元は覚束ない。

「持とうか? 食堂までだろ?」
「ありがと、でもだいじょ……っ久々知くん! いいよ……! 私の仕事だし……」
「今にも桶の水がひっくり返りそうだから持っただけ。だって、雛さんふらふらしてるじゃないか」

 持つ、と言っても大丈夫だと言われることは予測できていたから彼女が全部言い終わる前に桶は奪ってやった。ふらふらして危なっかしいったらありゃしない。それからもしばらくの間、私が持つだとか私の仕事だとか彼女は唸っていたが渋々ながらも俺の行為に了承したようで、雛さんは大人しく俺の隣を歩いている。

「…………あのさ」

 ふと、彼女の着格好を見て思う。俺の言葉を待つ彼女に問いかけた。

「俺たちがあげた……あの着物着ないの?」
「や……だって、あんな高そうな着物普段じゃ着れないし……、それに」
「それに?」
「大事に、したいから」

 小さな微笑みと共に返ってきた言葉に面食らう。

「あ……そう」
「うん……大事にする」

 予想だにしていなかった言葉と彼女の優しげな瞳に、俺の口から零れてきたのは何とも情けないものだった。あ……そう、てなんだよ、俺……! もっと他にあっただろ! 俺の反応に気を悪くしていないかと雛さんを見れば、気にした風もなく、ほっと胸を撫で下ろす。

(大事に、したいか……)

 なんだろう、このくすぐったい気持ちは。
 意味もなく照れくさくなって、空いていた片手の指先でそっと頬を掻いた。

「雛さん! あ、兵助もいたんだね」
「雷蔵、どうしたんだ?」
「や、水汲みに行ったって聞いたから手伝いに行こうかどうしようか迷ったんだけど……手伝い、要らなかったみたいだね」
「不破くん、今日の当番なの?」
「はい、三郎と一緒なんですけど三郎は学園長先生のお遣いに行ってきたばかりでちょっと遅れるみたいです」
「お遣い……?」

 彼女の問いに前方から駆けてきた雷蔵と顔を見合わせる。学園長先生のお遣いなんてきっといいものじゃない。現に顔を見合わせた雷蔵は苦笑している。

「雛さん事務の仕事やってるんだろ? どう?」
「うーん……結構、大変」
「へえ……事務の仕事っていうとなんかこう、さらーっと終わりそうだけどな」
「そのさらーってのが大変なんだと思うよ、兵助」
「そうなのか?」
「そうだよ、久々知くん」

 それからは食堂まで三人で色々話をして時間の流れが緩やかに過ぎていった。
 雛さんが俺たちに大分砕けた話し方をするようになってくれたことが嬉しかった。もちろんのこと、話しながら歩いていたせいで遅れてしまった雛さん、雷蔵共々俺も食堂のおばちゃんに怒られてしまったが。

(雛さん、笑ってくれるようになったな)

 先日まで微笑みまでもが少なく、かつその浮かべる表情も悲しげだったのが今日の帰り際にまたねと振ってくれた手に伴った笑顔。先ほどの小さな微笑み。優しげな瞳。嬉しさを感じて、人知れず口角をあげれば今度は後ろから聞こえてきた声。

「久々知先輩……あの人誰ですか?」

 この時、この子たちの瞳に宿った殺意にも似た感情を読み取ることが出来ていたなら。馬鹿な俺は、このくのたまの見知った子たちの尋ねるがままに彼女のことについて話してしまった。もし俺が、去り際に紡がれた言葉を聞き取れていたのなら――……。


 ―――……ムカつく。


 ***


 信じられない。
 自分の目に映った光景は何。

 久々知先輩の隣にいる女は誰?
 不破先輩まで、どうして?

 あの人は誰。
 ……私は知らない。

(私たちは知らない)

 鉢屋先輩も、なんで?
 私たちにはあんなにも柔らかく笑ってくれない、話してくれない、接してもくれない。

 なのに、何あの人。

「ああ、雛さん? 彼女のことは、そうか君たちは知らないのか」
「彼女は君たちがいない間にこの学園に住むことになった人」
「え? ……あー……素性は、んー……まあ、信じるかどうかは別にして未来からきた、そうだよ」
「俺は、まあ……警戒する必要はないと思うけどね」

 久々知先輩はそう言っていたけれど、絶対信じてる。あの人のこと絶対信じてる。だってあんな優しい目をしてた。確かにあの人の瞳は綺麗に見える。だけど……演技かもしれないじゃない。プロのすごい人ならありえなくないじゃない、純粋無垢なふりしてるだけかもしれないじゃない。

(ッ……むかつく)

 あの人が先輩たちと一緒にいた時間より、私たちが先輩たちを慕ってた時間の方が長い。

 綺麗だったり可愛い人だったらまだしも、何よあの人。普通じゃないの。なのに、普通なのに、なんで彼らと一緒にいれるの?
 おかしい、そこは私たちの誰かが居座りたいと願ってやまない場所。
 三禁のために必死にこの想いを抑えてるのに、なんで?

(なんで)
(そんな怪しい人がそこにいるの?)
(……身よりもないくせに)

(未来からきた、なんて信じない)
(怪しい種は)
(早々に摘んでしまった方がいい)

(私たちの学園のため)
(…………私たちのため)

 きっと傷つけて痛めつければボロを出すに違いない。まずは忠告。忠告してこの学園を出て行ってくれさえすれば私たちは何もしない。

 だから、彼女を囲んで壁に苦無を突き刺した。

「私たちは信じない」
「久々知先輩をたぶらかさないで」
「未来からきたなんて馬鹿みたい」
「どうやってここに打ち解けたの」
「怪しい」
「ねえ、なんか言いなさいよ!」
「久々知先輩たちだって、貴方がただ可哀想だから今ちょこっとだけ一緒にいるだけよ」
「だから調子に乗らないで」
「貴方がどう思おうと勝手だけれど、久々知先輩たちは優秀なんだから貴方のこと本当は信じてなんかないんだから……!」


「貴方の味方なんか誰もいない」


 最後に苦無を彼女の頬に掠めるように突き刺して忠告は終わり。

(泣きもしない)
(感情のない人形みたいな人)
(いい気味)
(先輩を盗ることは赦さない)


 ――流れ出た血はどんな色でしたか。


(繰り返す)
(そして、また)


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