雛唄、 | ナノ

28


 昨日は何だか色々あったものだった。

 ここに来て初めて自分より年下の女の子たち三人に出逢い、少しだけ話をした後に、落とし穴を掘っていた綾部くんに遭遇し、穴の中の彼に引っ張られるがまま私は穴に落ちた。穴の深さは手を伸ばせる限り伸ばせば地面に少しは出るくらいであったものの、私に腕だけで這いあがれるほどの力があるわけもなく。しかも土は柔らかいものであったから強く掴んだらぼろぼろと落ちてしまって私の下にいた綾部くんにかかる始末だった。思い出すとなかなか酷かったような――……。

「ッご、ごめん……だ、大丈夫……?」
「……大丈夫に見えます?」

 彼を見れば無表情ながらもどこか苛ついた声音で鼓動が速くなった。それから何度か挑戦してみても同じで彼にはやめてくれ、と言われたために考えたこと。

(綾部くんなら身軽に出れる、はず)

 そう思って綾部くんが先に出れるよう少し私が体制を変えようとしたら走った痛み。綾部くんに体重をかけまいと怪我をしている手首や足に無意識に結構な力をかけてしまっていたらしかった。

「……力、抜いたらどうです」
「や……大丈夫です……」
「…………はぁ」
「ごめんなさい……」
「……出られないほど力がないなんて思いませんでした」
「……すみません」

 謝ることしかできなくなった私に彼は溜息をついてそっぽを向いた。綾部くんとはいつか話をできたらいいとは思っていたけれど、こんな形で話すことになるとは思ってもいなくて、それが少しだけ、残念に思えた。

(綺麗な顔してるなぁ……)
(腕も足も限界が近くなってきた……。誰か、ほんと真面目に助けて……!)

 助けを大声で叫べばよかったのかもしれないけれど、まだそんなことが出来るほど度胸が据わっているわけもなくただ手を穴の中から少し出して振ってみた。情けない。

「だ、誰かいませんかー……」
「…………、……」

 少しして、突然カクンッと力の抜けた腕、そのまま倒れこんだ私の身体。

「ごめ、……あ、あれ……あはは……」
「……下手に動かれるよりマシです」

 体勢を戻そうと力を入れたつもりでも入らなくて、綾部くんの上に倒れこんだまま覆いかぶさるような形になってしまってとても申し訳なかった。あの恥ずかしさといたたまれなさは言葉で表せそうもない。綾部くんの顔が近すぎたし、私が綾部くんを押し倒したような体勢のままでどうしようもなかったし、そしてそれを見られてしまったし……もう。

(もう……!)

 それからのことも何て言葉にすべきやら。

 名前はまだ知らないけれど、綾部くんが潮江先輩と言っていたから、シオエくんという人に助けてもらった。彼には苦い思い出しかないから苦手意識も恐怖心も強くて仕方なかったけれど、差し出された手を拒否することも出来なかった。

(でも)
(差し出された彼の手は)
(温かかった)

 彼は何も言うことなく少しの間、私のことを何故か見ていただけだった。謝罪を貰ったものの、彼が私を好く思っていないことは分かっていたから次は何を言われるのかと身構えつつ身体を硬直させた私に彼は本当に何も言うことなく去って、残された私は痛みも忘れてしばらく立ち尽くしていた。

 彼がもしかしたら私のことを認めてくれたのかもしれない――、なんて淡い期待は胸の内でかき消して頭を振る。
 皿洗いはここらへんにして事務室へ行こう。

(…………だいじょうぶ)

 歩きつつ鼓動が速くなっていく。ここに来てからというもの新しい出会いが特別怖くなってしまったようで足取りも気分も重たく感じる。

(疑心暗鬼ってこういうことかな……)

 前に一度だけ行った事務室を見据えてから深呼吸をして扉に手を掛けた。


 ***


「はじめましてー!」
「ッ……は、はじめまして……」

 開けられた戸に待っていた人を見つけて挨拶をすれば、彼女は戸惑ったように怯えたように肩を跳ねさせた後、ぼくを見て挨拶を返してくれた。

「ぼくは事務員の小松田秀作です! 西園寺雛さんで合ってますかー?」

 事前に渡されていた彼女の情報が書かれた紙を見て聞けば頷きが返ってきた。

「ぼくの方が年下なのでー、お好きなように呼んでくださぁい!」
「あ、西園寺雛です。よろしく、お願いします……」

 おずおずと頭を下げた彼女にぽかんと口を開けた。

(だって)
(もっと怖い人かと思ってたんだ)

 ぼくが実家に用事があってちょこっと帰っている間にこの学園へやって来たという女の人。忍たまの上級生の子たちが警戒してるって言っていたから、てっきりもっとこう近寄り難い人なのかと思っていた。学園に戻ってきて、ぼくと同い年くらいの女の人がいると聞いて話をしてみたくて仕方なかったぼくに、吉野先生も、今はお止めなさいと言っていたし、怖い人だから話しちゃいけないのかなあと思ってたんだけど……なんだ、全然怖くない!

「……はいっ、よろしくお願いしますっ! 同い年くらいの忍たまの子たちって近づきにくかったんでぇ、同じ年くらいの雛さんと一緒に仕事できると思うと嬉しいんです! ぼくの方こそよろしくお願いしますねー!」

 ぶんぶんと握手している手を振れば、曖昧ながらも微笑んだ彼女を見てなんだかすごく嬉しくなった。

「雛さんにはぼくが仕事を教えまーす!」

 人に物を教えるなんてすごく新鮮なことで、わくわくが止まらない。筆と書類を用意して、人知れずえへへと笑った。

(だって)
(なんか、嬉しいんだ)


 ***


「………………仙蔵」

 自身の呼びかけに髪を弄りながらこちらに視線をよこした仙蔵に、言うべきか言わないべきか非常に悩む。誰かに言いたくてたまらない衝動がある。しかし、それを言葉にできるほど俺は素直ではない。

「どうした、文次郎。口ごもるなどお前らしくもない、さっさと言え」
「お前な……俺だって、……いや、いい。その、だな……」
「……お前、昨日の夕べあたりから気持ち悪いぞ。言いたいことがあるのならさっさと言え。私は忙しい」
「……忙しいのかよ、お前」

 ただ髪を結ってるだけじゃねぇか……と、そんな意味を込めて奴を見やれば、返ってきたのは鼻を軽く鳴らした音だった。……様になってるのが何とも嫌味なやつ。仙蔵がカタ、と持っていた櫛を文机の上に置く動作を何ともなしに眺めながら胡坐を組み直した。

「見て分かるだろう? 長い髪を結うのは大変なことだと何度言えば分かる」
「分かんねーよ、んなもん」
「お前の髪は昔から短いからな。まあ、お前の髪が長くても気持ち悪いだけだが」
「悪かったな! 似合わなくて!」
「別に似合わないとは言ってないだろう。気持ち悪いとこちらの心情を述べたまでのこと」
「ッこんの……! ……ッチ」
「…………一体、なんなんだ、お前」

 髪紐を結び終えた仙蔵が、今度は辺りに置いてあった作りかけの焙烙火矢を手に取ったのを視界の隅に入れつつ、がしがしと頭を掻いた。そんな俺に仙蔵が呆れたように溜め息を吐いたのが分かって、それにまたしても舌を打つ。

「なにかあったのか?」
「…………別に何もねぇよ」
「……あの女か?」
「ッ!」

 あからさまに反応を示した俺に仙蔵は今度こそ手を止めて俺に向き直った。ほんの少し、視線を宙に彷徨わせたあと、俺の目が捉えたのは先程より幾分真面目な顔をした仙蔵で、奴の自慢の髪がさらさらと揺れている。

「なにがあった、話せ」
「……落ちてた」

 解るように説明しろ、とそう言われてぼそぼそとあの女が綾部の掘った穴に綾部と共に落ちていて引っ張り上げてやったことを話せば意外にも大人しく聞いているだけの仙蔵に少しばかり感動を覚えた。いつもは途中で茶化しが入るはずなのによ。

「……で、結局お前はどうしたいんだ」
「どうしたいって……なんだ?」

 どうするもこうするもない、と言った表情でやつを見れば呆れたようにひとつ息を吐き出しやがった。

「……まあ、いい。お前に認めるのかと聞いても無駄か」
「あ……? なんだ、なんて言ったんだ、仙蔵」
「いや、……気にするな。ただの戯言だ。……しかし、お前が素直に正直に話すとは珍しいな」

 ぎこちなさを残しながらもありがとうございました、なんて礼を言ったあの女の声が記憶に残っている。それに妙ないたたまれなさを感じていた。

「口にすれば少しはすっきりするかと思っただけだ。別に他意はねぇよ……」
「……ふん、私に答えを求めてこないのはお前らしいがな」
「答え……? 何の答えだ」
「お前の胸の内にでも聞け」

 それだけ言って部屋から立ち去った仙蔵の言葉を幾度反復しても意味がわからない。……握ったあの女の手は少しだけ冷たくて、でも確かな温度があった。当然と言えば当然のことだが、あの女も確かに俺と同じ命をもった人間であることにようやく気付いた気がした。あの女を殴った手であり、あの女を引っ張り上げた手でもあるこの右手。開いては閉じてを何度か繰り返し、嘆息する。はあ……なんて音がやけに大きく聞こえた。

 ほんと、意味わかんねえ……。


 ***


 小松田くんに事務の仕事を教わることしばらく。

 字がなぜか私にも読み書きが出来ることは分かっていたこととはいえやはり不思議に思うも、私にとっては好都合でなんら問題はないのだが、問題は書類整理という仕事にあった。書類整理ということは即ち、出来上がった書類に判子でも押して内容別にまとめたりなんだり……を想像していた私に対し、与えられた仕事というのは自分で内容を書く、というものだったのだ。
 見本があって、ほとんどはそれと同じように書けば問題がないものの、書く量の多さに事務室を訪れて二時間程経った今、既にへとへとだった。

 内容の意味はさっぱりと言っていいほど、分かっていない。忍者が活躍し、戦のあるこの時代。物の単位やら城の名前やらちんぷんかんぷんな内容ばかりで理解しようとしても頭の中がこんがらがっていけない。何となく理解したのは、お城の名前がキノコばかりだということだった。
 筆文字というのにも慣れていなかった為、文字を綴るのも集中力が必要とされて、それもまた疲れる要因に違いない。

「つ、疲れた……」
「あはは、お疲れさまですー! 雛さんの字は読みやすいっておじさんもおばちゃんも言ってましたよ! あ、ちょっと休憩しましょうか! お茶入れてきますねえ!」

 ぐでっと疲れている私とは対称的に小松田くんは楽しそうだ。癒される。ルンルン、なんて音符付きで効果音が聞こえてきそうで、ふっと軽やかな笑みが零れ落ちていった。

「雛さん、はい、どうぞー! このお茶すごく美味しいんですよお。ぼくも大好きなんです!」

 ことん、と置かれたお茶にお礼を言えば小松田くんはにこにこと笑った。湯呑みの熱さに一度出した手を引っ込めて、ゆらゆらと揺らぐお茶と目の前に座り直した小松田くんを見る。そのうちに彼の無邪気さにいたたまれなさを感じて恐る恐る言葉を発した。

「……小松田くんは、いいんですか?」
「なにがですかあ? あ、お茶冷めちゃいますよ!」
「や、少し冷ましてからいただこうかなって……」
「猫舌なんですかぁ? ありゃ、すいませんー……熱いほうがいいかと思って熱くしちゃいましたぁ……」

 しゅん、なんて項垂れるものだから弁解するのに必死になった。
 事務のおばちゃんもおじさんも今は出ていて、小松田くんと二人しかいない事務室で、彼がお茶を啜る音が聞こえる。紙と墨と、木造建築ならではの木の匂いと、お茶の香りが混ざって何とも形容し難い香りが肺を満たしていた。

「で、どうかしたんですかぁ?」
「……その、お仕事の邪魔じゃないかと思って」

 私に事務の仕事を教えるせいで自分の仕事ができないんじゃないかと、崩した足の上で手を組みながらそう言えば大丈夫ですよなんてやけにあっさりした一言が返ってきた。机に落としていた視線を上げて小松田くんを見れば、彼は変わらずにこにこと笑みを浮かべていて少しだけ安心した。

「……それならいいんですが」

 はっきりしない私を彼は少し眺めていたかと思うと、敬語要らないですよおとそんな言葉を口にした。

「敬語じゃなくていいですってば! 雛さんの方がぼくよりも年上なんですし! ね?」

 穏やかなままの表情。何度か瞬きをして、それからそっと目元を緩めてみせた。お言葉に甘えて、と私が言った途端、小松田くんが突然叫んだ。驚いて、危うくお茶を零すところだった……!

「こ、小松田くん……ちょ、なに!?」
「大変です、雛さん! 一年は組が外出届を出さずに出ていこうとしてますぅ……!」

 そう言って「外出届くださぁぁぁい!!!」と小松田くんは走っていった。いきなりの事態に唖然とするほかない。少しの間、呆けて、そして現状を理解するとなんだかすごく面白いことに気付いた。滝夜叉丸くんや三木ヱ門くんとはちょっと異なる嵐のような……。そんなことを考えて、何気なく小松田くんの机に目をやれば一年は組の外出届らしき紙が目に入った。

「…………あ」


 ***


 待ってくださぁい! と毎度のことながら事務員の小松田秀作がものすごい勢いで走ってきた。しかし、その表情はいつもと打って変わってどこか楽しげで嬉しそうでもある。

「おや……やけに嬉しそうじゃないか」

 そう言えば雛さんに仕事を教えてたんですよお、と返ってきたものだから土井先生を見れば、そうなんですよと肯定を示す返事が返ってきた。

「彼女にはこれから事務の仕事を手伝ってもらおうと学園長先生が仰ったので」
「ほう、だから小松田くんが」
「はい! すっごく楽しいんですよー!」

 にこにこと朗らかに笑う彼の表情から彼の嬉しさが伝わってくる。しかしながら、彼の仕事の出来の悪さをもって人に仕事など教えることができるのかと怪しくも思う。……無理だろう。まあ、彼女が文句を言わないのであれば何も言うことはないが。

「雛さんいるんですか?」
「乱太郎。彼女は今ここにはいないようだ」
「なんだ、雛さんいたんだったら話聞きたかったのに」
「話……?」
「こないだ土井先生がきたから途中で終わっちゃった未来の話!」
「こら、きり丸。その言い草だと私が邪魔したように思われるだろう?」
「実際そうだったじゃないですかー」
「未来の話……? いいなあ、僕たちも聞きたーい!」

 聞きたーい! と反復するは組の生徒たちに土井先生を見ればあはは、と苦笑がひとつ。好奇心が旺盛なのは良いことだが、こいつらの場合は暴走することも多いからな。聞きたい聞きたいと跳ねるよい子たちに自身も苦笑を浮かべざるを得ない。

「まずは補習授業だ、じゃあ小松田くん……って昼に外出届出したじゃないか」
「ええええ……嘘だあ!」
「嘘を吐いてどうする! ……まったく、さっさと確認してきなさい」
「はぁい……って雛さん!」

 小松田くんが駆けていった方向をみれば反対側から例の彼女が歩いてくるではないか。その手にあるものを予想して、小松田くんのうっかり具合に額に手を当てる。何だってちゃんと確認してから飛び出してこないのか。

「小松田くん、これ……!」
「わわわ、雛さん! 助かりましたぁ、山田せんせーい、土井せんせーい、ありましたぁ!」

 小松田くんに外出届を渡して元来た道を戻ろうとする彼女の周りには一年は組のよい子たち……。

(…………って、こら)

 よい子たちに囲まれるようになった彼女といえば、困惑気味で、こんにちはー! という挨拶にも戸惑いがちに返事をしていた。

「こら、お前たち。雛ちゃんを困らせるんじゃない」
「えー、だってぇ、補習授業するより雛……? さんの話聞きたいですぅ」
「喜三太、まずは自己紹介からだってば!」

 やれやれと首を振って彼女の方へと自身も歩み寄る。

 一度に大量の自己紹介をされて「ええと、喜三太くんに伊助くんに……」と一人一人確認するのは大変そうだったが、その表情は以前食堂などで見かけたものよりも幾分か明るくなっていてどことなく安堵した。あえて接触を避けてきた己が言えたものではないがな。

「西園寺雛です、よろしくお願い、します……」

 ぎこちない笑みを浮かべつつも、次に発せられた、は組のよろしくお願いしまーす! といった声に小さな微笑みがみえた。

「山田伝蔵だ、よろしくな」

 そう告げれば、きょとんとした表情で私を見て、え、と呟いた女人にそっと瞳を細める。

「どうかしたかね」
「え、あ……その……」
「……君みたいな子を、くノ一だの間者だのと思うわけがないだろう。安心しなさい」
「…………、……」

 呆然と私を見ていた彼女の袖をは組の子たちが引っ張って「雛さん、未来からきたってほんとー!?」「僕たちも未来の話聞きたいでーす!」なんて言うものだから、困ったように、けれど恐る恐る彼女が眉尻を下げてこちらを見た。どうやら助け舟が必要なようだな。ひとつ肩を竦めてみせる。

「お前たち、行くぞ。今行かないと戻ってくるの夜になるぞー!」

 えええ、やだー!!!

 彼女に挨拶もせずにだだだっと門を通り抜けていく奴らを見て息を吐き出した。

(…………ったく)

 自身も生徒たちと同様に門を出ようとして、その前にと振り返った先には静かに涙を流す彼女がいて少しばかり表情を緩めた。あれは、あの涙は心配する必要がないものだ。隣で同じように後ろを振り返った土井先生が、よかったと心底安堵したように呟いたのを耳にして思わず笑ってしまった。

 ――だから、大丈夫だと言ったでしょう。土井先生は心配し過ぎなんですよ。

 そんなことを内心で思いながら、門を潜る。さて、よい子たちを追い掛けねばな。



「指先から徐々にる」



(白黒から色鮮やかに)

(29/88)
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