雛唄、 | ナノ

23


 久々知くんがこの部屋を去ってからそんなに時間も置かずに、滝夜叉丸くんたち四年生三人も夕食の時間というので去っていった。

(……信じるに、守る)

 口じゃ幾らでも言える無責任な言葉。だけど、私には一筋の光のようだった。私みたいな人間は守る価値なんてきっとない。でも、私を信じてくれて、ひどく嬉しかった。ここを出ていく前に聞けてよかった。一人、喜びや切なさを含んだ感情を胸の奥深くに大切にしまいこんで、片手を胸の前でぎゅっと握りしめた。

 ……明日にでも出て行こうと思う。

 善法寺くんが言ったように薬の効果は絶大で、頬の傷なんてあとはかさぶたが消えるのを待つだけだし、足や手首のほうも現代でいう鎮痛剤みたいなものを塗ってもらったからか、怪我をして数日経った今では痛みもそこまで感じなくなっていた。
 今朝、朝食をもってきてくれたおばちゃんが今日も天気が良いし、明日も良さそうなのよと言っていた。天気が良いならば尚更、出ていくのはきっと早いほうがいい。もうくノ一だとか、間者だとか疑われたままでいいから。もう、この学園の人たちに私のせいで傷を負わせたり余計な心配をさせないように。


 ――偽善者でも構わない。


 出て行ってどうなるかなんてわからない。でも、出ていかないことには始まらない。私は自分の身の潔白を完璧に証明できる術も持たないし、この学園にとって私という存在はなんのメリットにもならないのだから。学園にいたい、とは思う。思うよ。思うけれど、これを言ったところでどうなるということもない。

「………………女」

 布団にうつ伏せになりつつ思考を巡らせていた最中に聞こえた声。それは私の心臓をどくんと跳ねさせるのには十分すぎた。

(なにしにきた、の……?)


 ***


 夕食時で自身の他は食堂へと集うであろうことを見越して向かった先。その部屋の障子戸をすっと音もなく開けばうつ伏せになっている女の姿がった。以前は女人の部屋ということを考慮し一応の了承を取ってから部屋に入ろうとしたが、今はそんなことに気を回すつもりはなかった。

 戸を開けた先に現れた女の姿はだらしなく、毛布は掛けておらず寝巻の裾が捲れてふくらはぎが露わになっており、女としての自覚の薄さを感じさせられる。果たして育ちが良いのか悪いのか分からんな。

「………………女」

 そうおもむろにひとつ声を吐き出せば瞬間、びくりと震えたその肩。それから身体を反転させて女が上半身を起こした。私と目を合わせることはせずに、俯いたままの女は何を思ったのか、私が何かを言う前に先に言葉を放った。

「ッ出ていきます、から……」
「…………出ていく?」

 その言葉が妙に頭の中で反響して思わず訊き返していた。それに女がこくりと頷いた。

「……出て行ってどうする」
「……わか、りません。っでも」
「自ら死に急ぐか、笑えるな」
「ッ……そう簡単に死にません」

 小さい声ながらも反論する女を内心で嘲笑う。怪我だらけの身体で何を言う。

「ならば、私たちが追って貴様を殺しにかかろうとも死なないというのか。我ら六年相手に戦えるならばそれはそれで貴様の正体が曝されるも同じ」

 息を呑む音がした。

「……町に行くには、山を越えねばならない。ここら一帯の山々には幾つもの山賊と呼ばれる連中がうろついている。その中を何の武器も持たずして一人で行くのは死に逝くと同じ。ましてや貴様のような人間が逃げられる連中ではあるまい」
「ッ………………」
「……それでも、出ていくというならば止めはせん。皆も心穏やかになるだろうしな」
「………………て」
「…………なんだ」
「……ど、う……して」

 微かな声が聞こえて、その先を促せば女は言葉を紡ぎ出した。


 ***


「……ど、う……して」
「ッど、うして……そんなこと言うんですか!」
「出ていくって決めたのに……!」
「ッ私に出ていってほしいはずでしょ!? 貴方だって私のことを信じちゃいないくせにッ……!」
「なのになんで、なんでそんな……っそんな……」

 私を案ずるようなこと言うんですか。

「なんで、私が武器をもってないだなんて、そんな……」

 私のこと信じたように言うんですか。

「どうして……ッ!」


 ――どうして優しいんですか。


 ***


 女の頬から絶え間なくぼたぼたと散りゆく透明な雫をみていた。

(優しい……か)

 別に信じたわけではない。ただ正論を、事実を述べてやったまでのこと。この女がくノ一だろうとなかろうと、今武器を持っていないことくらいわかっている。女がいない間に、女の部屋を捜索することなんて容易いというのに。

「……別に、案じたわけではない」
「ッ………」
「……自惚れるでない。ただの」
「…………え」
「ただの……戯言だ」

 この手の内に収めていた煌めきをもう一度見やる。私の微かに柔くなった声音に、はっと顔を上げた女に向かって、しゅっとそれを投げて部屋を後にした。女が出ていくというのなら、それに越したことはない。


 ***


 チャリッと音がして私のすぐ側に落とされたもの。

(私の、ネックレス……)

 あの日、ここに来たあの日、たまたま学校につけていったネックレス。友人にもらった、この世界にきてから常に身に着けていた私のネックレス。それを理解した瞬間に溢れ出た気持ちに涙を抑えることはできずに、そのまま冷たい掌でネックレスを拾ってぎゅうっと握りしめた。

(優しい、優しいひと)

 殴られたあの日に落としたであろうこれを届けてくれるなんて思ってもみなかった。
 山賊がいる、だなんて本当に酷い人ならそんなこと言わずにそのまま出て行けって言うでしょう。武器もなしに、だなんて本当に信じてくれてないのならそんなこと言わないはずでしょう。
 ネックレスをきっと知らないこの時代。怪しいものだと分かってて届けてくれたのはなんでですか。

(ッはは、なんだ……)

「いい人ばっかじゃん……っ」

 出ていくのは危険だから止めたほうがいい、ってそう言外に言ってくれたんだと思いたい。自惚れではないと信じたい。胸が押し潰されそうなくらい苦しい。

 でも、これは。
 言いようのない温かさ。

 私だって、身を護る術のひとつも持っていない私がこの学園を出て行くことは危険だと分かっているけれど。それでも。私みたいな人間にも優しくしてくれる人たちの生活をね、私が乱しちゃいけないって。偽善かもしれないけれど、私にできることはきっとそれだけだと。


 ――そう、思うから。


 ***


「……盗み聞きとは穏やかじゃないな」
「ッ気付いてましたか……!」
「ふ、私を誰だと思っている」
「立花先輩、彼女、ほんとに出てくんですか……?」

 食堂に向かう途中で見かけた立花先輩の向かう先がおそらく彼女の部屋だと気付いて、そっと後を付けてきて彼女と先輩が話しているのを聞いていた。

「……知らぬな」
「でも! 山賊に遭遇する可能性だってあるんですよ!」
「出ていくのを止める必要もなかろう、忠告はした」
「……そうですけど、でも」

 食い下がる僕に先輩は静かに淡々と言葉を落としていく。

「それともなんだ。お前はあの女を引き止めるに足る理由でもあるのか」
「それは……」
「無いのならば、黙れ」

 すぅっと背筋が寒くなる。この人は紛れもないこの学園の六年生、最上級生。たった一年の違いがとても大きいものだと、先輩から向けられた一瞬の殺気混じりの視線に奥歯を噛みしめる。

「……っ先輩だって、彼女のこと信じてないわけじゃないんでしょう!?」
「……さあな。飯時を逃すぞ、不破」

 作法委員会委員長で学園一冷静沈着、成績優秀な人だというのが彼に貼られた肩書。委員会も違う僕とは大した関わりのない人。そんな立花先輩は、さらりと揺れる髪を風に遊ばせて遠ざかって行く。

 彼女をこの学園に連れ込んだのは立花先輩だったという。だからかは知らない、けれど。彼女のことをきっと本当は信じてるんだと思った。立花先輩は危ないと判断したような人に自ら近づく人じゃないってことくらい、僕にだって分かる。

「…………どうしよう」

(彼女が出てくって皆に伝えようか)
(それとも伝えずにいようか)
(彼女が出てくなら会いにいこうか)
(それとも関わらないでおこうか)

 迷った挙句、僕は結局何もしようとはしなかった。


 ***


 翌朝、彼女の部屋にあったのは、綺麗に折りたたまれた布団と着物。それから、一枚の紙切れ。



「ねえ、さなら」



(手放すのは、抱くのは)

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