雛唄、 | ナノ

18


 彼女の叫びは、あまりにも悲痛だった。



「ねえ、」



「仙蔵」

 意識の片隅で聞こえた声に顔をあげれば見るからに不機嫌な留三郎の姿があった。

「何であの女と一緒に寝てたんだよ」
「……寝ていた? 私が……?」

 そう問えばああ、と返され自身の失態に思わず舌を打つ。どうやら柱にもたれかかったまま寝てしまったらしかった。隣を見れば女は既におらず、私が掛けてやった上着がぽつんと無造作に置いてあるだけだった。忍務帰り、学園内で気が抜けていたとはいえ、自身の失態に眉間に皺が寄る。

「…………行くぞ」
「……どこに行く」

 私が上着を畳んで手に抱え直すと同時に、忍たま長屋とは反対の方向へ歩き出す留三郎の背中に問う。留三郎はこちらを見ない。

「文次郎が」


 嫌な予感がした。


 ――あの女を、今にも殺しかねない。


 ***


 ぐい、と思い切り腕を取られた感覚で目が覚めた私には何がなんだか理解できなかった。目を開けたらとても恐ろしい顔をした男の子二人がいて、有無を言わずに一人の人に引きずられた。

「……っい、ッ」

 引きずられたことで足の痛みを思い出したが抗議の声も出ない。一言も発さないこの人が怖かった。この人のことは知ってる。名前は分からないけれど怖くて食堂で対峙する時もなるべく遠くから接するようにしていた人だ。

「った……ッ!」

 強く握られている手首が悲鳴をあげ、血が止められているような感覚に陥る。ギチギチとそんな音が聞こえそうだった。骨が軋むような錯覚に顔を歪めずにはいられない。離して、と言い掛けて失敗する。

「っ…………ッ……」

 痛い。いたい。イタイ。

 どさっと投げられるように放り出され不安定なまま倒れた。捻挫した方の足に力を入れたためか身体を支えきれず手をついた衝撃で手首もイったらしい。さっきの、自分で転んだ時についた比じゃない。ズキズキとした痛みが足からも手からも消えない。それなのに次の衝撃でそれどころじゃなくなった。

「――…………ッ」


 ――殴ら、れた?


(頭が恐ろしく痛い)
(景色が歪む)

 ガッと嫌な音が微かにした気がする。倒れたままおそらく殴られたであろう箇所に手で触れればぬるっとした感触に吐き気がした。その事実に呆然としていれば腕をとられ浴びせられた言葉の刃物。息が詰まる。

「どうたぶらかした」

 低い低い低すぎる声に殺気が混じっていたのはきっと気のせいなんかじゃない。……ねえ、どこもかしこも痛い、よ。


 ***


 見つけた女の隣には俺にも滅多に見せない穏やかな寝顔をした仙蔵がいて、俺の中で何かがキレた。傍から見たらなんと微笑ましい光景かと思うが俺は心中穏やかなんかじゃない。
 忍務帰りで疲れているだろう仙蔵を起こすまいと、気配を殺しどうにか叫ぶのを抑え、女の腕を取って引きずっていくが今すぐにでも殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られて仕方がなかった。

(仙蔵は俺らの)
(ダイジナダイジナ)
(仲間だというのに)

 ムカツクが成績が優秀なのは確かだと認めざるを得ない仙蔵が、女などそこらの町でひっかければ喜んでついてくるような面をした仙蔵が、女などより取り見取りな仙蔵が、そう簡単に人を信用しようとはしない仙蔵が、俺にも滅多に見せないような寝顔で得体の知れない女と共に寝ているとはどういうことだ。

 おまけに上着は掛けてやってるし。

 俺はこの女のことなど塵ほどにも信じていないというのに、六年もの間共に過ごしてきた仙蔵が暗にこの女のことを信じていると主張しているようで、非常に面白くなかった。どうにも腸が煮えくりわたって仕方ない。
 まだ得体の知れているこの学園の連中ならばいいものを、未来からきただとかふざけたことをぬかす大して可愛くも綺麗でもない女の、隣で寝ているだなんて気に食わねえ。

 しばらく行ったところで適当に女を放りだして睨みつける。

(ッチ、腹の虫がおさまらねえ……)

 ここで女が泣き出して叫び出して助けを請うものなら良いものの、泣くどころか顔を歪めるだけで何も言わないから感情のまま殴れば鈍い音がして、女はどさっと再び倒れこんだ。

 どうやら当たりどころが少々まずかったらしく女の頬を紅い血が伝う。既に穢れた己の手なのだ、今更女を殴ろうが罪悪感など感じない。女は自分に何が起こったのか理解が追いつかないようで、呆然としたまま頬に手をあてているがそんなの知ったことではない。

「どうたぶらかした」

 そう言えばびくり、と肩を震わすものだからますますムカついてムカついて頭に血が上った。


 ***


 留三郎の後を駆けていけば倒れた女と文次郎がいた。

「……文次郎」

 そう呟けば睨みつけてくるものだから驚く。仙蔵、とそう私の名を呼んだ彼の右手は固く握りしめられていて何があったのか大方予想がつき愕然とした。

「……お前、殴ったのか」
「見りゃわかんだろ」

 吐き出した言葉に苛立ちが隠し切れていない。こちらを一瞥しただけで文次郎は視線を女に戻した。それに倣い女を見れば、どうやら血が出ているらしく見えた頬は赤かった。おまけに寝巻姿のままのためか袖も半分まで捲れそこからのぞく手首も赤い。更に眉間に皺が寄る。


 ――痛々しい。


 それしか当てはまる言葉はないほどで、しかし女に手を差し伸べられない自分が冷酷に思えた。文次郎がどれほど仲間思いか知っていて、どれほど警戒深いか知っていて、妙に嫉妬深いのを知っていて。

(知っていた、はずだったんだがな)

 非があるのは自分だと思うのだがここで女を庇う必要もない。それに、もしここで庇ったならばもっと文次郎の機嫌を損ねるだけだ。
 低い声音で言葉を紡ぎだす級友の背中を見つめることしか私にはできなかった。


 ***


「怪我してんのにうろつくとは何が目的だ」
「未来から来ただのと戯言をぬかしやがって……信じられるわけねぇだろ」
「大体その足だって本当に怪我してんのか」
「学園長先生も何を考えてんだか。こんな得体の知れない女を置いておくなんてよ」
「それにどんな手使って誑かしたんだ。ああ? 土井先生に、四年に仙蔵まで」
「誰もてめえのことを信じちゃいねえんだ、馴れ馴れしく俺らに近づくんじゃねえ」
「だから、どこの間者かも吐かねえんなら――……」


 ――とっとと帰れ。


「………………ぃ」
「あ゛あ?!」


 ――わたしだって。


「ッッわたしだって!」
「っ帰れるものなら帰りたい! 帰りたいよ……ッ!」
「好きでこんなところにきたんじゃない! 帰れるものなら帰らせてよッ!!! 帰れって言うなら、帰り方教えてよ!」
「……ッ誰も知らないんじゃない! 知らないのにッ帰れだなんて言わないでよ! わたしだって帰りたいよっ! ッわかってる……わかってんの!」

 私が邪魔なことくらい。
 私を信じられないことくらい。
 わたしが。
 わたしが悪いってことくらい。


 ――私がここからいなくなればいいんだってことくらい。


「っわか……わかって、ん……のッ!」

 もうどうしていいか、わからないの。
 こうして惨めに泣くことくらいしか、私にはもうできそうにない。


 ――ねえ、どうしたらよかったノ?


 ***


 我々四年がいたグラウンドにも突如として聞こえた切羽詰まった叫びは痛いほど胸に刺さった。徐々に消えていく声に、その声がした方へと駆けていけば案の定彼女がいた。血で赤い頬にぼたぼたと雫が伝い、下に落ちる頃には赤い雫となって彼女の白い寝巻に赤が映えていた。

 彼女に対するは潮江先輩と食満先輩と立花先輩で、後ろの方に表情を歪めた善法寺先輩が立っていた。何があったかなんて一目瞭然だった。

 涙する彼女はひどく儚い。

 気がつけば学園中が静かで、物陰から気配がすることからほとんどの生徒が駆けてきたと思われる。

「雛さんッ……!」

 そう彼女の名を声に出して、駆け寄って彼女の肩に触れた。
 びくり、大きく跳ねた彼女の肩は小刻みにカタカタと震えていて、どうしようもなく腹が立った。それでもまだ、帰りたいと繰り返し彼女が呟くから、あまりにも痛々しくて見ていられなくて、トンと首を叩けばかくんと傾いた彼女の上半身。

「……医務室に運ぶぞ」

 一瞬の後に現れた土井先生がそう告げ意識の途切れた彼女を抱えあげていく。その後ろ姿を見つめた後に、キッと後ろを振り返れば顔を歪めた先輩方がいた。



「かりたい」



(傷つくのは一人だけじゃない)

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