雛唄、 | ナノ

17


 一週間近くもまるで外に出ていないように感じる。出ていないわけではないけれど、行動範囲が限定的だからそう感じるのかもしれない。

 トイレもとい厠はこの部屋からは大分近いところに客用のものがあるし、お世話になっている水場もくのたま用のお風呂もそんなに遠くはないため、ここ数日、私の動きは少なかった。掃除をするにもここらへんだけでいいと言われているし……。食事も部屋に持ってきてもらっているし、更にその上、怪我をしてからというもの土井先生がお風呂を沸かしては毎日呼びに来てくれるのだ。そんなに甘やかさなくていいのに、とは思ってても口には出せなかった。彼の優しさがとても、とても嬉しかったから。

 土井先生は忙しくて疲れてもいるだろうに、どうしてここまで私の世話を焼いてくれるのだろう。不満はない。でも、不思議にも思う。きっと土井先生は超がつくお人好しなんだろうな。
 今朝だって、始業前で忙しいはずなのに朝食と氷を持ってきてくれた。氷を持ってきてくれたことに、泣いているのを見られているのではないかと少しばかり疑ってしまったけど有り難いことに変わりはなかった。

(にしても、目が痛い……)

 思えばここに来てからというもの泣かない日なんてあっただろうか、いい意味でも悪い意味でも。疲れすぎて泣く余裕がなかった日はあったかな。いずれにしろ泣いてばかりの自分にいい加減、嫌気が差す。

(なんでこんなに弱いんだか)

 正論を言われて傷つくとか何なんだろうね、私。

「…………っああもう」

 昨日この部屋を訪れてくれた彼らは気にしていないだろうか。鉢屋くんの言った言葉は正論なのだからあまり気にしていないといいなと思う。……でも、他の四人は分からないけれど、久々知くんはきっと優しい人だから気にしているかもしれない。

(また、話せるかな)
(もう、話せないのかな……)


 ***


「しかし、何故に私たちが行かねばならぬのですか」

 にっこりと笑う仙蔵だが若干顔が引き攣っているのが横目に見てとれた。

「――学園長先生」

 そう理由を尋ねれば、ほっほっほっと笑って目の前の老人は学園長命令じゃ! とか抜かしやがっ……おっしゃられた。しかも無視をしたら単位を卒業できない程に落とすなどと続けるじゃねえか。どんだけ落とすつもりなんだよ、んなくだらないことで。ふざけんな。とは思うも、流石に口に出すのは憚られて仙蔵同様顔を引き攣らせるに留める。

 何故俺らが行かねばならない、あの女の元へ。ただ、俺たち六年に与えられた忍務の報告に学園長の元へと参じただけなのに。報告を終え、学園長先生からの退室の指示を頭を垂れたまま待っていれば、降ってきたのは退室の指示ではなく、頭を上げよとの一言とあの女の元へ行けという言葉だった。何のためにと問えば、手紙を届けてほしいと。たったそれだけ。……どう考えても学園長が自分で届けに行くのが面倒に違いない。そして、おそらく俺たちとあの女を接触させるために作り上げたであろう事。

 学園長先生の庵を出てすぐに舌打ちする。その音が聞こえたのか、隣にいた伊作がまあまあと宥めてきたが知ったこっちゃねえ。何で俺たちが、あんな怪しげな女と関わりを持たなきゃなんねえんだ。俺は絶対に騙されも絆されもしないからな。あの女はいつか尻尾を出すに違いねえ。

「……仕方あるまい。さっさと行くことにしよう」

 嘆息した仙蔵が長い髪を揺らし手紙を片手に歩き出した。潔い級友の背に渋々ながら続くことにする。こんなくだらないことで卒業できないなんてことになったら面目が立たない。それにもしかしたらあの女の化けの皮を剥がす良い機会なのかもしれない。それだけが俺の足をあの女の元へと動かした。


 ***


 後悔した。

(迷ったー…………)

 外に出たいと思い立って寝巻のまま出たのは良かった。すぐ部屋に戻るつもりで好奇心のまま道を進んだのも。散歩感覚だった。
 
 問題は途中からだ。

 全治二週間と言われていたはずなのに一週間そこらでほぼ完治の状態にある足。思いきりジャンプをしたり強い刺激を与えさえしなければ痛みを感じることもなくなっていた。なくなっていた、というのに、私は愚かにも未だ履き慣れた感じのしない草履に足を取られ、うわっと一人ふらついて、そしてそのまま無様にも転んだのだった。
 もうとっくに去っていたように感じていた痛みがぶり返されて、更に足を変に庇ったことで地面についた手も痛くてしばらく唸りながら蹲っていた。
 そうしているうちにゴーンと鐘が鳴り、こちらに向かって生徒が駆けてくるのが遠目で見てとれた私は慌てた。

 お昼時だということと、この道が食堂へ続く道だということをすっかり忘れていた。生徒に見つかると厄介に違いないと思い焦った私は、何を思ったか来た道を戻るのではなく違う方向へと足を進めたのだった。そして、気付いたときにはココハドコな状態になっていたわけだ。

(あああ……!)
(落とし穴に落ちたときの光景がフラッシュバックするー……!)

 戻るにも建物の外装はどれも似ていて客室と食堂付近でしか活動していなかった私にはどれが私のいたところか区別がつかない。風呂場へ続く道ともまた違うようで、どこを通れば戻れるのか分からなかった。困った。非常に困った。ああもう、と頭を抱えるしかない。

(どうしろっていうの……)

 とりあえず近くの縁側に腰かけてみるもここがどこだがさっぱりだ。
 生徒たちの声は聞こえるからグラウンドや食堂の辺りからそんなに遠くはないんだろうけれど、そっちに行ったら行ったで色々と危ない気がする。

 お昼時の今、もう少ししたらおばちゃんかヘムヘムがきっと私に昼食を持ってきてくれるだろう。私がいないことに多少は驚くかもしれないけれど、私がいなくても厠にでも行っているのだろうと思う程度で、さほど気にせずいつものように部屋へ置いていってくれる気がする。まさか、私が迷っているだなんて思いはしないだろうし。……ヘムヘム、捜しに来てくれたりしないかな。

 ごろん、と縁側に寝転んでみればちょうど陽だまりになっているそこは暖かくてお昼寝するにはぴったりの場所だなんてことを思う。今日はちょうど陽も出ているし、暑くも寒くもないし、風も穏やかなものだ。ここで寝たら気持ち良さそう――……。


 ***


 学園長先生の横暴ともいえるだろう命令で、彼女、西園寺雛さんのところへと僕たちはやって来た。三日程かかった忍務を終えてやっと学園へと帰ってきたところだった。今回のはそんなに難しいことじゃなかったし、疲れはあるものの六人全員怪我もしてないから、まあ別に彼女に手紙を届けて、そのついでに少し接するくらいはいいかなあなんて僕は軽い気持ちで足を運んだんだけど。彼女のことをくノ一だ間者だと強く疑っている文次郎や留三郎がありのままの彼女に触れれば少しは考えを改めるかもとも思ったしね。

 何度呼びかけても返事のない目の前の部屋。
 人の気配も感じられない。

 だんだんと雲行きが怪しくなってきたんじゃないかなあ、これは……。ちょっと不安になりつつどうしたものかと思案していれば、女の人の部屋だからと少しは遠慮していたらしい仙蔵が、大声で騒ぎ立てる文次郎に痺れを切らし、スパーン……! と耳にいい音を立てて障子を開け放った。
 そして予想通り部屋の主の姿はなく。

「………………」
「………………」
「…………いない」
「……いないなあ!」
「………………」

 順に仙蔵、文次郎、長次、小平太、留三郎。僕はといえば無言の三人の顔を見てうわあ……と思った。苦笑したいところなんだけど、無言の三人、特に文次郎の顔が恐ろしいものになっていて容易に笑ったりできるような空気じゃない。

(西園寺さぁん……なんでいないのぉ……!)

 こういうときに限って。

 文机に昼食が置かれたままで布団は敷きっぱなしの部屋。失礼しまーすと一応一言断って室内へと足を踏み入れる。部屋の中は何だかとても殺風景に見えた。僕と留三郎の部屋がごちゃごちゃと物に溢れているせいもあるだろうけれど、それを抜きにしてもこの部屋は寂しそうな感じがした。
 何度かこの部屋の、西園寺さんが持ってきたものには触れて調べはしているものの、転がっていた文字を書くための道具と思われる硬いものを拾って、やっぱり見たことがない代物だなと思う。あまり触れるな、と仙蔵に咎められて元にあった場所に戻した。
 
 昼食が冷え切っていることからしばらくいないのが分かる。まあ、厠に行っているかもしれないと思ってしばらく待ってみても彼女が戻ってくる気配はない。

「……どうする、コレだけ置いて帰るか」
「ああ!? まだあの女の疑いは晴れていないんだぞ!? 探し出してとっちめてやる……!」

 障子戸に背をもたれさせていた仙蔵が軽く息を吐き出してから言った言葉に文次郎が凄まじい勢いで反発した。ああ雲行きが怪しくなってきたというか嵐の予感がする。外れてくれればいいんだけど……。

「俺も癪だが文次郎に賛成だな。今度こそ、という可能性が捨てられん」
「…………どっちでも」
「なんだあ? 探すのか!?」
「………………、……」

 仙蔵は何か考えを巡らせているようだったけれど、彼女を捜すと分かった途端、小平太はあっという間に走っていくし、文次郎と留三郎も出ていくし。長次は小平太に連れていかれたし。ちょっと待って、と言い掛けた僕の言葉は尻すぼみになって消え去った。
 はあ、と溜め息がひとつ出てしまう。

「……伊作」
 
 僕を呼んだ仙蔵の方を向けば目が合った。

「なんだい、仙蔵」
「……お前は警戒していないのか?」

 何の邪気もなく仙蔵が問いかけてくるものだから逆に驚く。

「そういう仙蔵こそ」
「私は……。……あんな女、警戒するだけ無駄だ。信じるかは別としてな」

 そう言い残して踵を返した仙蔵に苦笑した。
 仙蔵は、ちゃんと分かってるんじゃないか。彼女が嘘なんか吐いていないって。
 ……分かりにくいんだよね、仙蔵は。


 ***


 六年全員での忍務帰り、学園長先生の下へ忍務の報告に上がれば命じられた、あの女へ手紙を届けるという仕事。学園長先生があの女と我々六年を接触させたい意図がおありなのはすぐに気が付いた。気付かぬ者はいなかったことだろう。
 どうして俺たちが、忍務帰りで疲れてんのに、などと文句を垂れていた文次郎や留三郎は無視してさっさと歩き出し、女がいるはずの部屋へと足を運んだのがつい先程のこと。そしてその女が部屋におらず、今度こそあの女の正体を暴く! と変に力んであの女の捜索に出た文次郎たちの後に続く形で自身もあの女を捜しに動いたのがほんの少し前のことだった。

 女は案外すぐに見つかった。

(それにしても)
(何故見つけるのが私なんだか……)

 女は用具室近くの長屋廊下ですぅすぅと寝息を立てていた。その姿にどっと力が抜ける。こんな間抜けをくノ一と違えたら、本業の者たちどころかこの学園のくのたまにすら睨まれるに違いない。

(…………無防備な)

 いくら素性が知れないといってもコレは女に変わりはなく、ここは男ばかりの場所だというのに。物好きだっているのだぞ。

 寝巻姿のままなのだろう、帯は若干解け裾は膝上まで捲れている。髪も下ろしたままで唇も少しばかり開き、そこからすー……と程よい寝息が聞こえてきた。足に視線をやれば巻かれた包帯が目についてほんの少し目を細めた。

「…………女、起きろ」

 声を掛けても起きない。肩を揺すっても鈍い反応が遅れて返ってくるだけだった。忍務帰りということもあって大声を出す気にもなれなかった。眼下で気持ち良さそうに眠る女を一瞥して浅く息を吐く。

(支障がないならば、待つか)

 他の奴らが現れるのを。

 どうせ今日は忍務の帰りということもあり、学園長先生によって午後の授業はなくなってしまったのだから。休憩を取ったところで咎められることはない。眠ったままの女の隣に腰掛け、懐から小さく巻物状にしてある書物を取り出す。

(……私も丸くなったものだな)

 自嘲気味にふっと口角を上げて、変装用に持っていた上着を女の上に掛けてやる。こうもこの女に振り回されるとは思いもよらなかった。

 ……警戒するだけ疲れる。



「ねえ、みけて」



(ここにいる、存在証明)

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