雛唄、 | ナノ

16


 寂し気に笑う子だと思った。
 見えた傷が痛々しかった。
 腫れた名残の見える瞼が苦しかった。

 忍としては誉められたことかもしれないけれど、ダレカを素直に信じられない自分が、今はなぜか切なく思えてならない。信じてあげられたらと、そう思うのに――。


 ***


「じゃあ、忍者ってこう書くのか」

 久々知くんが先日この部屋を訪れた時と同様に、他の子たちも部屋にあった本、もとい私が使っていた学校の教科書に興味を持ったようで、私は訊かれるがままローマ字の仕組みを教えた。数式においては説明しようにも、上手く説明できなかった。そして、少しして一枚の紙の上に記されたモノは、


 ――NINNJA


 彼らは優秀なのだろう。ローマ字の仕組みを一通り教えれば自分たちの名前などを楽しそうに記し始めた。私が渡したペンとルーズリーフを使って。最初は怪訝そうに赤や青、緑といった色が滲み出てくるペンを解体したりしていた彼らだったけれど、慣れてきたのか各々が好き勝手に絵や文字を記しているようだった。そうしていると至って普通の少年のように思えた。

「西園寺さんのいたところって大変そうだね」
「え……」
「だって、僕たちも知ってる仮名文字や漢字の他に、南蛮の方の言葉とか数字とかたくさんあるんでしょう? 覚えるの大変そうだなあと思って」

 不破くんが放った言葉にちょっと息が詰まりそうになって、それから曖昧に笑った。

「あ、うん。まあ、そうかな……」


 ――期待しちゃ、いけない。


 忍たまの五年生であるという男の子たち五人がこの部屋へ足を踏み入れてから既に一時間くらいは経っているものの、この話題に、私のいたところについて触れたことはなかった。自己紹介をした後少ししてから、鉢屋くんが教科書に興味を持ち始め、皆も意識はそちらに持っていかれたようで話もそこそこに、それからはただ少しローマ字だとか数学について教えていただけなのだ。
 私はぎくしゃくしつつもある程度彼らに文字の仕組みを教えて、傍観というか楽しそうな目の前の五人をもらった果物や和菓子を細々といただきながら見ていただけだったけれど、それでも満足で、私なりに楽しく感じていて、出来ることなら、この話題に触れてほしくなかった。私のいたところ、その存在を認めるかのような言葉を放ってほしくなかった。だって、ローマ字や数学に興味を持ったとしても貴方たちは私の話を信じてはくれないんでしょう? ねえ。

「…………雷蔵」

 ぽつりと鉢屋くんの咎めるような声音に不破くんは自分が何を言ったのか気付いたらしかった。焦ったように謝られた。ちくりと走った痛みに気付かないよう、気にしないでと、そう言って笑う私は何なんだろう。

(馬鹿馬鹿しい)
(信じてくれるわけ、ないじゃんか)

 じわじわと熱を帯び始めてしまった瞳をそっと伏せて、乾いた喉を潤すためにお茶を一口、飲んだ。……つめたい。


 ***


「雷蔵、この馬鹿……!」
「ご、ごめん……! つい……」
「ついって、お前なぁ! 余計に傷つけてどうするんだよ……!」
「ままま、兵助。仕方ないって。もう言っちゃったんだしさあ」
「あああっほんとごめん……」
「……どうするよ、この空気」

 顔を寄せて、彼女に聴こえないようにひそひそと言葉を交わす。俺の手には雛さんの持ち物のひとつ、「未来」でいうところの筆の役割を果たすらしい「ぺん」が握られていた。その形状は細長くて固く、滲み出る色は青。先日訪れた際にも触れた品だが、不思議な物だと改めて思った。

「ひとつ、言わせてもらう」

 俺たちがどうこの場をはぐらかすか思案している間に、三郎が雛さんに向き合っていた。視線を二人に移せば雛さんは視線を落としたままでその姿に思わず雷蔵を肘で小突く。ああもう、せっかく良さげな雰囲気だったのに。急に居心地が悪くなった室内。日の光が陰ったのか、室内がほんのりと薄暗くなって俺にほんの少しの不気味さを感じさせた。

「……ここは忍術学園、忍術を学ぶべき場所。私たちは正式にはまだ忍者ではなく、忍者見習いのたまごといったところだが、忍者を志す者としては変わりはない」
「こうして貴方と話すことは出来ても、他人を、ましてや貴方のような素性の分からない女を簡単に信じることなど出来るはずがない」
「我々が貴方を疑うのは当然のこと」
「……寧ろその命、繋がっているのは貴方を殺すなという学園長先生のお言葉があってのことだということを、ゆめゆめお忘れなきよう」

 何を言い出すのか、若干の不安を抱きながらも三郎が言葉を紡ぐのを聴いていれば落とされたのはそんな言葉で眉間に皺が寄った。それは確かに俺たちにとって正論だけど、彼女にとっては痛いに決まってる。非難するためにも身を乗り出して口を開くも、

「ッ三郎! それはちょっと言い過――……」
「ちゃんと分かってます」
「ッ雛さん!」

 遮る声に視線を雛さんへと向ければ彼女は笑っていたから。……笑って、いた。

 それを見た三郎は顔を少し歪ませて出て行った。三郎を追うように雷蔵も慌てて出て行って、八左ヱ門と勘右衛門はおろおろとことの成り行きを見ているようだった。俺は、……俺は、どうしたらいいか分からなかった。掌を握りしめる。

「西園寺さん、ごめんね。三郎の言うことは俺たちにとって事実だから、否定できないや」

 ごめんね、ともう一度口にして勘右衛門も出て行った。

「俺はさ、その、なんつーか……あんたはくノ一にも間者にも見えねえし警戒だとか、んなのする必要ない、とは思うんだけどよ」

 あー……その、なんだと困ったように苦笑を零した八左ヱ門だったが、まるで図ったかのように外からいつものジュンコもとい毒蛇を捜す声が聞こえてきて、悪ぃと小さく呟いて出て行ってしまった。この状況で俺を一人置いていくとか、あいつら薄情じゃないのか。開け放たれたままの障子戸に、胸の中で呟く。
 風が緩やかに室内に入り込んできて肌を撫でていった。

「…………、……」

 そぉっと彼女のほうへ視線を戻す。

(っ…………!)

 思わず下唇を噛んだ。

「雛さん、ごめん……」

 彼女の表情はあまりにも悲しくて、とてもじゃないが見ていられなかった。彼女の部屋から出て、しばらく行ったところで廊下を音もなく駆け出す。誰が悪いってわけじゃない。でも、俺に降り注いだ罪悪感は走ったところで消えやしなかった。


 ***


 知ってます。
 ちゃんと知ってる。

 ここの人たちが私のことを簡単に信じられないことなんて。

 知ってます。
 ……わかってる。

(ッわかってるよ……)

 だからね、もう言わないでほしい。
 ごめんね、だなんて言わないで。
 それは何に対してのごめんなの?


 ――言った言葉に対して?


 それとも、


 ――信じられなくて?


 元々人にそこまで好かれる質じゃなかったし、自分から人に関わるってことも私は苦手の部類だった。そんな私が、この世界の住人でさえ侵入したら怪しまれるようなこの学園で、信じてもらうことなんて、認められることなんて、受け入れてもらえることなんて、もしかしたら一生無いのかもしれない。一生このまま、この場所で同じような日を送って死んでいくのかもしれない。

 衣食住には困らないし拷問だとか体罰だとか受けることがない分、良い方だとは思うけれど。


 ――カエリタイノ。


 同じ顔をした二人が出て行って、尾浜くんと竹谷くんも出て行ってしまった。久々知くんも、もう一度ごめん、雛さんと小さく呟いて出て行ってしまった。ぴしゃんと閉まった障子戸がなぜかすごく遠く思えて、どうしようもなく胸が痛い。

 つい先日、久々知くんとは笑って話せたから、もしかしたら友達くらいにはなれるのかもしれないと思ってた私が一人惨めに思えてしまう。勝手に期待したのは自分以外の何者でもないのに。

「っはは、馬鹿だぁ……わたし……ッ」

 期待しちゃいけなかったのにね。


 ***


「ッ三郎!」
「…………雷蔵」

 あの人のあの笑みがやけに印象に残ってどうにも苛つく。廊下を速足で歩く自身の腕を掴んできた雷蔵を見ればその顔は悲しそうで、視線を逸らすしかなかった。ぎゅっと掴む力を強めた雷蔵の腕を掴まれていない方の手で解く。そうすれば今度はその手を取られて握り込まれた。伝わる熱があたたかい。

「三郎、三郎は間違ってないよ。僕が悪かったんだ……。僕があんなこと言わなきゃあんな空気にならなくて、三郎も傷つかずに済んだのに。っごめん、ごめんね三郎……」

 ごめん、と悲しそうに謝る雷蔵を抱き寄せてその肩に顔を埋める。別に傷ついているわけではないし、雷蔵が謝るようなことじゃない。しかし、そう言うのもどこかおかしかった。どこか違う気がした。

「……傷つけてしまっただろうか」

 あんなつもりじゃなかった。あんなことを言うためにわざわざ兵助たちに付いてあの人に会いに行ったんじゃなかった。私は、ただ。ただ――……。

「……うん」
「あの人、私の変装を見て驚いていたな。しかも、すごいだなんて言ってきた」
「……うん」
「変装のことを誰かに褒められるのは久々だったのにな。……あんな女がくノ一なわけあるか。あんな間抜けそうな顔をして、笑える。……っふ、馬鹿だな私は」
「……僕も、馬鹿だよ」
「あんな顔をされるとは思わなかった……」
「……そうだね。彼女、笑ってた」

 雷蔵の言うように私の言葉に笑みを返したあの女。なんで、笑ったんだ。……分からない。が、少なくともあの姿があの女のありのままであることは間違いない。雷蔵の肩に額を押しつけて、しばしの間目を瞑った。


 ***


 あんなつもりじゃなくて。ぎこちなく笑う彼女にただ、ただ喜んでほしかっただけだったんだ。どこか陰を帯びてしか笑えない彼女が少しでも心から笑ってくれればいいと思ったんだ。

 それなのに。
 三郎の言うことも否定できなくて、ごめん、なんて言う度に貴方の傷を増やすだけなのにごめんしか言えなくてごめんと言いたい。自室であーっと唸ったところでどうしようもないことなんて分かってる。同室である勘右衛門はまだ戻ってきていなかった。

 彼女について、正直今の段階では俺には関わらなければ関わらなくても何ら問題のない存在と言ったら確かにそうなるが、話し相手になるとも言ったし、個人的に彼女を信じたいと思ったからこそ傷つけるだけ傷つけてしまった彼女が気になるというもの。

(……逃げてきてしまったし)

 傷ついたであろう彼女を一人残して逃げてきたことがものすごく後ろめたくて仕方ない。

「はぁ……」

(雛さんがいなかったら)
(こんな気疲れしないのに)


 ……今、俺何考えた?

「……ッ最低じゃないか」


 ――彼女のせいなんかじゃない。



「ねえ、なたい」



(上手くいかないものサ)

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