雛唄、 | ナノ

14


(話し相手かぁ……)

 先ほど朝食を持ってきてくれた忍たまの生徒、五年い組に所属するという彼はこの部屋を去る際に、話し相手になってあげてもいい……と小さな声だったけれど確かに言っていたと思う。

 食堂で対峙していたとはいえ、料理を差し出す側と受け取る側の関係でしかなかった私たちは、最初はおそらく互いに妙な居心地の悪さを感じていたものの、話をしているうちに緊張はいつの間にか解けていた。彼が最後に付け加えていった一言は照れ隠しだったんじゃないかな、なんて思うと頬が緩む。そうだったらいいなという願望もあるけれど。仕方ないから話し相手になってもいい、だなんて可愛い。どこもかしこも痛みが増すばかりで嫌なことばかりかと思っていたけれど、怪我の功名とはよく言ったものだ。


 ――久々知兵助くん。


 うん……よし、覚えた。


 ***


「なあ、兵助! お前、あの人と話してきたんだろ? どうだった?」
「八左ヱ門……。や、どうって……。あー……なんだ、その、優しかったよ」

 昼時、自分と同じ青紫色の忍装束を纏い、柔らかな黒髪を揺らしながら歩いていた見慣れた奴に駆け寄って、ぽんっとその肩を叩いた。叩かれた方の奴といえば、大して驚くこともなく俺を見た。今から昼飯だというから俺も一緒に食堂に行くことにして、兵助の隣を歩く。外に出れば既に昼飯を食べ終わったのか、下級生がグラウンドでドッチボールをしていた。どっかから「いけいけどんどーん」なんて……そんな声は聞こえなかった。

 太陽が眩しくて、手を目の上にかざす。

 朝から気になっていたことを訊けば、何やら言葉に詰まりながらもそう返してきた兵助にへえ、とひとつ頷けば「彼女は優しい」と兵助は繰り返した。優しい、ねえ……。

「お前はさァ、信じんの?」
「まあ……雛さんを信じたいとは思うけど、まだよく分からないというか……」

 そう言って苦笑を零す兵助をみて、こいつは近いうちにあの人が未来から来たという突拍子もない話を信じるんだろうなと思った。上辺だけではなく、心から。
 俺はといえば、彼女とはまともに話したことはなく、まだ信じられやしないが、彼女が優しいというのは本当なのだろうと思う。あの人はヘムヘムに穏やかな顔と声でもって話しかけているし、学園に迷い込んできたらしい野良猫に猫の鳴き声を真似して歩み寄っていったところを見た。逃げられてたけどな。勿論その後で俺が保護した。生き物をぞんざいに扱わないだけで俺から見たあの人は今のところ“いい人”だし。それに日常の最中、兵助が俺たちに嘘を言うことはない。ま、ただ兵助の言う「優しい」と俺が考える「優しい」が一致していた場合だけどさ。

「俺も今度話してみるかな」

 先輩方はいい顔をしないかもしれないが先輩たちの顔色を窺っていれば行動なんか何も出来やしないし、別に先輩だからって何でもかんでも賛同するわけにもいかないだろう。何事も臨機応変にいかねーと。
 興味が沸いた、と言えば嬉しそうに兵助が「今度一緒に会いに行こうな」と言うものだから、不思議に思う。

「何でお前が嬉しそうにすんだよ」
「なんでって……なんか嬉しいだろ。彼女を警戒しなくていいことが分かる奴が増えるし、雛さんも喜ぶだろ?」
「んー……そういうもんか?」
「そういうもんなの」

 そう言って緩やかに目を細めた兵助に頭の後ろで手を組む。

(お人好しめ)
(ま、いいか。兵助だしな)

 こいつは成績こそ優秀なもののどこかお人好しで、忍者に向いてんのか向いてねえのかよく分かんねえところがあんだよなー。それも兵助の良いとこなんだろうけど。おばちゃんも兵助を選ぶってのが絶妙だよな。ふっと笑みを零して、そしてもうひとつ気になっていたことを問う。

「今日の夕飯って豆腐料理?」

 そう聞けば今度はキラキラとしたものを飛ばしつつ、首を縦にぶんぶんと大きく振りやがった。食堂のおばちゃんが兵助に頼んだっつーことは、兵助に何かかしらの見返りをつけ、おそらくソレが今日の夕飯に反映されるとは予想していたが外れてほしかった。確かに豆腐は身体にいいだろうが、今日は違うものが食いたかった……。まあでも、今日のところは仕方ないかと小さく肩を竦めた。


 ***


「あのさあ、きりちゃあん。やっぱりやめない? 大丈夫だとは思うけどちょっと私だんだん不安になってきた」
「うるせえなあ、乱太郎。お前だって気になるだろー? あの人今怪我してずっと部屋いるっていうんだから会いにいかない手はないだろーが! 絶ッ対大丈夫だっつの」
「その自信はどこから来てるの……」
「勘」
「あらららら」
「あの人、お菓子とかもってたりするかなあ……」

 きりちゃあん、と不安げについて来る乱太郎といつもと変わらず食べ物のことを考えては涎を垂らしているしんべヱを伴って土井先生に聞いた部屋へと歩みを進める。客室がいくつか並んでいる棟に辿り着いて、ここらへんの掃除を誰がやってるかなんて知らないけど、綺麗に磨かれた床だなと思った。

「土井先生だって行くなっては言わなかったんだしいいだろー?」

 土井先生のことだから、お前たちが行くとあの子の怪我が余計にひどくなるから行くんじゃない! とかなんとか言われるものだと思っていたら意外なことにもそうは言われなかった。

「確かに土井先生にしては珍しかったけどねえ」

 乱太郎の言う通りだった。土井先生といえば俺たちがなにかする度に胃が痛くなるのがお約束なのに。俺たちがあの人に会いたいって言ったら嬉しそうに優しげに笑って、行ってこい、とまで言ってくれた。その笑みはただただ優しかった。いつも俺たちに向けてくれるのと同じような違うような、そんな笑みだった。

 あの人に関しては先輩たちが、特に六年生の潮江先輩とかがかなり警戒しているから、俺たちも先輩たちの目がある食堂の中じゃ好き好んで関わりを持とうとはしなかった。食堂の外で会おうにもどこにいるかあの人よく分かんなかったし。それに、最近まではどっかの村か町から出てきた奉公人あたりの普通の女の人だと思っていたんだ。それが――。
 四年生があの人と話しているのをちょくちょく見かけるようになって、何だか少し羨ましく感じて、こうして俺は今、あの人に自分から関わろうとしている。乱太郎としんべヱを巻き込んで。だってなんか一人でってのもちょーっと不安あるし。

「あ、ここじゃない?」

 先頭を歩いていたしんべヱが立ち止まった先には、ひとつの部屋。忍たま長屋からは結構遠くて、先生たちのいる長屋とも少し距離のある、この客室が並ぶ一帯にある一室。ちょっとだけ離れたところに厠があるだけで、辺りには特にコレといったものがない。

 だからか、とても静かだった。
 こんな誰もいないのではないかと思えるような場所で、彼女は一人、独りきりで何をしているというのだろう。


 ――ごくん、


 唾を呑み込んで障子越しに声を掛けてみた。すると、若干遠くからどうぞと控えめな声がした。その声に応じて障子戸をそっと開ければ縁側に座ってこちらを見ているあの人がいた。


 ***


 失礼しまーすという声と共に室内に入ってきた生徒三人はテレビ越しでよく見知った子たちに酷似していた。おそらく、乱太郎、きり丸、しんべヱの三人で間違いないと思う。食堂で何度か見掛けてはいたもののまだ名前を聞いていないから確証はないけれど、私の中では有名人である三人が、まさかここへ来てくれるとは思わず、内心で……というか結構感激していたりする。

(それにしても、)

 改めて目の前の子たちの容貌を見て思う。この子たちも綺麗だし可愛いのだけれど、どうなっているのだろうか、この世界は。忍たまと似通ったパラレルワールドのように思えなくもない。それくらい彼らの容姿に私は衝撃を受けた。そりゃ、テレビ越しの姿と現実での姿が同じってのも不気味ではあるけれど。そのままじーっと凝視していれば、すぐ近くで話しかけられてはっと我に返った。
 見れば、縁側に腰掛けたままだった私のすぐ目の前、手を伸ばせば触れられるくらいの距離で三人が正座をしてこちらを見ていた。

「……えと」
「あ、僕は摂津きり丸といいまあす、よろしくお願いしまぁすっ!」
「私は猪名寺乱太郎です、よろしくお願いします!」
「福富しんべヱでえす、よろしくお願いしまぁすっ!」

 思いがけないことに狼狽してしまう。
 それと同時に、この子たちが本当にあの乱太郎、きり丸、しんべヱなんだなあと感慨深くも思った。分かっていたことだけど、分かってたことだけど、ここは本当に――……。

「え、あ……西園寺雛、です。よ、よろしく、お願いします」

 ここが本当に忍たまの世界なのだとこの子たちの名前を聞いてようやく納得出来た気がする。そんなことを考えて、そして目の前の三人と、私が、私なんかがよろしくしていいものなのか迷い言い淀んでしまった。あはは、と誤魔化すかのように苦笑した私に飛んできたのはあまりにもストレートな問いだった。

「未来から来たってまじっすか!?」

 きり丸の口から飛び出た言葉。
 形は違えども、滝夜叉丸くんが口にしたものと同じだというのに、その言葉を聞いて心臓がひとつ跳ねた。目の前で何故かきらきらと瞳を輝かせているきり丸としんべヱ。眼鏡を掛けた少年だけは少し困ったような表情をその顔に浮かべていた。どくん、と音がして、そのまま考えなしに私の口から零れ落ちたものは、

「ッ……た、たぶん」
「「「たぶん……?」」」

(多分なんて曖昧な言葉、)

 ……言っちゃだめじゃん。
 ……言っちゃったじゃん。

 馬鹿でしょ、私。何また怪しいこと言ってるの、この子たちだってまだ幼いとはいえ忍者のたまごなんでしょ? 怪しく思われるに決まってるじゃん。てか、この子たちが怪しまないにしても先輩とか先生に言われたらもう……。ああもう本当に私のバカ……。

「未来ってさぁ、どんなとこ?」

 色々と諦めようかと、ふふふと内心笑っていたところに降ってきた声は明るく弾んでいて、その言葉はあまりにも無垢で純粋で好奇心に満ちた柔らかなものだった。



「ねえ、よしく」



 きり丸が、あの人、食堂のおばちゃんのお手伝いをしている女の人、雛さんに会いに行くと、話を聞きに行くと言ったのは午後の授業が終わって、しばらくしてからのことだった。放課後、今日はきり丸のバイトがないというし、何をしようかと私ときり丸としんべヱの三人で話をしながらぶらぶらしていたところ、何やら「未来から……」なんて気になる言葉が聞こえてきて、様子を伺えば二年生の先輩方が集まって何か話し合いをしているところだった。
 
 聞き耳を立てていて分かったこと。
 あの人、雛さんが未来からやって来た人であるらしいこと。それが嘘ではないかと上級生は疑っていて、ひどく警戒しておられるということ。そして、二年生はそれを踏まえてこれからどうするか……ってこと。

 その話を聞いた私たち三人は顔を見合わせたあとで、緊急会議を開いた。といっても、その場で顔を突き合わせてひそひそ言葉を交わしただけだけど。
 私たちはあの人、雛さんのことを全然知らなくて、事情は分からないけれど先輩方がものすごく警戒しておられたし、あんまり近づくな関わるなって言われてたし、彼女自体もあんまり話し掛けやすい雰囲気じゃなかったから、雛さんの素性をつい先程まで知ることはなかった。
 先輩たちが私たち下級生には知らせないように情報を操作していたんじゃないだろうかと今になってみれば思う。二年生の様子を見るに二年生も知ったばかり、みたいな感じだった。……伊作先輩も教えてくれなかったな、そういえば。もうちょっとしてから、とおっしゃってた。雛さんが本当に危ない人だった場合を考えていらしたのかもしれない。

(だって、ほら、ねえ……?)

 現に話を聞いたきり丸は「未来とかすっげー! よっしゃ、話聞きに行こうぜ!」と言って、しんべヱは「未来のお菓子……じゅるり」なんて言って、そして二人について行く形で私も彼女、雛さんにこうして会いに来ちゃってるし。私は雛さんは悪い人じゃないと思っていたし、大丈夫だとも思っていたのだけれど、不安も勿論、あった。

(うん、あったんだよね)

 でも、今はそんなのどこかに行っちゃった。
 押しかけ同然に会いに来たのに、雛さんは嫌な顔をしなかった。自己紹介をしたら雛さんも自己紹介をしてくれた。その瞳は少し揺れているようにも見えたけど、私たちの目をちゃんと見てくれた。
 初めてちゃんと真っ直ぐ雛さんを見て、大丈夫だと思う、が、大丈夫になったんだ。

 きり丸の未来ってどんなところ? という問いに、少し躊躇した後に話してくれた、彼女がいうところの未来。そこでは戦がなくて、忍者もいないのだという。平和なんですね、と私が漏らせば彼女は少しばかり首を傾げたから不思議だなあと思う。戦がないなら、平和と呼ぶにふさわしいはずなのに。

「じゃ、どうやって稼いでんすかあ?」

 きり丸の次なる問いへの彼女の答えはとんちんかんな単語ばかりで私たちは一様に首を捻った。“さらりーまん”だとか“そうりだいじん”だとかいうのは職業の名前らしいけれど……面白い名前だなあ。
 ところどころ首を傾げる私たちに苦笑しつつも、雛さんはなるべく私たちにもわかるように色々と説明してくれた。思っていたより、ずっとずっと優しい声で。それは私たちから彼女に対する不信感を払拭するのには十分なものだった。

 何冊かまとめて床に置いてあった本は何かと尋ねれば、彼女の通う学び舎……学校の教科書なのだという。パラパラとめくってみればほとんど読めなくて、その中でも横に並んだ文字は英語というらしくここでいう南蛮の方の言葉なのだそうだ。

「未来って便利なんですねえ」

 大体の話を聞き終わり漏らした感想は三人それぞれ。

「マニーマニー! 未来の金ー!」

 きり丸は雛さんが持っていた未来で使われるというお金を貰い、見事に目が金マークになっていた。貰っても使えないでしょ、と言えば「金に変わりはないし、珍しいから珍しい物好きの人に売りつければ金になるだろ!」と返ってきた。さすが、きりちゃん……。

「未来のお菓子って美味しいねえ!」

 しんべヱはもちろんのこと、私ときり丸も貰った未来のお菓子だという“ちょこれーと”を頬張りうっとりとしてしまう。二人ほどではないけれど、私も未来という存在に心奪われたのは間違いない。
 どうやってかは分からないけど、雛さんは本当に未来からやって来た人なんだと思った。それに雛さんはいい人で、優しい人なんだなって。まだちょっとしか話してはいないけれど、なんとなくそれで良いように思う。なんだろう、勘かなあ。今度、伊作先輩に会ったら話してみよう、雛さんのこと。

 だから、

「私たち信じますよ!」


 ――雛さんのこと。


 ***


 幾ら年下でも、私よりずっと背丈が低くとも、前から知っていた子たちだったとしても彼らもここの生徒という事実に自分でも知らない内に怯えていたんだろう。時間が経つにつれて、子供たちの無垢で純粋な言葉と表情に、少しずつ自分の表情が柔らかなものへと変わっていったのが分かった。

(信じて、くれるんだって……)

 信じてくれるんだって、わたしのこと。自分の心に刻み込むようにそっと胸の内で反復する。信じるというその言葉のなんて優しいこと。私は目の前で未来の物についてはしゃぐ彼らに気付かれないよう、上を見上げては何かが落ちないようにするのに必死だった。


(幸せな時間の中で生まれる)

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