雛唄、 | ナノ

12


 自分の立場を身を以て実感した翌日、私はといえばとうに朝日が昇ったというのに自室と化した客室にいた。隙間風のせいか障子戸が微かに音を立てた。外では鳥の囀る声がしている。今日は少しだけ肌寒い。

「――いいんだよ、おばちゃんには許可とってあるからね。雛ちゃんはしばらく休んで怪我を治すのに集中すること。……いいね?」

 敷かれたままの布団の上で、土井先生が昨夜言った言葉を思い返す。

 遅刻したらいけないことが分かっているからか、起床の鐘の音と共に目が覚めてやっぱり食堂に行こうと思ったけれど、それは断念した。立ち上がることも歩くことも出来はするものの、機敏に動くことが出来ない、それはつまり食堂に行っておばちゃんのお手伝いをしたとしても迷惑しか掛けないだろうことに思い至ったからだ。
 包帯がぐるぐると巻いてある左足を引きずって顔を洗いに行った。その際に、治まっていたはずの痛みが再発してしまったのかズキズキと痛いったらありゃしない。

(大人しくしてるしかないか……)

 怪我を診てもらった医務室の新野先生にも全治二週間と言われたこの怪我のため、布団は敷きっぱなしで、寝巻のまま、髪もだらしなく散らせたまま寝転がっていた。以前は簡単に出来ていた二度寝がどうも出来ずに、こうして時間が経過するのをただ待っている私の頭をよぎるのはマイナスなものばかり。

「…………ッ」

 急に思い出すのは彼の言葉。


 ――……もしも怪しいことをしていたならば、その首を即刻刎ねてやったものを
 ――あのまま生き埋めにしてもよかった、ということを忘れるな
 ――その命、繋がっていることを幸運に思え



(私がいなくても)
(この世界は正常に動くんだって)
(寧ろいないほうがいいんだって)

 そう言外に言われたようで思い出すだけで胸がぎしぎしと軋んだ音を立てて痛い。

(母さん、父さん………ッ)

「かえりたい……な」

 現実がそんなに甘くないなんてことは、知っている。そんなことは知っている。
 ……知っていたはずだった。
 見目の良い子たちに囲まれて誰からも好かれることはありえないなんて。私がどこでも誰にでも快く受け入れられるような人間じゃないことくらい。それに、ここは忍者の学校で、暗殺者が活躍する時代で、人一倍警戒されるに決まってるのに。

(でも、少しくらい期待したって……)

 私がそこまで元気で明るい今時の女の子じゃなくたって、嫌われるよりは好かれていたいと考えるものじゃないの。好かれなくても、普通に、そう普通に接してほしいって思うものじゃないの。だけど、どうして私だったのかが分からない。世の中には私よりどこか違うところに行きたいなんて願ってる子なんてたくさんいたはずなのに。

(どうして……?)

 声も出ないまま枕に顔を押し付ける。
 今こんなこと考えたってどうしようもないことなんて分かりきってるのに。それでも、考えずにはいられなかった。


 ***


「というわけで、いきなりだがお前たちには今日から食堂のおばちゃんの手伝いを以前と同じようにやってもらうことになったからよろしくな」

 始業開始後すぐに土井先生がそう告げたものだから、私も含めて一年は組全員から「ええええッ!?」という声が上がった。何の説明もなしにいきなりそんなことを言われたら不満を抱いてしまうのも仕方ないと思う。私の場合は非難とか不満でじゃなくて単なるノリともいうけどね。

「先生、なにが、というわけで……なんですか! 説明してください!」
「そうですよ! 食堂にはあの女の人がいたじゃないですか!」
「なんでぼくたちなんですか!」
「先生、お駄賃いくらですか!」
「先生、お腹すきました!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した級友たちをみかねてか、先生はわかったわかったと苦笑して言葉を述べた。なんだか、少し言いにくそうに見えた。

「雛ちゃんが……」
「先生、雛ちゃんて誰ですかあ?」
「……食堂にいる女の子だ。名前くらい訊かなかったのか?」

 あーそういえば、という声があちこちであがる。そういえば私もあの人の名前をちゃんと知らない。下の名前が雛だっていうことしか知らなかった。名字、何ていうんだろう。
 先輩たちがしばらく様子を見る、アレの正体がはっきりするまではあまり近付くなと怖い顔でおっしゃられたこともあって、普段は好奇心の強い私たちもあの人、雛さんにはまだ関わらないようにしていた。

「まあいい。それでだな、その彼女がちょっと怪我をしてな。少し休ませることにしたんだ。だから、その分の夕食当番をお前たちにお願いしたい」
「なんで私たちなんですか?」
「それはだな。……まあ、なんだ」

 しばらく「あー……」と唸っていた先生が、結局は苦笑混じりに頼むから、と言うものでいつもの先生らしくない雰囲気に皆渋々ながらも頷いた。その時の先生がどこか痛そうに見えたのはきっと気のせいじゃなかっただろう。
 きり丸だけは先生に「アルバイトまた手伝ってくださいね!」なんてぎらぎらとした目で迫っていたけど。もう、きりちゃんったら。

(怪我かあ……。大丈夫なのかな)
 
 ここは保健委員として動くべきだろうか。食堂で料理が載ったお盆を差し出してくれる彼女の手が怪我だらけなのは知っている。でも前に伊作先輩に、あの人、雛さんは医務室には来られないのですか? と尋ねたら頭を撫でられてそっと微笑み返されただけだったから。うーん、どうしよう。

 どうにも私にはあの人がそんなに警戒しなきゃいけないような人には見えないんだけどな。だって私たちが食事のお礼の言葉を告げれば、声が返ってくることはないものの、少しだけ優しい顔をしてくれる。怖いとも思わない。感じない。
 伊作先輩も雷蔵先輩も似たようなことをおっしゃってたなあ……なんてことを思いながら、眼鏡をくいっと上に持ち上げた。


 ***


 あまりにも痛々しい表情を浮かべるものだから、こちらまで痛くなってくる。

 昨夜、私が彼女がいないことに気付き捜していたところ、自身の名を呼ぶ声が聞こえ、振り向けば六年の立花と四年の綾部が立っていた。彼らの話によれば、彼女を見つけたのはいいが、置いてきたらしかった。

 ――彼女に言う必要のないことまで言ってしまいました。

 そう言い残して立ち去った立花だったが、その意味がよく分からず、とりあえず彼女を残してきたという場所まで足を運べば地を見つめているのか微動だにしない彼女がいた。じゃり、とわざと音を出して歩み寄れば、その音に気付いただろう彼女が私を見た。私の姿を見とめた彼女があまりにも頼りない声で私の名を呼ぶものだから、どうしたとそっと問うた。

「……落ちてしまって」

 灯りを掲げてよくよく彼女の姿を見れば、着物のところどころが黒く汚れてしまっているのに気付いた。そしてその近くにぽっかりと空いた穴があることにも。暗い夜、闇に闇を塗り込めたような穴は恐怖でしかない。微弱になびいた風によって葉っぱが一枚、吸い込まれていくのを見た。

「情けないんですけど、腰がぬけてしまって立てなくて……」

 そう言った彼女の表情を見て、立花の言っていた意味がようやく理解できた。

(言う必要のないこと、か……)

 おそらく彼女の瞼は腫れているのだろう。だが、そのことには触れまい。一先ず立たせようと腕を引けば、彼女は痛そうに顔を歪めた。足を痛めたらしかった。失敬してそっと足の状態を診るも骨に異常は見当たらなかった。とすれば、

「……捻ったみたいだね」

 この状態では歩くのはきついだろうと思い、彼女の身体を横抱きにすれば、思っていた以上に軽く驚いたものだ。「大丈夫かい?」とそう紡げば、「大丈夫です」と言うものだからそれ以上は何も言えなくて私は表情を曇らせるだけだった。

 案の定、新野先生のところに連れていけば彼女は全治二週間の怪我を負っていた。この足では食堂の手伝いは厳しいだろうと、すぐさまおばちゃんにも事情を説明し、彼女に一週間ほど休みを与えることにした。その旨を彼女に伝えれば、初めは渋っていたが了承したため、処置が終わり次第再び抱きかかえて彼女の部屋へと運んだ。

 それから、必要であろう身体を拭くための手ぬぐいやら新しい着物を調達して彼女の部屋に置き出てしばらく、心配ゆえに気配を殺して部屋の前に佇んでいれば聞こえてきた、小さな小さな声。


 ――かえりたい。


 押し殺した嗚咽に混じり聞こえたひとつのコトバ。
 雛ちゃんがくノ一や間者だなんて、ありえない。そう思わずにはいられないほどの痛みを孕んだ言葉だった。

 そして今日、自身が担当するは組のよい子たちに彼女が来る前と同じようにおばちゃんの手伝いをしてほしいと言えば、予想通り上がった不満を含んだ声。

(それでも、頼むから)

 学園長先生に掛け合ったところ、一年は組の生徒が手伝いをするのなら休みを与えても構わないとのことだったのだ。彼女に休みを与えられるのならば自分がその役を買って出ても構わなかったのだが、一年は組の生徒であることが条件だった。一年は組の生徒たちが度々起こす問題で彼らの授業が遅れていること、更に言うならあまり成績が良くないことに対する罰でもあるのだろう。渋々ながらも了承してくれた一年は組のよい子たちには、今度団子をおごってやろうと教室を後にしながら一人頷いた。



「ねえ、どしたら」



(強がりと痛み、そして本音)

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