雛唄、 | ナノ

11


 握り返された手は、細く、小さく。
 抱き上げた身体は、柔く、軽い。



「ねえ、くれる」



 灯りを掲げるようにして穴を覗き込んだ喜八郎と同様にして穴を覗けば、自らの影が邪魔になり、はっきりと輪郭までは見えずとも、女がうずくまっているのが分かった。女も私たちに気付いたのか息を呑むような音が聞こえた。

 このまま怪しげな女を生き埋めにしても何ら支障はないが、とりあえずは女を引っ張り出そうと手を差し出す。学園内で無駄な殺生はしたくもないし、後輩の目の前で、というのもあり気が乗らなかった。
 ここからだと用具室は遠い。梯子を取りに行くくらいなら、手を差し伸べてやった方が早いだろう。それにしても、こんなにも分かりやすい落とし穴の目印に気付かないくノ一や間者がどこにいるというのか。……演技かもしれないが。

「……女、何をしている」

 一向に動く気配をみせない女に舌打ちとともに言い放てば、え、などと困惑気味の声を発する始末。それに眉を寄せ手、と一言呟けばようやく私の意図が分かったようで、女は若干ふらつきながらも立って遠慮がちに手を伸ばしてきた。
 手の感触を感じ、一気にその手を引いてから腰をぐいっと上げてやれば簡単に女は蛸壺から出た。腕を引いた際に奇声が聞こえたのも、着地した際に女が息を呑んで顔を歪めたのも、全部気のせいだと思っておく。

 …………穴に落ちるのが悪い。


 ***


 腕を引かれた時に肩が外れそうになったのは冗談じゃなかった。思わず、んぎゃなどと奇声を上げてしまったけれど、それよりも着地した際に捻った足に力を入れてしまったことで走った痛みには声も出なかった。

 数時間ぶりに見た外の景色の中には男の子が二人いて、ほっと息を吐く。治まりかけていた足の痛みは再びズキズキと脈を打っているけれど、穴から出れたことの安堵の方が大きい。

「あ、あの……ありがとうございました」

 へたり、とその場に座り込んだまま、引っ張り出してくれた彼と綾部くんに向かって頭を下げた。振り絞って出した声は少しばかり掠れていて、彼らに聞こえたかどうかは怪しい。けれど、言い直すこともできなかった。

「……もしも怪しいことをしていたならば、その首を即刻刎ねてやったものを」

 降ってきた声にはっとなって顔を上げれば、暗闇の中、あの人と目が合ったような気がした。綾部くんが手にしているらしい灯りは少し離れたところにあって、私から見たあの人の顔は暗くてどんな表情をしていたのか分からない。微かに虫の声と風の音がするだけの静かな世界に彼の声だけが綺麗に浸透していく。

「あのまま生き埋めにしてもよかった、ということを忘れるな」
「ッ…………」
「その命、繋がっていることを幸運に思え」

 呆然と彼を見上げていれば、ただただ容赦ない言葉が降ってきた。


 ――あの暗闇でひとり、


 彼にとっても、学園にとっても、この時代にとっても、この世界にとっても、正論であろう言葉は私の胸の奥深くをぐさりと突き刺した。じわっと目頭が熱くなったかと思えばぼろっと大粒の涙が零れた。ツゥ……と一筋、涙が頬をつたっていく。

(わかってる)
(ワカッテル)
(ッわかって、る……)

 この人の言っていることが間違ってなんていないことくらい。私がこの世界にはイレギュラーな存在で、不確かな存在で、この学園にとって迷惑な存在だってことくらい。殺されたって全然おかしくないことも。ちゃんと、理解してる。

(わかってる、けど)


 ――カナシイ。


 胸が張り裂けそうだと思った。


 ***


 立花先輩が、あの人をぼくが掘った蛸壺から引っ張り出すのを見ていた。手を思い切り引っ張られた彼女はんぎゃとか面白い声を発していたし、その足が地に着くと同時に顔を歪めたことから、恐らく手を引っ張られて痛かったんだろうし、足も怪我しているんだろうなんてことは容易に分かった。

 彼女は見れば見るほど普通で、特別美人でもないし特別可愛くもないと改めて思う。

 同期の滝夜叉丸たちが、食事時に彼女と話しているのを見ているけれど、不自然なところはない。怪我だらけの指に、裾の酷く汚れた着物を着て、忙しそうに働いているだけだ。それに、授業の合間を縫って蛸壺を掘っている間にも彼女の姿を何度か見かけたことがあるけれど、任されているだろう仕事をやっているだけだった。

 感謝の言葉を述べてきた彼女に立花先輩は容赦ない言葉を浴びせていた。先輩らしいと思った。可哀想なのかもしれないけど、先輩の言うことはぼくにとって最もだと思うからぼくは何も言わない。掛ける言葉も見つからない。

 そのうちに彼女の喉がひくりと鳴ったことで泣いてるんだってわかった。

「……喜八郎、行くぞ」

 声を必死に押し殺してハラハラと泣いているであろう彼女を灯り片手に見つめていれば先輩から声が掛かった。先輩だって気付いているはずだけどあえて何も言わないんだろう。だからぼくも先輩の言葉に頷いて立ち上がるだけ。

 彼女をその場に残してしばらく行ったところで、何となく振り返ってみれば両手で顔を覆っているらしいあの人の姿が見えた。
 一度目を伏せてそっと思う。

(…………西園寺さん)

 ぼくはなにもしてあげられないんだ。


 ***


 ぽたりぽたり。
 この眼から溢れて、重力に従って下へと落ちていくもの。泣いたって何も変わらないのに泣いたまま自嘲的に笑う私はなんて愚かなんだろう。

 助けてもらった。傷つけられたわけじゃない。
 ……それだけでいいはずなのに。
 大丈夫かなんて、些細な言葉ひとつ期待していたなんて。

(……わかってた)
(わかって、た……はずなのに)

 私が怪しいことなんて。ここで温かい待遇をされないことなんて。そんなこととっくに分かってた。彼らの姿が見えなくなっても必死に声を押し殺す私のなんて惨めなことか。

 きっと私が悪いのに。

 好奇心になんか構わないで元来た道をあのとき戻ればよかったんだ。そうしていれば、こんなに悲しくなんかならなかったかもしれない。どうして私はこうも自分で自分を追いつめていくのだろう。顔を覆った腕を伝って涙が着物の袖にしみ込んでは消えていく。

 この感情をどう呼べばいい。


 ――ダレカオシエテ。


 ***


 後輩である喜八郎と何も話すことなく、ただ歩く。我々の間を縫うように吹いた夜風は温度がなく、茂みを微かに揺らすだけだった。
 先ほど留三郎から飛んできた矢羽音に女を見つけたと返したことから、女を捜索していた者たちには既に伝わっているはずだ。

「……先輩」
「…………なんだ、喜八郎」
「先輩は信じてるんですか」
「………………喜八郎」

 喜八郎の、いつも通りの愛想の欠片もない、淡々とした声が耳に届く。喜八郎の問いにしばし考える。あの女を本気で怪しいと思っているのならば、彼女を全く信じていないのならば、あの場で殺していた。学園長先生には止められているが、おそらく実行に移したところで罰は下らないだろう。忍は命令に忠実でなければならないが、臨機応変に事にあたる能力も求められる。そうでなければこの時代、忍として生き抜くことは出来ない。私は優しくなどない。殺さなかったのは、捕えなかったのは――……。

「…………分からんな」
「……そうですか」

 おそらく喜八郎も同じような考えなのだろう。あの女を信じたわけではない、しかしだからといって信じていないわけでもない。

 矛盾したこの感情。

 火の起こし方も分からなければ、怪我だらけの指先、私たちの言動にいちいち傷付くあの表情、罠に気付かないどころか自分で這い上がることもできない身体能力の低さ。あれでくノ一やら間者だと言ったら笑えるに違いない。本業の者達には怒られるかもしれないな。

 私の紡いだ言葉に涙を流した女を想うと少しばかり眉間に皺が寄った。

 心のどこかで誰かが助けてやればとささやかながらも思う。
 私は、傷つけることしか出来ない。


 ***


 涙をひとしきり流し終えたのはいいものの、泣いたという証である瞼の腫れは引かない私の顔は相当酷いんじゃないだろうか。鼻もかみたかった。

(腰は抜けて立てないしどうしよう)

 今夜はここで野宿でもしなきゃいけないのだろうかなんて、ぼんやりと夜空を見ながら、姿を現さぬ月に焦がれる私はかぐや姫のようだと漠然と思った。かぐや姫のように綺麗じゃないし、恵まれた状況じゃないけれど。

「……迎えがきてくれたらいいのに」

 そうしたら迷うことなくその手を取るのに。
 ぽつりと呟いた声は夜の静けさに呑み込まれて消えていった。目を閉じて耐えるも、痛みが消えることはなかった。私だって、好きでこんなところに……っ。

 それからしばらくして、私を見つけてくれたのは土井先生だった。切羽詰まったような声でわたしの名前を呼んでくれた先生にまたもやじわりと熱を帯びた瞼。

(運が、良かったんだろうな)

 土井先生に抱き上げられて抵抗もしなかった私は、私が思っているよりも今日の出来事にショックを受けたらしい。先生の大丈夫かい? という問いに答えた時の自分の顔がどれほど痛々しいものだったかなんて私は知らない。


(崩れた先にあるのは、)

(12/88)
[ もどる ]

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -