雛唄、 | ナノ

08


 私がこの世界に来て、動き出してからというものただ淡々と同じような毎日が過ぎ、早一週間が経とうとしている。この学園の生徒たちの私への態度も変わらないまま、淡々と時間だけが過ぎていく。虚しさも切なさも、寂しさもただ静かに降り積もっていくだけ。

 筋肉痛は引くことなどなく寧ろ悪化の一路を辿り、今では一歩踏み出すだけで足が悲鳴をあげ、腕を少しあげるだけでぷるぷると惨めに震えていた。そのせいで何度か食堂で食器を割ってしまったり、纏めたばかりの薪を落としてしまったりしている。怪我も絶えない。労働はきっと続けていれば、その内身体が慣れてきて体力も筋力もつくのだろうけれど、それまでが辛い。

(……身体が重すぎる)

 朝食昼食夕食時の手伝いに皿洗いに洗濯、洗濯は日によって楽だったり大変だったりと、それから薪割り。それだけでもきつかったのに仕事をやり始めて三日も経つと慣れてきただろうから、と掃除もやらされる始末。おばちゃんの鬼畜、虐めだ、なんて思うも言葉には出来ず私は黙って引き受けた。はっきり物を言える性格だったらよかったのに。

 そうしたら、そうしたら――。
 その先を考えるとキリがなかった。

 毎日これしかしてない。……これしか、というよりもこれだけでいっぱいいっぱいという感じだった。他のことなんかやる暇などないし、他のことといっても何をすればいいか分からない。下手に動けば何を言われるかも分からない私は、言われたことをこなすことでしか時間を潰せない。

 生徒からの視線は、一週間を過ぎようとしているのにもかかわらず、相変わらず痛いけれど、この一週間の間に土井先生にはちょこちょこ会ったりして、一年は組の話などを聞かせてもらったり、ヘムヘムと仲良くなれたりと嬉しいこともあった。

(ヘムヘムは癒しです、癒し……)

 やっぱり時々耳を塞ぎたくなるような言葉も聞こえてくるけれど、疲れすぎるといちいち気にしてなんかいられなかった。痛みに慣れてしまったというのもあるかもしれない。その面では、忙しい現状に救われていた。

「んー…………」

 携帯の充電が五日目で切れてしまったために、鐘の音に気付かず、どうしても朝食の準備に遅刻をしてしまうこともある――そういった時はヘムヘムかおばちゃんがわざわざ起こしに来てくれるのだ――けれど、それなりに上手くやっていた。

 そんなこんなで一週間も経てば徐々に分かってくることもあって、はっきりと名前と顔は一致しないながらも、ある程度生徒のことも分かってきた。思った以上に個性的な子が多いようで、洗濯や薪割りをしていると遠くの方で爆発音や悲鳴、不気味な笑い声が聞こえてきたりする。それらを耳にする度に驚くことが多いけれど、こうして慣れてくるとまたかって思えてくるから不思議な感じがする。

 今日もそうだった。

 着物の袖を捲って洗濯をしていた最中のこと――……。


 ***


(指痛いなあ……)

 ざっくりといったわけではないがやはり疲れた腕でそんなに慣れもしない包丁を握ったためか、何ヶ所か切ってしまったところがある。医務室に行くような怪我でもないから持っていた塗り薬と絆創膏で処置するも水に触れるとやっぱり染みるのだ。

 大体半分くらいを洗い終えたところで、ひとまず洗い終わった服を干そうと思って立ち上がった。

(…………うん?)

 いきなりの地響きに先生のものと思われる切羽詰まった声が聞こえた。

 また誰かが何かやらかしたらしい。
 彼方で繰り広げられているだろう出来事を想像して頬が自然と少しだけ緩んだ。少し緩んだ顔のまま、大分様になってきた手つきで洗濯物を干していけば頭上を何かが通ったのをみとめた。

「………………あ」

 それはひゅーっという効果音を出しながら、私の前方三メートルくらいのところに落下した。思わず身構えるも何も起こらなかったことに安堵の溜め息が漏れる。

(爆弾じゃなくてよかった……)

 そっとその落ちてきたものに近寄って、好奇心でそれを手に取ってみた。

「……輪っかだ」

 落下物はそれはそれは鋭利な刃物でできた輪っかだった。小さい。人差し指でくるくると回せそうな大きさだ。きっと誰かが、投げたのはいいけれど違う方向に飛ばしてしまったのだろう。

 誰か取りにくるかな……?

 忍者の学校ということを考えるとこれはれっきとした武器であることに違いないだろうし、無くなったら困るのではないかと思った結果、私はその輪っかをとりあえず預かることにしたのだった。


 ***


「こんのッ馬鹿ヱ門! 私の輪子が消えたではないか! どうしてくれる?!」
「知らないよ! 大体、お前が勝手にカノコにぶつかったんだろ!」
「は、何を言う! お前がそのようなデカブツをここに置くのが悪いに決まっておろう!」
「デカブツ!? っこの! レディに失礼だろ! お前にはカノコの素晴らしさが分からないんだ! 戦輪なんか用具室にたくさんあるんだから新しいのをもらえばいいだろう!?」
「新しいのをもらえだと!? お前には輪子の素晴らしさが分からないのか!」
「分かるわけないだろ!? それよりも僕のカノコに傷が付いたじゃないか! どうするんだよッ!」
「ふたりともうざ――……」
「まあまあまあまあ! ね? 二人とも落ち着こう?」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ年下の同期二人に、無表情のまま何かを言おうとした喜八郎くんの口を間一髪でふさぐ。二人に聞こえたらこっちにも飛び火しちゃう。

「「だって、こいつが!!!」」

 わあ、息ぴったり。

「「……………ッ」」

 言葉もないようで睨み合う二人には毎度のことながら苦笑するしかない。間を置いて、再び言い争いを始めた滝夜叉丸くんと三木ヱ門くんから視線を外して、先ほど悲鳴があがった方向を見た。

(あっちでもなんだか何かやらかしちゃったみたいだしなあ……)

 土井先生と山田先生らしき悲痛な叫び声が先ほどから聞こえてくる。もごもごとしている喜八郎くんに気付き、ごめんごめんと苦笑して手を離してやれば、その喜八郎くんは目の前で繰り広げられる喧騒を無視してすぐにどこかへ行ってしまった。相変わらず気まぐれなんだからもう。

(先生を呼んでくるしかないかなぁ?)

 ぐだぐだと続く口論を前に自分になす術はないことは既に学習済みだった。



「ねえ、きて」



 お風呂も上がり、布団を敷いてごろごろしようと思っていた時だった。
 月明かりの下で障子戸に僅かながら影が映ったのだ。目を凝らせば意外にもくっきりと映るその影はあちこちを見て回っているようでちょっと怪しげである。

(……なにしてんのかな)

 学園の生徒内には夜中に自主練をする者もいると聞いたけれど、わざわざ客室の前までくる必要があるのだろうか。見廻りや見張りの人ともまた違うようだし……何をしているんだろう。疲れた体を無理矢理動かして好奇心のまま障子戸に近づく。隙間風が肌を撫でていった。

 そぅっと戸を開ければその怪しげに蠢く影は何かを探している様子で、その様をしばらく見ていればその子が泣きそうな声で「輪子……」と呟くものだから、

「りんこ……?」

 思わず呟いてしまった。
 影の主がばっとこちらを見た。

「「………………」」

 私も影の主も固まってしまったようで、ざわざわと風が木々を揺らす音が私たちの間に流れる静寂を通り抜けていった。な、何か口を開いた方がいいのかなと言葉を探していれば、口を開いたのは影の主の方が先だった。彼の側が逆光のせいで顔はよく見えない。逆に彼の方からは私の顔がはっきりと見えているだろうと思う。

「あなたは確か……」

 食堂で、という声に頷く。
 私の方へと彼が近寄ってきたことで先程よりはっきりとした彼の顔。……美少年だった。再び、さっと駆け抜けた風が今度は私と彼の髪を揺らしていく。

「ここで生活なされてるんですよね?」
「え、あ、えっと……はい」
「では、このような戦輪を見ませんでしたか?」
「これ、どこかで……」

 目の前に差し出されたモノに、見たことがあるような……と首を傾げて、はたと気付く。

「ッああ! 拾った!」

 その言葉に彼は一瞬きょとんとしたかと思うと本当ですか!? と喜々とした声で叫んだ。思わずしーっと指を口にあててみせれば彼は夜中だと思い当たったようで、すみませんと言葉を落とした。
 拾ったものの、そういえば、忙しさに追われてすっかり忘れていた。確か、室内に置いたはず。ちょっと待っていてと告げて室内へ戻る。確かここらへんにおいたような……。

「ん、あった」

 それを片手に縁側に戻って彼へと渡したところ、

「輪子、無事で……!」

 ありがとうございます! とその子が笑みを浮かべたものだから、つられて私も微笑んだ。持ち主が見つかってよかった。
 この子はあんまり怖くないな、と輪子さんに何やら話し掛けている彼を見て思っていれば、輪子さんとの再会をひとしきり喜んだ後で彼にじっと見つめられ、何事かと瞬く間にも相手との距離が縮んだ。手を伸ばせばその身体に触れられそうなくらいの距離だった。

 綺麗な男の子だと、思った。


「――私は平滝夜叉丸と申します。滝夜叉丸とお呼び下さい。貴女の名を、伺ってもよろしいですか?」


 何を言われるものかなと、ちょっとだけ身構えてしまった私に降ってきた言葉は予想外のものだった。目の前の男の子が言った言葉の意味を考えて、そして目を瞠った。名前を――名前を、教えてくれた。この子は名前を、私の名前を訊いてくれた。
 それからどうにか声を絞り出した。だって、だってまさか私の名前を訊いてくれるなんて思ってもいなかった。生徒と思われる子と言葉を交わしただけでも驚きなのに。

「ぁ……西園寺雛、です」
「……貴女が未来からいらっしゃった、というのは本当なんですか?」

 その問いに身体が無意識のうちに震えた。膝の上に置いたままの手をきゅっと握り直す。合わさったままの瞳。流石は忍者のたまごと言えばいいのだろうか。目を逸らせない。逸らせなかった。逸らすという行為自体がその視線だけで制されていた。

「………………っ」

 言葉を発さない私に、対する目の前の男の子は何も言うことなく私の言葉を待っている。雲が何度も流れて、星空が姿を隠しては姿を現す。口を開きかけては閉じてを何度か繰り返したところで一度強く目を瞑った。
 目を開けた先には、私を凛とした瞳で射抜く人間が一人。震える唇を、きゅっと結んで、小さく開く。

「ッそれは――…………」

 しどろもどろになりながらも、自分の身に起こった出来事を話している間、目の前の男の子は口を挟むことも、茶化すこともなく真剣に聞いていてくれた。

「――……みたいな、感じです」

 話の最後を苦笑と共に閉じれば、しばらく見定めるような眼で私を見ていた彼がふわりと笑った。それはとても綺麗な笑みで、目を瞠る。瞠って、しまう。そんな綺麗な笑みを、そんな瞳を向けられるのは、ここに来てから初めてのことだった。

「私は貴女を信じようかと思います。嘘を吐いているかいないかくらい分かりますから。なんと言っても、私は成績優秀眉目秀麗、戦輪を扱えば忍術学園ナンバーワンの平滝夜叉丸です! 私の目に狂いはありません!」

 ふははと笑った男の子を見て、息が詰まる。目を見開いたまま固まった私に、もう一度、彼、滝夜叉丸くんは「私は信じます」と言葉をくれた。笑顔をくれた。強い言葉だった。どこか夢心地な気分のまま、ぎこちなく頷く。頷いてから、気付く。

(ああ、嬉しいんだ)
(……嬉しかったんだ)

 それからというもの私に気を許してくれたのか、滝夜叉丸くんはベラベラと話し出した。色んな話を、私の知らないセカイのことを。

 話を聞いていて分かったのは、滝夜叉丸くんは四年生でミキエモンというライバルがいるらしいこと。自分が如何に素晴らしいかというナルシストな発言が大半を占めていたけれど、自分に自信がある人は嫌いじゃないし、現に滝夜叉丸くんはとても綺麗な顔をしていたから嫌な気分にはなることはなかった。寧ろ、ここでこんなにも明るく私に接してくれる人なんて初めてだったから、本当に嬉しくて喜々として聞いていたものだ。そんな私に、一通り話をし終えた滝夜叉丸くんはどこか不安そうに聞いてきた。

「……私の話、聞いていて苦ではありませんか?」
「え、どうして……?」

 逆に聞き返せばもごもごと、皆は……などと言うところを聞くにナルシストな発言をし過ぎて引かれてしまうらしかった。少しでも自覚しているだけ、良いんじゃないかなあと思って少し笑えた。世の中には全く自覚していない人だってたくさんいるだろうに。

(普通は引くかもねぇ……)

 でも。

 「皆、私の魅力が……」とか「私の頭脳に嫉妬して……」とかぶつぶつと言い続ける彼に思わず笑みが零れる。……可愛いなあ、もう。


「――滝夜叉丸くん」


 教えて貰った、呼ぶことを許して貰った名前を紡げば滝夜叉丸くんはこちらを、私を見てくれた。それに少し泣きたくなったけれど、そんな気持ちは呑み込んで、何ですか? と口にした滝夜叉丸くんの頭をぽんぽんと軽く叩いた。そうした後で、自分のしたことに気付いて手を素早く引っ込めた。……つい、癖で。嫌な気持ちにさせてしまっただろうかと不安げに滝夜叉丸くんを見れば、滝夜叉丸くんはぽかんとしたかと思うと、次の瞬間にはふんわりと柔らかく笑ってくれた。

 笑って、くれたのだ。

「ッ……!」

 どくんと音を立てた心の臓。

(うわぁ……美人……!)

 そろそろ自室に戻ります、と滝夜叉丸くんに告げられ名残惜しくも手を振って、

「――雛さん」

 今度は私が彼の呼びかけに応えれば、何でもありませんという少し気になる言葉が微笑みと共に降ってきた。淡い月光に照らし出されたその微笑みは美しかった。

「……ただ、呼んでみただけです」

 私がその言葉に瞬きをすれば、彼は今度こそ私に礼儀正しくも頭を下げて姿を消した。月明かりの下で消え去った後姿の影を見つめて、私は確かに「人」に出逢ったのだと、思った。


 ――私を、否定しない人に。


 ***


 上機嫌だ、今の私は。

 何故かなんて理由は先ほど出逢った彼女にしかない。愛しの輪子は戻って来たし、私が満足するまで話を聞いてもらえたし、彼女がどんな人なのかもおおよそ把握できた。嬉しくないはずがなかった。先輩方に反発するわけではないが、やはり百聞は一見に如かずだということだ。こんなことなら、もっと早く彼女に接触しておくべきだった。

 未来。遠い未来から彼女はやって来たのだという。
 嘘か真か。
 ……私は信じよう。彼女のことを。彼女の話を。彼女が、未来からやって来た人であるということを――。

 去り際に彼女の存在を確かめるべく名前を呼べば、彼女は確かにそこに存在していた。夢幻などではない。ちゃんと彼女は生きていて、ここにいるのだ。彼女の不思議そうな表情が印象に残って、頬を僅かに緩めながら自室へと歩を進める。

「……雛さんか」


 ――彼女は、私を否定しなかった。


(それはきっと)
(否定される怖さを知っているから)


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