雛唄、 | ナノ

07


 ぼんやりと聞こえてきた、ゴーン――……という鐘の音。
 まだ寝ていたいと訴える身体が重く感じるも、うっすらと目を開ければ畳が、それから木で出来た天井が見えた。障子戸から光が差し込んで、室内を白く染めていた。

 今、何時だろうかと携帯で確認すれば、六時を少し過ぎたくらいだった。
 真っ暗になった画面を見て、ひとつ息を吐く。
 明け六つに鐘は鳴るらしい。
 何でも季節でその明け六つの時刻は変わるのだとか。

 もう一度、携帯を開いて、鐘で起きられなかった場合を考えて設定していたアラームを切った。起きられてよかった……。朝食の手伝いの時間には間に合いそうだ。ここの生徒たちは朝食の前に早朝演習という授業があるらしいから、生徒たちと同じく起床の鐘の音で起きてそれから準備をすれば十分、朝食の時間には間に合うのだと食堂のおばちゃんは言っていた。明日からもこうやって鐘の音で目覚められればいいんだけどな。アラームを設定できるのもこの携帯の充電が切れるまでだ。起きられなかったら、なんて想像もしたくない。

 欠伸をひとつ零して猫のように体を伸ばす。睡眠時間約八時間。障子戸を開ければ爽やかな外の空気が室内に流れ込んできた。

(……夢じゃないんだよね)

 こちらで目が覚めて動き出してから、一日が経つも実感はやはりよく湧かないままだ。痛いほどに分かるのは全身が酷い筋肉痛に襲われているということ。普段使わない筋肉を一度に長時間様々なことに使ったのだ、筋肉痛にならないわけがなかった。ただでさえ普段からあまり動くのは好きじゃないから運動だってしないのに。

(昨日の私頑張った……)

 筋肉痛を少しでも和らげるために軽くストレッチを行って、寝巻から小袖へと着替える。髪を結んでから顔を洗うため井戸へ向かった。一歩足を動かすだけでふくらはぎが痛い。もう一度屈伸をして、気合いを入れた。

 今日の仕事は、昨日と同じように食堂でおばちゃんの手伝いと洗濯と薪割りだった。

(……朝食時をどうにか乗り切ってさ、皿洗いをし終わったのはいいんだよ)

 酷い筋肉痛にどうしたらいいのかも分からない。こんなことなら、普段から家事を手伝うとか運動するとかしておけばよかったと後悔するも遅い。もう筋肉痛は仕方ないと割り切って、だ。問題は目の前にある洗濯物。

(赤黒いんですが、どういうこと?)

 頬が引き攣るのも仕方がないと思う。
 血であろうものがべったりと付着してる忍装束を目の前にしてどうしろと?

(何してんのとかは聞かない、聞かないよ。聞かないけどさ……! 血ってどうやって落とすの? え? この石鹸だけで落とせるものなの?!)

 頭を抱えてしまう。

(おばちゃんは買い物行ったし……)

 一番近い町で今日は市があるらしく、今朝もおばちゃんは颯爽と出て行った。
 今日は昨日と違い、何故か洗濯物の数が十枚程度に減っていたため昼食前に終わると嬉々としていた先ほどまでの私は一体なんだったのか。

(血つきってどうなの……)

 傍から見たら、ブツブツと独り言を言っている、危ない奴に見えたかもしれないなあなんて他人事のようにほんの少し遠い意識の中で思う。じゃぶじゃぶと水洗いから始め、石鹸を使うときとなると腕が痛くてあがらなくなってきた。

「…………っああもう!」

(なんでこんなに頑張ってんのかな……)

 誰も知り合いもいないこの世界で、快く受け入れられるようなヒロイン要素もなくて、体力も筋力もそんなになくて、自分から打ち解けようとすることもできなくて……考えれば考えるほどネガティブな思考に陥っていく。うだうだ考えていても仕方ないのは分かっているし、確かに非日常というものを私はどこかで求めていたけれど。

「あーあ……」

 これが、悪夢だったらいいのに。
 溜め息は誰に拾われることもなく、ただ空気に溶けていった。


 ***


「そういやさぁ、先輩たち言ってたじゃん?」
「んー?」

 始業前、一年は組にて。

「あの女の人、なんだっけ……えーと」
「雛さんでしょ。おばちゃんがそう呼んでたからね」

 隣の乱太郎がなんでそんな話題を出すのかといった目で俺を見てきた。

「先輩たちがすっげー警戒してるじゃん。あの人そんなに危ないと思うか?」
「んー……よくわからないけど、先輩たちの話だと、あの人を信じるか信じないかは自分で判断することだって言ってたでしょ?」

 そういえばどこの人だとか素性がまったくわからないよねえと乱太郎が呟く。先輩たちも詳しいことについては教えてくれなかった。スリルとサスペンス、つまり事件の匂いがするとすぐに首を突っ込みたがる一年ろ組の鶴町伏木蔵がそわそわしていたけど、それも先輩方に諌められてたし。まあ、ここにいればきっと嫌でもあの人についてこれから色んな噂が聞こえてくるだろう。

「でもよく働いてたよね」
「ね」

 しんべヱの言うことは最もで、あの人は頑張って働いてた。時々おばちゃんに怒鳴られてたみたいだけど。

「素性はわからないけどさ、食堂の当番なくなったのはよかったよね」

 あの人がいるから今まで当番制でやっていた食事時の手伝いをやらなくていいとおばちゃんに言われ、言われたときは皆で大層喜んだものだ。俺もこれでタダ働きしなくていいのかと思うともう、うっはうは!

「きりちゃん、目がお金になってる……」
「で、乱太郎としんべヱはどう思う?」

 二人は、んーと数秒考えたあと、言い方は違えどまだわかんないと返してきた。

(ま、俺もわかんねーけど。はっきりするまでは先輩についてたほうがいいよなぁ……)

 他のは組の生徒に聞いてみても答えは同じだった。
 始業を告げる鐘の音が聞こえる。



「ねえ、といて」



(血がおちません……)

 その旨を昼食時におばちゃんに伝えれば、今日の午後は何の予定もないからと洗濯の残りはおばちゃんがやってくれるそうだ。それなら、最初から私にやらせないでほしかった……。かくいう私は昼食時も過ぎ薪割りをしているも、ものすごく腰が痛い。勿論、腕も痛い。あまりの痛さに唸りたい。

(私まだ十七ですよ、腰痛とか……)

 湿布などもまだ普及していないであろうこの時代。リンス等があるからにはもしかしたら存在するかもしれないけれど、如何せん私は居候の身。湿布をもらうなんておこがましいことはできそうにもない。だから、自然に回復するのを待つしかないと思うも、それにしても痛い。

(……多く、ないですかね?)

 目の前に広がる薪の山。
 量としては昨日と同じくらいなんだろうけれど昨日と今日とでは感じ方が全然違う。昨日は私のやる気が異常だったんだろう、きっと。初日ということもあって筋肉痛もなかったし、体力も今日よりはあったんだ、絶対。だからか、今は目の前の薪がものすごく多く感じてしまう。

(昔の人も毎日お風呂入るんだっけ……? それとも、ここの人たちが特別そうなのかな……)

 これで衣食住が保証されるのならば安いほうだと、そう思っていなければ続けられるわけがない。食べたくても食べ物がない人たち、家がない人たちのことを思えば私の今の状況なんかはまだ全然楽、楽な方だと言い聞かせて体を動かす。大丈夫、まだ全然大丈夫。みしり、と骨が軋む音がした。

 少しして、終業を告げる鐘が鳴り響いたのを聞いた。


 ***


 しばらくしてようやく薪も割り終わり、割った薪を整理していた私の元に彼がやってきた。斧が地面に突き刺さっている。

「やあ、雛ちゃん。お疲れさま。……大丈夫かい?」

 私の顔色を見て、少しばかり表情を歪めた土井先生に「大丈夫ですよ」と私は嘘を吐いた。その嘘を先生が見破ったのかどうかは分からない。
 土井先生が持ってきてくれたお茶を近くの縁側に座って飲みながら彼の話を聞けば、今日は珍しいことに彼が担当している一年は組の補習がないため時間ができたとのことだった。

「だから学園内を少し案内しようと思ってね」
「……じゃあ、お願いします」

 疲れているようなら別の日でも良いんだよ? と優しく労わってくれる土井先生に、ふんわりとした穏やかな気持ちが生まれた。大丈夫です、と先ほど吐いた嘘よりも本音に近い言葉で笑って頼めば笑っていたほうが可愛いね、なんてお世辞にも言われて柄にもなく照れてしまった。

(うぅ……イケメン……!)

 忍術学園は、忍たまとくのたまに分かれていてそれぞれ教室も長屋も隔離しているらしい。だから忍たま用とくのたま用の風呂場も正反対の方向にあって、その間の距離も半端ないのだと気づく。
 それから、競合地域とよばれるグラウンドがあってここには生徒たちが面白半分で独自の罠を仕掛けているから近づかないほうがいいとのことだった。実際にグラウンドのあちこちに穴が空いているのを見たから素直に言うことを聞いておこうと思う。

(落ちたら這いあがれる気がしない……)

 あとはお世話になっている客室や食堂、学園長先生の庵に池に生徒と教師が住む長屋、事務員さんのいる建物に医務室、そしてヘムヘムがつくという大きな鐘台。建物としては大体こんな感じで、他には動物小屋もあったなぁなどと先生は呟いていた。なんでもその動物小屋にはちょっとえげつない動物がいたりいなかったりするので気をつけてくれとも言われたものだ。

「ここは広いからね、今日は全部は案内しきれないんだが少しずつ案内するよ。とりあえずくのたまがいない今は必要以上にくのたまの領域に行くとバレた時に山本先生がうるさくて……」

 ははは、と乾いた笑いをする土井先生にその山本先生というのは怖いのかと思ったりした。でも、これだけ案内してもらえれば十分な気がする。生徒でもない居候の私が学園内をあっちこっち移動することなんてきっとあまりないだろう。

 移動中に聞いた話によると、この学園は一年生から六年生まで学年があっていろはの三組ずつの構成だという。一年生の年齢を問えば十歳だと返ってきた。ひとつ年があがるごとに学年もあがるとのこと。一人、四年生に十五歳の子が混じっているらしい。

 大体説明してもらったところで夕食の準備時刻になりかかっていたため、お礼を言って立ち去ることにした。去り際にぽんっと頭に乗せられた手に、子供じゃありませんとの意味をこめて先生を見れば、私の心情を察したのかくすりと笑われた。その笑みに少しだけ、安心して、それから、それから……、少しだけ泣きたかった。


 ***


 夕食の時に印象的だったのは、緊張の中、おかずとして出す予定だった冷奴が切れてしまったので違うおかずになると伝えたところ「えええええ!?」と大きな声を出した青色の服を着たこれまたとても綺麗な顔をした少年だった。

 彼のあまりにしょぼくれた姿を見て、おばちゃんが私用にと取り置きしてくれていた冷奴をあげることにしたのだ。その時の彼に犬の尻尾が見えたのは気のせいじゃなかったはず。彼はヘイスケという名前のようだった。彼の友人と思われる人の「いくら豆腐が好きだからって……」と零した声が聞こえて、その次に続く言葉は想像するに容易かった。

「毒なんか入れるわけないのに……」

 毒なんて、どうやって手に入れる物なのかさえ分からないというのに。

 鋭利な視線は、なるべくそちらを見ないで、その視線に気付かないようにしていれば、そこまで痛くはない。ただ、時々聞こえてくる言葉は、作業をしていれば耳を塞ぐこともできなくて、心の奥を抉っていく。言葉は見えない刃にもなるというどこかで聞いたフレーズを思い出した。本当にその通りだ、とふっと苦笑を浮かべる。

 でも、そんな息苦しさをも吹っ飛ばすくらいの大きな声で、私が冷奴を上げた男の子の「美味いっ!」という声が聞こえてきたから、あげてよかった……かな、なんて。

 人知れずそっと微笑んだ。


(見定める視線)

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