you Just for me. | ナノ

× I could have cried.


逢いたい。そう思ったこともあって、いや、確かに今もわたしはあの頃の「私」を知っている人たちとできる限り関わりたいとさえ思っている。逢いたい、と思っていた。思っている。けれど、それと同時にもう二度と関わりたくないとさえ感じていた。感じている。そのどちらの感情にも嘘偽りはない。……ないんだよ。


わたしがあの教室を出た先の曲がり角で「偶然」ぶつかったひとは逢いたくて逢いたくて逢い、たくてどうしようもなかった人、で。けれど、逢いたくないともう二度と関わりたくないとも思っていた人、で。

相手が悪い、とぶつかったことに対して謝ってくれたのだからわたしも謝らなければと思うのに。ひゅう。窓から吹き込んだ季節の変わり目を知らせる風にぶるりと鳥肌が立つ。指一本動かせずにいるわたしを気にも留めないで彼は歩みを進めようとした。わたしの意思に反して身体は言うことを聞かないはずが、その瞬間、彼がわたしを街ですれ違ったどうでもいい他人のように扱ったその瞬間、胸のずっとずっと奥底がぎしりと音を立てて歪んだ。


「――…………ぁ」


憶えていない。

彼が私のことを憶えていないことなど、もうとっくに知っていた。知っていたのに。だから、別にいいの。いいの、に。どうして、息ができないの。ざあっと脳裏をよこぎったあの時の映像。彼が私の隣を歩いて、私を気にかけて、私の名前を呼んで、私に笑いかけてくれた時の映像。彼との距離が開くことに比例するかのようにその映像も徐々に消えていく。消えて、しまう。


「三郎っ!」
「雷蔵、走るとさっきの三郎みたいに人にぶつかっちゃうよー?」
「ぅえ!?わぁっ!ご、ごめんね!」


再びこの身に走った衝撃。数歩よろけてはっと我に返った。目を見開く。


――ふわく、ん


あの時と同じように彼と瓜二つの容姿をした人。何か言わなきゃと思うのに、先ほどと同様に唇が微かに震えるだけで何も音にならない。無意識のうちに掌をぎゅうっと握りしめていた。


「ほら、言わんこっちゃない。勘ちゃんの言う通りじゃん」
「雷蔵は急ぎすぎだっつの」
「三郎が先行くから悪いんじゃないか?」
「大丈夫?ごめんなさい、三郎も雷蔵もドジで」
「ドジとはなんだ、柏木。雷蔵はドジかもしれないが私はドジじゃない」
「じゃあ、なんだっていうのよう」
「……少し、注意力が欠けていただけさ」
「そういうのをドジって言うんだよーだ!」
「……ふん、雷蔵行くぞ」
「え?あ、ま、待ってよ!三郎ってば!あ、えと!ほんとぶつかってごめんね!怪我ない?」


不破くんの言葉に微かに頷く。わたしの頷きを見とめたのか、不破くんは最後にもう一度謝罪の言葉を口にしてから彼の後を追っていった。わたしから少し離れたところで歩みを止めたらしい彼。彼を追っていく不破くん。それから聞き慣れていたはずの声がみっつ。忘れたくても忘れられない私にとって大事だったひとたちの声。そして彼の名前を、不破くんの名前をさも当然かのように呼び捨てにした女の子の声。


(……柏木、さん)


鉢屋と不破くんと、竹谷と久々知くんと尾浜くんの五人と一緒にいることで有名な女の子。可愛くて明るくて性格も良いことでも有名な彼女。柏木佐保さん。竹谷の幼馴染らしい。わたしとは、何もかもが正反対のひと。わたしの横をすっと通り過ぎていく面々に静かに目を伏せた。そうすると、まるで切り取られた空間に、わたしとあの楽しそうな微笑みだらけの六人だけが存在しているような錯覚に陥った。

なんて、虚しい。

あまりの虚しさにふっと自嘲の笑みを浮かべた。誰も誰も誰も憶えていない。もうあの場所は戻ってこない。柏木さん、貴女のいる場所はね、前は私の場所だったんだよとそっと胸の内で訴えるも、それすら虚しさをただ増幅させるだけだった。


「………………ッ」


ぎゅうっと握りしめていたままの掌を緩やかに解いて、その手に視線を落とした。少し伸びた爪先が食い込んで痕になっている。白い手。あの時の私の最期は全てが真紅だったなあと他人事のように思い返した。死ぬ前も、誰かの血で既に赤に染まってしまっていた手。誰かを傷つけた手。こんな白い手じゃなかった。

こんな綺麗な手じゃなかった。


「……大丈夫さ。例え、その手がその足がその身が汚れたとしてもお前はお前だろう?」


欠片が降ってくる。
温かな記憶の欠片がこの手の内に。

無くさないように刻み込んで、ひとつ深呼吸。後ろから聴こえてくる微かな笑い声や話し声を頭を振って、意識からどうにかして追いやる。そのまま、わけのわからない衝動のまま駆ける。駆けて駆けて、駆けて。


「廊下を走るなー!」


教師の怒鳴り声にびくっと肩を震わせて、小さくすみませんと口にして、先ほどとは打って変わってゆっくりとした足取りで廊下を進む。放課後でがやがやと煩い廊下。同じ制服をその身に纏った人たちがたくさんいて、わたしもその中の一人と化す。紛れていく。


「萩ちゃん、さっき食満先輩来てたよー?」
「留先輩が?」
「うん。萩ちゃん来るの待ってたらどうですかって言ったんだけど、いいって言って帰っちゃった」


自身が所属する教室に辿り着いて、掃除が終わったらしいその場所から荷物を取ろうと席へ向かう途中で掛けられた言葉。何か約束をしていたわけでもない。念のため携帯を確認してみるも、メールも留守電も入ってなかった。留先輩が教室にアポなしで来るなんて、どうしたんだろう。

教えてくれたクラスメイトに笑みを浮かべて礼を告げる。顔に貼り付けた笑みとは裏腹にどくどくと未だに早鐘を打ち続ける鼓動に慣れとは恐ろしいものだとつくづく思う。笑えるような心境ではとてもじゃないがないというのに、作り笑いをするのは慣れてしまって、笑みを浮かべられるのだから。


(くノ一を目指していた私には簡単な事だけどね)


好きでもない男に媚びを売って、嬉しくもない言の葉に笑顔で礼を告げて、したくもないことを平気な顔を浮かべてこなして、そうやって生きていた。そうやって生きていたのだから、今更慣れが恐ろしいと考える自身の思考に呆れてしまう。慣れなければ、到底生きてなどいけなかった。慣れなければ、平気なふりをしていなければ、それが例え嘘であっても、それが例え虚勢であっても、そうしていなければ「私」は「私」でなどいられなかったに違いない。

この世界でも、きっとそう。


「――だから、大丈夫」


平気。苦しくない。傷ついてなんかない。切なくない。悲しくない。寂しくない。辛くなんかない。そう思っていないと、「わたし」は「わたし」じゃいられない。だから、大丈夫。大丈夫なの。鞄の中から取り出した留先輩と伊作先輩とわたしが写った写真を見つめて、小さくそう言葉を零した。

留先輩と伊作先輩が消えて、わたしの周りに群がる五人の姿が一瞬浮かんで、ぱっと泡が弾けるように消えてしまった。ばかなひとね、わたしは。今、あの五人に囲まれているのはわたしじゃない人なのに。想像するだけ虚しさが積もるだけなのに。目をすっと細めて少しばかり乱暴に写真を鞄に押し込めてチャックを閉めた。


(期待なんか、しない)
(悲しくなんかない)
(……すき、なんかじゃ)


好きなんかじゃ、ない。そう考えた瞬間に、がたがたと音を出して震え始めた心。暴れるそれを無理矢理押さえつけて、言い聞かせる。言い聞かせないと、いけない。パンドラの箱は開けてはいけない。ぎしぎしと軋むワタシにわたしはただただ強く唇を噛み締めた。


I could have cried.

泣きたいくらいだった


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