you Just for me. | ナノ

× I won't forget you.


最後に解き放ってしまった禁忌をアイツはどう思ったんだろうか。変わってしまうと、崩れてしまうと、歪んでしまうと思っただろうか。死の間際。聞こえたか、届いたかすら怪しいけれど。思考を巡らせることさえもう出来なかっただろうとは知っているけれど。それでも、もし、届いていたのならアイツは何を思いながら瞳を閉じたのか。言葉ひとつ。捧げた想いひとつ。

今はもう、たった二文字の言葉からお前は解き放たれましたか――。



春や夏に比べて短い冬休みもとうに明け、一月の半ば。学内におけるひとつ上の学年で一部の他大学へ進学する予定の者たちや彼らを指導する教師の間では、先のことに対する不安や緊張からかピリピリとした空気が張り詰めており、それぞれが慌ただしい日々を送っているようだった。この学校へ通う大半の者が系列の同じ大学へとエスカレーター式に進む中、いわゆる受験競争に振り落とされぬよう、足掻いているのか。自身の手の中にある赤本を何ともなしに眺めながら、どうしたものかと思った。表紙には有名私立大学の名前。

今度こそ、逃げてしまおうか。
二年前出来なかったことを、今度は。いつまでも弱さに甘えてもいられない。そう考えると、大学進学というのは良い区切りなのかもしれなかった。
 

「三郎!」


掛けられた声。僅かに弾んでいるそれ。頬杖をついたまま、少しだけ顔を動かす。見れば、声の主である柏木に八左ヱ門、兵助、勘右衛門といつもの面々が揃っていた。放課後の教室に残っている何人かの生徒が途端に色めき立ったのを肌で感じた。兵助と勘右衛門の人気はさることながら、私たちが揃うことに価値があるらしい。ここに雷蔵がいたなら、その価値は更に上がるのだろう。

椅子に座ったまま何も言わないでいる私を気にすることなく、奴らは勝手に人の周りに集っては喋り出す。いつものことだ。八左ヱ門と柏木の二人が一組に兵助と勘右衛門に会いに行って、そして四人揃ってこの二組に戻ってくる。おかしなことにも私と雷蔵、八左ヱ門の三人と、兵助と勘右衛門の二人はそれぞれがずっと二組と一組で、年少の頃から変わらない。……変わらない。ろ組とい組でずっと変わらなかったあの頃と同じ。

私と雷蔵抜きで話していればいいだろう、と一度言ったことがあった。それに返ってきたものは――。


「うわ、もう赤本なんて手にしちゃってんのー?」
「ここの大学にこのまま進むんなら赤本なんて要らなくないか?」
「だよな。俺、赤本とか拒絶反応出そう」
「三郎のことだから、自分の実力試しに色んなとこ受けるんじゃなーい?」
「えー、でもそんな面倒なことするー?」


――進むところ決まってるのに。


その言葉に一瞬、眉間に皺が寄った。さも当然のように、そんなことを言ったのは花のような女。柏木佐保。意味もなく、手にしている赤い本をパラパラとめくる。適当なところで止めた一ページ。それを上から覗き込むようにしてきた柏木を見れば、目が合った。途端に、小さく顔を綻ばせるものだから努めて自然に視線を外した。瞼を伏せる。

教室内の暖房が強まったのか、あたたかな風が身体を撫でるように吹いてくる。談笑する声。今日は一段と冷える、先程見た外も雪がちらついていた。


――なんか、六人がいいなって。


二人でも自然、三人でも自然、五人でも自然。けれど、出来るだけ六人がいいのだと言葉が返ってきたことを思い出す。何故。分からない、でも「前から」そうだった気がするという曖昧な感覚に頷いたのは四人だったことを憶えている。私と柏木を除いた、四人。

なら、どうして、思い出さないのか。

六人でいたことを憶えていて、どうして、違うことに気付かない?どうして、その輪からアイツが外れて、柏木がいる?……問うたところで答えはなく、考えたところで今が変わるわけもない。現実を受け止めるべきだ。受け止めていた、はずだった。前世などという自分以外証人の見つからない不確かな記憶を持っている方がおかしいのだと思うべき、だった。

それが出来ないのは、偏にお前たちが、アイツが近すぎるから。そして、離れられない自らの弱さのせいだ。弱さにすがる、甘えだった。


「あたし――、……三郎が好きなの」


そう言った柏木。そうか、とだけ返した私。言葉にされる前から柏木の想いに気付いていた。自身がその想いに応えられないことを知っていた。人は、心は、想いは変わる。変わっていく。それでも、柏木の想いに応えることは一生ないだろうと思っている。縛られたままで、囚われたままで、それでいい。だから、柏木に先を促すことはしなかった。私を好いている、なら、どうしたいのかと訊かなかった。

今、自身の横で友人たちと楽しげに言葉を交わす花降りの女は愚かではない。「昔」からそうだったように。その先を提示したのは、二週間程前の自分自身だった。付き合ってもいいと告げたのは紛れもない自分自身だった。

そう告げた時の柏木は本当に嬉しそうで、刺さったのは何だったか。……想いが叶ったのなら、嬉しいと思うのが普通なんだろう。好意を寄せる相手から同じように想いが返ってきたのなら、そう思うのが。


「はい、三郎もどーぞ!」
「……ああ」


ゆっくりと開いた目の先に見るからに甘そうなチョコレート菓子。差し出しているのは当然のように柏木で、ちらっと見上げれば、嬉しそうな表情が見て取れて遠ざけたくなった。柏木の隣で、その女を切なげに射抜く瞳があるなら余計に。

机の上に置かれた幾つかの菓子のパッケージには冬期限定!の文字が書かれている。どれもこれもきっと勘右衛門が買ったものだろう。勘右衛門が限定商品に弱いのも変わらず、だ。前世でも菓子の類に目がなかった勘右衛門。奴に付き合う形でよく町に降りては限定商品を共に購入したものだ。兵助は変わらずに豆腐が好きだし、八左ヱ門は変わらずに生き物の類が好きだ。雷蔵は今も迷い癖が治らないままで、好きな物もあれもこれもと定まらない。


(いっそ別人だと言えるほど違っていればいいのにな)


そうであったなら、きっと――。
もし、たられば、のオンパレードが事あるごとに沸いて出る。意味などないと、無駄だと知っているくせにその仮定にすがり慰めを乞う。情けない話だと笑ってしまいたかった。

頬杖をつきながら、もう片方の手で手にしたチョコレート菓子を口の中に放り込む。適当に噛み砕いて呑み込んだ。

うっすらと灰色の外。白く反射する地面が、景色の明度を上げている。はらはらと、白が落ちてくる。はらはらと、主張することなく、ただ静かに。あたたかな教室。窓の外とはどれくらいの温度差があるのか。

アイツに好きは禁忌だった。


「怖いよ、鉢屋」
「変わってしまうのは、……怖い」



私がアイツと、冬野萩と出逢ったのは、あの温い優しさで満ちていた学園へ入る二年と半年程前の秋のことだった。萩は私が生まれ育った里の者ではなく、里の者が引き取った所謂よそ者だった。子どもとはいえ、よそ者だと里の大半の者が萩のことをよく思っていなかった中で、私の父は萩に知恵を授け、優しく接していた。幼心に父を慕っていた私がそれを快く思っていなかったことを憶えている。それに加えて、いとも容易く、明確な理由もなしに「私」を見つけてくるものだから、心底不愉快だったことも――憶えている。

疎んでいた相手。
変わったのは、あの日だ。


(……忘れるはずもない)


戦国乱世と呼ばれた時代、敵の偵察や情報収集といった諜報活動を主な仕事としていた忍の者たち。そういった任務を行う上で必要とされた変身・妖者の術。その術を得意とした父を師に、私は、幼い頃から常に誰かに化けて生活していた。化けていることがバレぬように、ただそこにいる町の者、里の者として。只人に成りすまし、自身すらも殺すように。

才に恵まれた私の変装は師であった父をも驚かせるようなもので、当然、忍びの術を知らぬ只人が私が果たして誰であるのか、誰が果たして私であるのか分かるはずもなかった。ある時は隣家の次男に、ある時は向かいの家の長男に、私がその者であるかのように化けてみせた。

顔を借りている人間と鉢合わせしてしまうこともあり、その度に「気味が悪い」と「恐ろしい」とそんな言葉を吐かれたものだが、それらは私にとっては誉め言葉も同然で、心に刺さるようなものではなかった。


「お前は誰だ?」


刺さったのは、たった一言。
癒したのは、誰。


「鉢屋が鉢屋なら、分かるよ」


変装を恐ろしいと、気味悪がった只人たち。私が誰で、誰が私であるのか――自分ですら分からなくなったあの日。初めて、自身に対して不気味さを、得体の知れない恐怖を抱いた日。そんな私を見透かしたかのように、アイツは、萩はそう言った。


「お前が自分という表面の器を失っても、お前が自分ですら誰だか分からなくなったとしても、それでも、お前を見つけてくれるということだろう?」


いつの日か、誰に、何に化けても「私」を見つけてくるアイツに何なんだと憤った私に父が言った言葉。その意味を理解したのも、その意味を理解出来たのもあの日だった。


「お前は、私が分かるか?」


幼かったあの日、暖かな春の午後。淡い色の花が散る世界で、尋ねた。


「鉢屋が鉢屋なら、分かるよ――」


上手く笑えないくせに、笑ってみせようとしたのか、ぎこちない表情をしていたアイツ。それが何ともおかしくて、込み上げたのは何だったろう。手を伸ばした先で触れた身体は小さく、柔く、大切に、……大切にしようと思ったんだ。

広げていた赤本を閉じて、机の中へと押し込む。必要最低限の筆記用具が入ったケースを適当に鞄の中へ放って、チャックを閉めた。暗くなってきた外。夜へ向けて、色を濃くしている空。白い蛍光灯に照らされた教室が眩しく思えた。


「……帰るの?」


鞄の持ち手を掴んだ私に目の前の女が訊いてきた。柏木を見れば、何か言いたげな表情をしていたが、それを追及するでなく、ああ、と一言告げて席を立つ。


「え、一人で?」


明るい声で茶化すようにそんなことを言った勘右衛門の瞳は少し、私を責め立てていた。その意味することは分かりきっていて、それでも、改めるつもりはない。罪悪。後悔。その矛先は柏木ではなかった。

酷いことをしている、という自覚はある。とても、身勝手で、残酷なことをしているという自覚は。お前たちの無自覚な刃と、どちらが罪深いのか。肩に掛けた鞄。持ち手を握る手に力が入った。誰か、誰か一人でも共有してくれたなら――……。


「ッ……、ハチ、柏木を送ってやってくれ」
「は、ちょ、おい、三郎!」


背に掛かった声に応えることはせず、一人、冷たい廊下へと出た。そのまま、いつもの足取りで放課後の人もまばらな校内を歩いていく。濃さを増していく外。恐ろしい白が映えていく。

今日は先に帰ってる、の文字を雷蔵へ送って、歩いていく。紛れていく。

現代を生きる、者として。


I won't forget you.

僕はきみを忘れない


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