you Just for me. | ナノ

× You’ll never knew it.


名は一番短い呪。

私にとって、名前とは誰かを縛るための鎖だった。一度囚われてしまえば、その名から、その声から、私を呼ぶその声から逃げることはできなくて。私は貴方を縛りたくなかった。貴方は私を縛りたがった。今でも貴方に囚われている。この呪縛を解けば自由になれるのだとしても、わたしはこれからも欲することはないだろう。

――解放は望まない。



笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣いて。
心のまま、感情を表に出すことができたなら。

人間というのはおかしなモノだと思う。器用にも不器用にもきっとなりきれない。心のまま、感情を表に出すという行為を止めたのはいつからだったろう。それが時には許されないことだと、社会に順応するためには心を押し殺すことも必要だと気付いたのはいつだったろう。

生まれ落ちて、成長を重ねていくにつれて何もなかった空洞に色んな物がたくさん、たくさん詰まっていく。それが良い物だけならよかったのかもしれない。でも、良い物しかなかったら、それは果たして人間と呼べるのか。多分、それはもう人間じゃなくて、神様だとか仏様だとか、綺麗なモノでしかないんだろうなと思うよ。

プライドは綺麗なものかな、それとも逆のものかな。
わたしがわたしであるために必要で、私が私であるために必要だった矜持、自尊心、誇り、傲慢、虚栄心、驕り、自惚れ。

今も、昔も、変わらない。
わたしがわたしであるために必要なはずのプライドという鎖が、心を押し潰す。在るがままの感情よりも、心よりも、プライドが何よりも先に台頭してくる。それが邪魔をして、扉は開かれない。

在るがままのワタシが、奥深くで出してと訴えるのに、無視を続けていくうちにワタシが死んでいく。奥深く、奥深くで消化されることなく、わだかまりとなって、時にはストレスに形を変えて。


「うっわぁ……満開だね」
「ああ、見事なものだな」
「花見には絶好日和!……ということで持ってきました、お団子ー!」
「萩……」
「何さ、その目……」
「いーや?太っただの何だの気にしていたのはどこのどいつだったかな、と」
「…………鉢屋のバカ」
「っふ……そう拗ねるなよ。からかっただけだろ」
「わ!?ちょ、か、髪!ぐちゃぐちゃになる……!」



くすくすと零れるあの人の笑みが記憶の中で反響している。
その笑みを見ていた私が、あの人と同じように笑みを浮かべたのが分かる。

笑うことは、プラスのことだから、比較的簡単なんだろうなと思う。
誰かの嬉しそうな、喜びに溢れた笑みをみて、嫌な気分になる人は少数だろう。人前で笑うことは、比較的簡単。嬉しいと、楽しいと心が感じたまま、その感情のまま、人前で笑みを浮かべるのは。


「…………こんな所にいたのか」
「……よく分かったね」
「まあな。お前がいつも行きそうな場所を片っ端から当たっていなかったからな」
「片っ端からなんて結構数あったと思うんだけどなぁ……」
「――何かあったのか」
「…………何もないよ」
「…………萩」
「……なに」
「泣くなら、今ここでしか許さないからな」
「…………な、にそれ」



その先に続いた、あの人の声が記憶の中で反響している。
その言葉を聴いた私の眦から一筋、涙が伝ったのが分かる。

問題はいつだって、マイナスのことで。
泣く、という行為にも嬉しいから泣く、感動したから泣くといったプラスの面もあることにはあるんだろう。でも、泣く、ことの大半の理由は悲しいから、苦しいから、悔しいからといったもので。

泣くことは自分の負けを、非を、弱さを認めるようなものだった。泣くことは現実を受け止めることだった。そうでなくとも、くノ一として将来生きていこうと決めていた私にとって、演技以外で泣くことは誉められたものではなかったから、泣くという行為がとりわけ難しく感じていた。人前で泣くことは言語道断で、かといって一人で泣くこともままならなかった。

心のまま、感情のまま、マイナスのことを表に出すのは難しくて。
そして、プラスのこととは反対に、表に出すことは今も昔も誉められたものじゃなくて。


(…………だけど、)


――お前が一人で泣くのは、許さない。


あの頃は、貴方がいたから。
そう言って、抱きしめてくれる腕があったから。
泣きたい時に、泣いていいと言ってくれる人がいたから。

上手く。
上手く、泣けていたように思うんだよ。


(……ねえ、鉢屋)


「――好きなのか」


誰かが昇降口のドアを開けて外に出て行ったのだろうか。冷たい、冬の空気が流れてくる。ひゅう。ひゅう。音がわたしとあの人の間を切り裂いて、風が髪をなびかせていく。瞳が交わったのが一瞬だったのか、十秒ほどだったのか、もっと長かったのか、わたしには分からない。

冬野?と繋がれた手を緩やかに引っ張られて一歩足を引いた。その間も、瞳はあの人を捉えて離さない。恐いのに、わたしを見るその目が恐いのに、逸らしたくはなかった。何の感情も読めない瞳がわたしをただ射抜く。

まるで心が凍てつくよう。
記憶の中のあの人の、穏やかな瞳が、優しげな瞳が、強い意志を宿した瞳が、激情を湛えた瞳が、悲痛に歪んだ瞳が、ひとつひとつパキン、と音を立てて割れていくよう。

それでも、目を逸らしたくないのは――。


「……好きじゃなきゃ、付き合うわけないか」


交わっていた瞳を逸らしたのはあの人の方だった。何か小さく言葉を零した後、一度伏せられたそれは、次に開いた時には「いつもの」あの人のそれに戻っていて、そしてわたしを映すことはないまま、遠ざかっていく。彼の隣にいた不破くんが困惑したように、わたしを見ていたけれど、何も言うことなくあの人を追っていった。

下駄箱から靴を取り出す音がして、次いでドアを開く音がした。
世界が音を立てて、閉じられていく。


「……今のは、二年の鉢屋と不破か」
「…………ご存知、なんですか」
「いや、あの二人は何かと有名だからな。名前と顔を知っているだけだ」
「……そう、ですか」


喉から絞り出すような感覚だったのに、声はいつも通りに出て、それが無性に悲しかった。わたしも先程の彼と同じように、一度瞳を伏せる。もう一度、視界が光を取り戻した時には何もなかったかのように立花先輩の方を向いた。繋がれた手に、そっと力を込めてその手を離した。

帰りましょう、と言って冷たい廊下を一人で歩く。
ガラス越しに見た外は、白く。はらはらと花びらが落ちるように、白が舞っていた。


「……お前には前世の記憶があるんだったな」
「でも、先輩は信じてるわけじゃないでしょう」


外履きに履き替えて、扉に手をかけたところで後ろからかかった声、言葉。前世。くるり、と振り返った先では立花先輩が至って真面目な顔をして立っていた。綺麗なひと。綺麗な人の表情というのは、何でも美しいものなのだろうか。

立花先輩は、留先輩とも伊作先輩とも仲が良い。でも、それは今世で築き上げた関係であって、前世で仲が良かったからじゃない。立花先輩は知っている。わたしと留先輩には前世という記憶があることを。それから、今世では立花先輩の幼馴染であるという潮江文次郎先輩がはっきりとしないまでもそういった記憶を持っていることを。


「留三郎が前に、冬野には忘れられない奴がいると言っていた」


(留先輩、余計なことを……)


留先輩は知っている。私が誰を想っていたか、わたしが誰を想っているか。わたしが立花先輩と付き合う、と言った時にも、いいのか、と訊いてきたものだった。いいんです、と答えたわたしに留先輩は少しだけ苦しそうな顔をしていたなぁなんてことを思い出す。そんな風にわたしのことを想ってくれる人だから、余計なことを口にしてしまうのも仕方ないかもしれないけれど。

手をかけたドアの取っ手はひんやりと冷たくて、指先から熱を奪っていく。


「…………付き合わせて悪いな」
「…………いいえ、いいえ。立花先輩が悪いんじゃないんです」


聡い人は時々嫌になる。だって。だって。だって、せっかく隠そうとしたのに。せっかく逸らそうとしたのに。全部分かったうえで、何も問うてこないのは狡い。狡いよ、先輩。立花先輩が悪いんじゃない。付き合ったことも罪じゃない。罪なのは、全てに中途半端なわたしという存在だから。あなたのため、なんて嘘を吐いたのがいけなかった。


「先輩、帰りましょう」


そうわらって、押し開いたドア。外へ出た途端、ぶるりと鳥肌が立った。
白が。紅の映える白が、降ってくる。吐き出した息さえも白い。空を見上げれば、降りしきる結晶が顔に落ちて。体温で柔らかく溶けたそれは瞬く間に色を変え一筋の軌跡を描いて流れていく。

透明な雫がつめたかった。

あの人の言葉の意味を考えて。
あの人の感情の読み取れない瞳を思い出して。
体温に馴染んでいく冷たさに、そっと笑む。


――ねえ、鉢屋。


どうしてかな。やっぱり貴方がいないからかな。どうしてか、泣きたいのに笑えてしまうよ。泣いていい、の声が消えてしまいそうで怖いよ。ああ、本当に人間はきっと器用にも不器用にもなりきれないと思う。心のまま、感情を表に出すことができたなら、いいのにね。ここで泣いてはいけないよと、邪魔な声が聞こえてくる。

なら、今はもう、一人で泣いてもいいでしょうか。


(一人で、泣いても……)


You’ll never knew it.

君がそれを知ることはない


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