すっきりしよう



「口の中を清潔にしましょう」

 紬が意気揚々と持ち出してきたものは、先端に短い獣毛を結わえた、彼女の手のひらよりやや短い程度の細い枝であった。
 その道具自体は宿儺も見たことがある。起床後と就寝前、彼女がその枝を口に咥えているところを目にしていた。

「これで歯を磨きます。楊枝より使いやすいって村のみんなに好評の『口刷毛』といいます」
「歯を磨く、とはどういうことだ」
「口の中に残っている食べかすや歯の汚れを取り除くの。そのままにしておくと歯が傷む原因になっちゃうから」
「そんな煩わしいことをせずとも、歯に異変が起きたことは無いぞ」
「お肉ばかり食べていたからよ。今は穀物も食べてるんだから、ちゃんと綺麗にしないと」
「歯に悪いのならば、やはり肉を食っていれば良いではないか」
「それだと栄養が偏るの。ほら宿儺、面倒がらずに歯を磨いて」

 押し付けられるようにして口刷毛とやらが手渡される。宿儺の手の中にあるその道具は、紬が持っていた時よりも小さく見えた。
 見よう見まねで獣毛を口に入れ、歯に当ててみる。ごわごわとした感触に、宿儺は顔をしかめた。

「これでいいのか?」
「ええとね、噛まないで、前後に動かして……そうだ、最初だからやってみせてあげるね」

 床に正座した紬がぽんぽんと膝の上を叩く。その意図がわからず、宿儺は怪訝な顔で彼女を見下ろしていた。

「横になって、ここに頭を乗せて?」
「…………こうか?」
「うん。はい、大きく口を開けて、あー」

 宿儺は柔い脚を枕にして仰向けになった。真上から薬師の顔が覆い被さってきて、視界いっぱいに広がっている。初めての光景にこそばゆさを感じて戸惑っているうちに、口に刷毛が差し入れられた。

「奥の歯や、歯の裏も磨くのよ。次は、いー。歯の表面もしっかりね」

 紬を真似て口の形を変える。煩わしい、と思う反発心よりも、彼女によって与えられる新しい体験への興味が勝り、宿儺はおとなしく言うことを聞いていた。

「はい、おしまい。やり方わかった?」
「……ああ」
「次からは自分でできるね。……あ、こっちの口もやっておく?」

 紬の視線は宿儺の腹に注がれている。宿儺は着物の下で第二の口をもごもごと動かした。

「腹ではオマエの飯を食っていないぞ」
「診察も兼ねて一度見ておこうよ。でも確かに、なにに使うの? こっちの口」

 宿儺の頭を膝の上から下ろした紬は、今度は横になっている宿儺の腹の横に座った。勝手に着物の合わせを開いて、腹に真一文字に走る裂け目を露わにする。
 宿儺はがばりと化け物の口を開き、その凶悪な歯と舌を剥き出しにしてやった。

「これは人の肉を潰し、骨を砕くためのものだ」

 第二の口は顔の口では食えないものを食うための器官。嘘でも誇張でもなく、純然たる事実だった。宿儺に対してまったく物怖じしない薬師もそれを知ればさすがに怯えるだろう、という歪んだ期待を秘めていたことも否定はできないが。
 だというのに──

「わあ、顎の力が強いんだね……ん? 顎は無いから……どこの筋肉? 腹筋?」

 紬は大きな歯列に刷毛を往復させながら、呑気に左手でぺたぺたと腹の筋肉を検分している。肩透かしを食った宿儺は顔の口をへの字に曲げるしかなかった。
 奥の歯まで獣毛を届かせるには腕ごと口の中へ入れなければならない。細い腕は、宿儺がその気になれば簡単に噛み砕ける場所にまで入ってきている。
 彼女は聡い。今、どんな状態であるのか理解しているはずだ。それなのに平然と歯の手入れを続けていて、不安も怯えも見せない。

 どうかお許しを──恐怖にまみれて命乞いをする人間とは違う。
 化け物め──畏怖と嫌悪に顔を歪ませる術師どもとも違う。

 聡くて、一周回って間抜けのようで、宿儺の中にある棘をやんわりと包んでしまう。彼女の纏うそういう空気が快くて自分はここをねぐらに定めたのだと、再確認させられているようだった。

「はい、おしまい。すっきりしたね」
「……胸がすくようではあるな」
「気に入ったならよかった。これからも口の清潔を保ちましょう」

 爽やかな心地は歯を磨いたことだけに起因するわけではないが、人間のように歯の手入れをしてみても悪くないと、宿儺は思うのだった。


20211121
平安時代に歯ブラシはまだないけど薬師夢主は頭が柔らかいので自分で作っちゃいましたという捏造。



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