俺はそれを知らん



 辺り一面を埋め尽くす赤の色。地面いっぱいに広がった血の赤に、夜闇を押し返すほどの勢いで燃え盛る炎の赤。その中心に君臨する我が主君。昏く深い赤い色の瞳に炎や血の海の赤が映発し、呪いの王としての凄みを引き立てている。
「……宿儺、様」
 地に膝をついて半ば放心したまま、私は私の王をぼんやりと見上げた。発した声はか細かったが、それよりも声を発することができたことのほうに驚きを覚える。
「どうして……助けてくださったのですか」
 彼の興味を引かない一切のものの存在を無視する瞳は、問いかけた私に対してジロリと険のある眼差しを向けた。地獄の底へ誘うような螺旋を描く瞳がまっすぐに私を見据え、思わず震えが走る。
「俺はオマエに、問うことを許したか?」
「──っ! 申し訳ございません!」
 がばり、と勢いよく平伏する。額をくっつけた地面には時間が経って乾きつつある血の色で朱殷に染まっている。その血の出所は、私の肉体だ。
 この身体は宿儺様の領域展開に巻き込まれ、無数の斬撃を浴びた。呪力による防御を行っても、全身が細切れになるのを防げただけで、斬撃そのものからは身を守れなかった。
 身体中を切り刻まれて大量に出血し、激痛に苛まれながら身体が重く冷たくなっていって意識が沈んだのを覚えているのに──今、私の身体は綺麗にくっついていて傷も痛みもまったくない。宿儺様が反転術式を施して命を救ってくださったに違いないということはわかっても、そこまでしてもらう理由がまるでわからなかった。
 宿儺様に対しては、私が一方的に慕っているだけだったから。お役に立ちたい、お傍に仕えさせてください、と懇願して、宿儺様が溜め息混じりに「勝手にしろ」と告げた。千年前から、私と宿儺様との繋がりはそれだけだ。宿儺様が私に特別な温情をかけることはなく、私が勝手にお傍にいるだけ。私にはそれで十分幸せだった。
 千年の時を経て再び出会えた宿儺様は、厄介な式神を相手に苦戦していた。私はどうにかしてお役に立ちたくて戦いに割って入り、宿儺様が領域を展開するための隙を作ろうとした。その結果として領域に巻き込まれても構わないと思った。私はいつも通り「勝手にした」だけだし、ようやく目覚めた宿儺様の役に立てるのならそれで満足だったから。
 それなのに──宿儺様がわざわざ私の命を救ってくださった。そんなふうに情けをかけてもらえたことは千年前から一度もなくて、一方的な慕情という感情のもとに安定を保ってきた私の心は今、とてつもなく動揺している。
「良い。面を上げろ」
 宿儺様の声を合図に私は顔を上げた。周囲の炎の勢いは先程よりも弱まっている。つややかな闇が宿儺様の顔に影を落とし、その気品を際立たせていた。
「声も出して良いぞ。久方ぶりの自由ではあったが、じきに終わる。それまではオマエにも寛容をくれてやろう」
 宿儺様の声はどこか弾んでいた。許可なく問いを発した私の無礼は、彼のきまぐれによって帳消しになったらしい。
「……こうして血と炎を見ていると、千年前のあの頃を思い出しますね」
「そうか? いや、まだまだ殺戮も破壊も足りんな。昔は虫けら共が束になって向かってきたものだが」
「皆、宿儺様の威光に恐れをなしたのでございましょう」
「ふん。この不完全な肉体を前にしてなお恐れるなぞ、軟弱なことだ」
 宿儺様は嘲笑を漏らすが、無理もないことだと私は思う。少年の形の入れ物に収まっていても宿儺様の威厳は損なわれることはない。これがもし、四本腕の完全な肉体で顕現していたなら、即座に世界は宿儺様のものになっていただろう。
「──恐れつつも俺に向かってくる呪霊が先程、一匹いたのだがな」
 宿儺様はぽつりと、最後に食べた食事の内容を思い出しながら語るような口調で告げる。
「俺に一撃でも入れられたら言う通りにしてやるという条件を出してやって──まあ、あえて語る必要のない結果に終わったが。ソイツの強さを讃えてやったところ、涙を流した。あのツラはオマエにも見せてやりたかったぞ」
「私に……?」
「あの泣き顔、オマエに実にそっくりだった」
「……呪霊がですか!?」
「ケヒヒヒッ!」
 涙を見せるほど高度な感情を持つ呪霊ならば容姿もある程度は人に近いのだろうけれど、それでも呪霊に似ているだなんて言われるのは心外だ。相手が宿儺様でなければ思わず術式を発動させていたかもしれない。
 宿儺様はおもむろに足を前に出し、地に転がってた式神の法陣を拾い上げる。
「奴はもう消失してしまったが、愉快な顔が一夜に二つも消えるのは惜しいような気がしてな」
「は……い……」
「俺の知らん道理で勝手に振り回されて踊る貴様らはなかなかに面白く、見応えがある。そういうことだ」
「……」
 それが、私が目を覚ました時に発した問いへの答えだと、気付いた時には宿儺様の背中はもう遠ざかってしまっていた。許可なく問いを発したことを糾弾されたと思ったけれど、そういえば宿儺様は問いに答えないとは一度も言っていない。そういう御方なのだ。気まぐれに奪ったり与えたりして、いつも私は翻弄される。……それを、宿儺様が面白いと思っているということは初めて言われたけれど、そもそも不快であれば問答無用で切り捨てる御方だ。やはり、傍にいることを許されているだけで、私にとってはなにより幸せなことだ。
「お待ちください、宿儺様!」
「なぜ俺がオマエを待ってやらねばならん」
「え、ええと、大丈夫です! 勝手についていきます!」
「たわけ。じきに俺は消える。オマエは裏梅と合流して、あやつの仕事を手伝え」
「……! す、宿儺様が、初めて私にご指示をくださった……!?」
「ハッ。言ってしまったからなあ。寛容をくれてやると」
 ニヤリと笑う宿儺様は、器の影響か、イタズラっぽい少年のような顔をして見える。千年間の封印からようやく解かれて得たその肉体の自由によって、宿儺様が初めて私に目をかけてくれたのだと思うと、ひたすらに長い時間をかけて宿儺様を待ったことにはとても大きな意味があったような気がした。


2023/10/28
#ju夢ワンドロワンライin恋呪百花参加作品
お題:俺はそれを知らん【映発/つややかな闇/朱殷】


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -