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「ねえねえ鹿紫雲さん、甘いもの好き?」
「好きでも嫌いでもない」
「朝ごはんはパン派? ご飯派?」
「腹を満たせりゃなんだっていい」
「んー、じゃあ、目玉焼きにはお醤油かソースか……」
「ハァ……オマエ、なんで俺に構おうとする?」
 頭一つ分高いところから降ってきたジト目に、私は満面の笑みを返す。
「鹿紫雲さんのこともっと知りたいからだよ」
 死滅回游での各コロニーでの戦いを終えたみんなが高専に再集合した時、同級生の金ちゃんが連れてきた鹿紫雲さん。剣呑な雰囲気を纏った彼を一目見たときからビビッときてしまった。
 今まで身近にはいなかったタイプのいい男。年上好きで、高専の在学生の仲間よりも時々任務で一緒になる補助監督や先輩術師のほうに気が向きがちだった私には、四百年前の過去の術師だというプロフィールも美点の一つのように感じられた。ものすごくおじいちゃん? まあ見た目は若いし、落ち着きがあってよさそうじゃない?
 そんなわけで、いつもみんなに背を向けて端のほうで一人ぽつんと佇んでいることの多い鹿紫雲さんに、私はとにかくたくさん話しかけることにした。恋愛のベースはまず単純接触効果。繰り返し接触することに意義がある。
 しかしながら、数多くの年上男性をオトしてきた完璧な笑みを浮かべる私に、鹿紫雲さんはしっしっと手で追い払う仕草をするのだった。
「邪魔だ。近づくな」
「え〜、お話ししようよ?」
 これくらいで引き下がるようなヤワな心臓はしていない。鹿紫雲さんの冷たいジト目にも負けず、私はにっこりと笑いかける。
「弱い奴と話すことなんざねぇ」
「私これでも準一級なんだけどな……」
「オマエらの尺度なんざ知るかよ。一級だろうが二級だろうが、俺から見れば十把一絡げだ」
「ふうん……試してみるぅ?」
 私が低く腰を落としてあからさまに呪力を放出してみせると、鹿紫雲さんが目を細めた。挑発に乗ってきた。今までずっと脈なしだったのに、戦いをチラつかせた途端に私に興味を示すなんて、おもしろい人だ。
 互いにゆっくりと脚を横に滑らせて、間合いを測りながら談話室の中央にある広いスペースへと移動する。周りにソファやテーブルのない広い場所なら、多少は腕や脚を振り回しても備品を壊して怒られることはない。
 まずは軽く。小手調べとして私が打ち込んだ右ストレートは、無駄のない身のこなしでかわされてしまった。薄い笑みと共に拳を繰り出してくる鹿紫雲さん。獲った、と思っているのだろう。しかし、あまり舐めてもらっては困る。彼が狙った隙は私がわざと作ったものだ。
「ふっ」
 身体の軸をずらして最低限の動きで鹿紫雲さんの攻撃線から身をかわし、死角に踏み込む。
 見えていないはずのその場所へ、鹿紫雲さんの肘打ちが飛んでくる。気配だけで仕掛けてきたのだ。
 さすが金ちゃんと互角なだけあって対応力が高いけれど、私だってこれくらいでは負けてあげない。飛んできた腕を手刀で捌いて、円運動の要領で力の流れを変えて受け流す。
「……!?」
 抵抗も阻害される感覚もなしに、意図した方向ではない場所へ技が流れる──鹿紫雲さんが味わったのはそんな不可解な感覚だろう。
 目を見開いた鹿紫雲さんは、次は拳を打ち込んでくることなく、じっと私の顔を見据えてくる。
「今のはなんだ。知らねぇ技だ」
「合気、っていうんだよ。びっくりした?」
 相手の動き、呼吸に合わせ、相手の力と争わずにこれを無力化する、防御や返しを得意とする体術だ。
 私が二級から準一級になるまでによく面倒を見てくれた先輩女性術師が合気道の達人で、技を教えてもらった。どうしても筋力量で男に劣る女にはうってつけの体術で、力で争う以外の身体の使い方を身につければ、呪力での筋力強化に頼るだけではない戦い方ができるようになる、と。
「面白い。もっと見せろ」
 鹿紫雲さんは、食べ物の好みを聞こうと話しかけていた時とはまるで別人のような生き生きとした顔になっている。
「じゃあ私とデートしてくれる?」
「しゃらくせぇ。口を割らねぇなら実戦で聞き出すまでだ」
「っ! ちょ、っとぉ!」
 顔面めがけて拳が飛んできて、すかさず私は合気の身体捌きでそれを受け流した。鹿紫雲さんがニィと不敵な笑みを浮かべる。まんまと彼の思惑通りに技を使わされてしまった。
 その後も次々と殴りかかられる。本気の体術を使えば受け流すことはできるけれど、気を抜いたり技を出し惜しみしたりしようとすれば鼻の骨が折られそうな、容赦のない格闘戦だ。
 しばらくドタバタと談話室で暴れまわった私と鹿紫雲さんは、日下部先生に見つかって説教され、談話室への出禁を言い渡された。しかしそれからも、私の体術への興味が尽きないらしい鹿紫雲さんはたびたび私に襲いかかってきた。おかげで外を歩くたびに襲撃を警戒する日々を送ることになってしまった。
 でもまあ、これはこれで楽しい。なにしろ今までまったくこちらになびく気配のなかった鹿紫雲さんが、ギラギラとした楽しそうな顔で私に挑みかかってくるようになったのだから。
 拳を交わし合い技を掛け合うばかりではなく、会話をする機会もだんだん持てるようになっていった。力を反発させるのではなく導くように流すのだとか、円運動を利用するのだとか、武道の基礎的な話に鹿紫雲さんは熱心に耳を傾けるのだ。ひとしきり暴れて汗をかいたあとは、自販機で買った冷たいペットボトルを片手にベンチで話し込む──というのが、いつの間にか私と鹿紫雲さんの日課になった。
 一緒にいる時間が増えたことで私はますます鹿紫雲さんに惹かれていった。鹿紫雲さんもそうであればいいのにと願って改めて「デートしようよ」と誘ってみるのだけれど……彼は皮肉げな笑みを浮かべてこう告げるのだった。
「オマエは自分の顔を砕こうとする男と逢引きがしてぇのか? んな悪趣味な女は願い下げだね」
 スッ……と、身体の真ん中を冷たいものが落ちていくのを感じた。
 私は、間違えたのだ。
 周波数の合っていないアンテナには届いてほしい電波は届かないみたいに──私の気持ちが鹿紫雲さんに届くことはもう、絶望的になってしまった。
「わかるだろ? オマエがしくじれば、せっかくの器量良しがひしゃげて台無しになる。俺はそういうつもりでしかオマエに関われねぇよ」
「え、器量って……かわいいってことだよね? 鹿紫雲さん、私のことかわいいって思ってたの?」
「そこじゃねぇだろ、話してんのは」
 どうにか都合のいい方向に話を逸らそうとしたけれど駄目だった。呆れたような溜め息が返ってくる。
 私は、周波数を間違えた。
 鹿紫雲さんは強い人間しか相手にしたくないのだと思った。私だって準一級の術師なのだから、強い人間のうちに入るはず。実力を示すのが鹿紫雲さんに近づく最短距離なのだと考えた。
 けれども強い人間は、彼にとっては戦うべき相手として認識されてしまう。好意という電波は戦意というアンテナには受け取ってもらえない。強い人間というカテゴリに入った私は、鹿紫雲さんにとっては恋愛の対象ではなくなってしまったのだ。
 難しすぎる。強い人間でなければ相手にしてくれなくて、強い相手とは戦いを通してしか関わらない。恋愛対象になるようなか弱い女の子は最初から鹿紫雲さんと関わることができず、関われるようになったら恋愛ではなく戦いの対象──これでは難攻不落だ。オトせそうにない相手にこそ恋しがちな私でも、さすがに眩暈がしてきた。
「俺に情を求めても無駄だ。そういうのは、他人を幸せにできるようなもっとまともな男に乞うんだな」
 鹿紫雲さんが目を伏せて薄く笑う。あ、まつげ、長い──そんな的外れなことを考えてしまう。そうやって現実逃避しなければならないほどショックが大きかったのだ。単に、フラれたから、というだけではない。
 なにか、あまりにも深い孤独の淵に触れたような気がしたから。
 鹿紫雲さんがベンチから腰を上げて立ち去ってしまっても、私はしばらくその場から動けなかった。汗で濡れたシャツが冷たい空気で冷えて、ぶるりと悪寒が走る。
 鹿紫雲さんの言葉が頭の中に反響している。鹿紫雲さんは、人に対して幸いあれと願うことのできる人なのに……それなら、穏やかな関わりを自ら断ってしまおうとする彼自身のことは、一体誰が幸せにできるというのだろう。
 鹿紫雲さんの言う通り、他の人に恋をしたほうがいい。まだよく知りもしない人なのに安易に深入りしたって、私にとっていい結果になるとは限らない。そんなのは明らかだ。でも、なんだか鹿紫雲さんのことは放っておけない。

◆◆◆

 自販機前のベンチでフラれてからというもの、鹿紫雲さんは私に襲いかかってこなくなってしまった。もう私とは関わらない。そういうつもりなのだろうと思う。私の代わりに、よく運動場で金ちゃんと手合わせをしているみたいだった。金ちゃんが「だるい、疲れる、身が持たない」と溜め息をついているのをよく見かける。
 だから──金ちゃんに協力してもらって、鹿紫雲さんを待ち伏せすることにした。
 14時から運動場で鍛錬しよう、という約束を取り付けてもらって、金ちゃんの代わりに私が運動場へ顔を出す。
「オマエ……」
 私の顔を見た鹿紫雲さんは目を剥いた。もう私が鹿紫雲さんに会いに来ることはないと思っていたのだろうか。なんて甘いことを。恋する乙女は止まれないものなのだ。
「鹿紫雲さん、いくよ!」
 丹田に力を込めて強く地を蹴る。本気の格闘の速度。瞬時に彼の目の前に跳び込んだ私に、鹿紫雲さんは腰を落として臨戦態勢を取る。
 穏やかな関係からは逃げる鹿紫雲さんも、戦いを仕掛けられたら逃げられなくなるはず。思った通りの反応に、私は思わずほくそ笑む。
 軽く放った左拳のジャブ。鹿紫雲さんは重心をずらす動きで回避してカウンターを打ち込む。身を沈めて拳をよけながらの足払い。跳び退く鹿紫雲さん。一度間合いを離した彼が助走で勢いを増した右ストレートを打ち込んでくるのを──私は合気の身体捌きで受けた。
「……!」
 今まで鹿紫雲さんに見せてきた技は相手の力を受け流すだけのもの。しかし今回は、力を流して体勢を崩した鹿紫雲さんの手首を掴んで、背負うように腕を振りかぶる。彼自身の力を円運動に巻き込んで、刀で斬るように腕を振り下ろすと、大柄な鹿紫雲さんの身体がふっと宙に浮いた。
 初めて披露した投げ技を見事にくらい、鹿紫雲さんは仰向けに倒れる。私はすかさずその上に馬乗りになって、ハァハァと荒く息をつきながら恐ろしげな顔を浮かべる鹿紫雲さんを見下ろした。
「へへ……鹿紫雲さん、捕まえた」
「……どけよ。なにが狙いだ」
「もっと話したくて……ああでも、なんか、興奮しちゃったかも……キスしていい?」
「やめろ」
 私が顔を近付けようとするのを、鹿紫雲さんの手が額を押さえつけて阻もうとする。ぐぐぐ……と腕力と首の力で押し合いながら、鹿紫雲さんはいっそう苦い顔になって眉間にシワを刻んだ。
「命が惜しけりゃ俺に触るな」
「手合わせではいつも触ってたのに?」
「その比じゃねぇだろ、こういうことは。……死ぬぞ」
 鹿紫雲さんが低い、地鳴りのような声で告げる。
「……私だって呪術師だもん、いつだって死ぬ覚悟はできてるんだけどなあ」
 ただならぬ雰囲気を感じた私はひとまずキスを断念することにした。重いその声のおかげで、心に冷や水をかけられたかのように衝動的な興奮は冷めた。
「戦って死ぬならまだしも、テメェの命をこんなふざけたことで散らすのは無駄死にだろ」
「ふざけてないよ。命短し恋せよ乙女、って言うでしょ」
「なんだよ、そりゃ」
 鹿紫雲さんは短く息をつき、私の額を押していた手をぱたりと地面に下ろす。
 しかし不思議なことに新たな抵抗を鹿紫雲さんはしなかった。
「ねえ鹿紫雲さん、拘束を解く方法だったらこの前やってみせたよ? 逃げないでいいの?」
「オマエが聡くて物分かりがいい奴だと思ってるからだよ」
 鋭い、凍てつくような視線が下から突き刺さってくる。
「いい加減に理解しろ。オマエが求めてるもんを、俺はオマエに与えてやれねぇよ」
「そんなことないってば。私ね、鹿紫雲さんにドキドキしてるし、ときめいてる。恋してるよ。素敵な気持ちを鹿紫雲さんからもらってるの」
「……知るかよ。そういう情は、俺には無い」
「じゃあ鹿紫雲さんもドキドキしちゃおうよ」
「は……!?」
 今度は隙をついて、鹿紫雲さんが止める間もないうちにずいっと顔を近づける。
 吐息が交わる。唇が接近する。触れ合う間際、ピリッと痺れて熱くなるような感覚があった。呪力の感覚も。
 咄嗟に唇へ呪力を流す。私だって準一級の実力を持つ呪術師だ。呪力による攻撃には呪力で応対するという反射的な反応は、これまでの戦いの経験から身に染み付いている。
 なぜ今、鹿紫雲さんの呪力で攻撃されたような感覚があったのかわからないけれど、敵意を感じるわけではない。第一、キスはもう止まれなかった。
 唇が合わさるとそこから鹿紫雲さんの呪力がさらに流入してくる。熱と、刺されるような感覚が一層強まって、私もお腹の底から呪力を回してそれを受けた。押し返すのではなくて、溶かすように二人の呪力を同調させ、やんわりと受け流す。相手と呼吸を合わせて争わずに無力化するという合気の身体捌きは、そのまま呪力操作に応用できるのだ。
「……っ、は……」
 呪力の操作にも意識が向いていたから、案外長い時間キスを続けてしまっていた。唇を離すと、鹿紫雲さんが短く息を吐く。彼はなんだか毒気を抜かれたような顔をしていた。
「ドキドキした?」
「……そーだな。なにぶんオマエの頭を吹っ飛ばすところだった」
「心配してくれたの? 優しい〜!」
「死ぬとこだったってのになにを悠長に言ってやがる」
「大丈夫。私、障害があるほうが燃えるタイプ」
「そういう話じゃねぇって……」
 鹿紫雲さんは唇をへの字に曲げる。呆れられているみたいだなあとは感じるけれど、さっき額を押し返されたみたいに明確に拒まれている雰囲気ではなかった。
「もう一回キスしていい?」
「よせ」
「というか、鹿紫雲さんは勝手に私に殴りかかってきたんだから、私も勝手にキスするね」
「……チッ」
 鹿紫雲さんはジト目を向けてくるけれど、逃げるとか私を突き飛ばすとかしようと思えばできるのにそうしないのだから、キスしていいと言われているようなものだ。
 ピリピリとした痺れに始まり、次第に刺すような痛みが生じていくのを感じて呪力を回しながら、キスをする。彼の呪力を受け流しながらでないと触れ合うこともできないような体質が、鹿紫雲さんに「情を求めても無駄だ」なんて言わせてしまうのだろうか。そうだとしたら悲しいことだ。乗り越えられるかもしれない壁のせいで恋することもできないなんて。ドキドキして、ふわふわして、好きな人と触れ合うことはとっても素敵なことなのに。
「……ふふ……ごちそうさま?」
「なんつーか……生命力の強い女だな」
 間近から顔を覗き込むと、鹿紫雲さんがふっと頬を緩める。
 今まで見てきたなかで一番柔和な顔だった。
「もう付き合っちゃおうよ、鹿紫雲さん。いいよって言ってくれるまでキスしちゃうよ?」
「なんの脅しだよ、そりゃ。頷いても頷かなくても結局同じことするんじゃねぇか」
「わぁ、もうそんなに私のことわかってくれてる! 嬉しい〜!」
 今度はちゅっとかわいらしい音を立ててキスをする。音と一緒にパチッと火花が弾けるような感触があった。それはきっと、送受信完了の合図だ。


2023/10/21
前半はju夢ワンドロワンライ参加作品。お題【幸いあれ・アンテナ】

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