ランサーに致命的なバグが発生している。
「そこの段差、気をつけろ」
「……うん」
 ビルが並ぶ商業地区での敵サーヴァントの捜索。もう何度も繰り返したことだし、戦闘の余波で瓦礫の散乱している街を歩くのなんていつものことなのに、なんだか今日はやたらと過保護なのだ。
 段差を前にして、私の目の前にすっとランサーの手が差し出される。その手のひらと彼の顔を交互に見比べてみても、ランサーは「早く掴まれ」と当たり前のような顔をして言うだけだ。
 今までこんなふうに丁寧な扱いを受けたことなんてないのに……と不審に思いながらもランサーの手を取って、段差を乗り越える。彼の手を離したあとは意識してランサーのほうを見ないようにして、周囲に意識を張り巡らせた。
 しばらく歩くとまた瓦礫の散乱している場所がある。私たちは初めて訪れたけれど、以前に誰かがここで戦闘を繰り広げたようだ。
「足場が悪いな。マスター」
「え? え、ええっ!?」
 不意に呼びとめられたかと思いきや、ランサーは私の膝裏と肩に腕を回してひょいっと私を横抱きにしてしまった。お腹の辺りを荷物のように抱えられるのにはもうそこそこ慣れたのに、こんな、いわゆるお姫様抱っこなんてどういう風の吹き回しなのだろう。
 この豹変ぶり、バグだとしか思えない。
 抱き寄せられた身体がランサーの胸板にくっついて、あの時の……魔力供給をした時の温もりを思い出して恥ずかしくなる。
 私を抱えていても軽やかな足取りを崩さないランサーは、瓦礫の散らばる地面をひょいひょいと跳ねるように歩いていった。
「この辺にはサーヴァントの気配は無さそうだが、場所を移すか?」
「え、ええっと……じゃあ、あっちのほう、かな」
「わかった」
 ランサーが大きく跳躍する。顔に強く風を感じると共に、みるみるビル街の景色が流れていく。敵襲があった時なら今まで何度もランサーに運ばれてきたけれど、ただ移動するだけなのに抱きかかえられているというのは初めてだ。
 上を見れば、ランサーの形のいい顎のラインと、さらにその上にはまっすぐ前を見据える青緑色の眼差しがある。彼のことは闊達でわかりやすいタイプだと思っていた。けれど今、ランサーがなにを考えているのかまるでわからない。
 ……これは、駄目だ。ランサーのことが気になって、捜索にも戦いにも集中できない。
「ランサー、一回下ろして。あの辺でいいから」
「ん? ああ」
 ランサーは私の要求に素直に応じて速度を緩めた。背の高いビルとその前に広がる公園のような場所は、マンションとその共有区画だろうか。聖杯戦争が行われている結界の中に一般の住人はいないので、私は気兼ねなく木立の下にあるベンチに腰を下ろした。身体と一緒に心も落ち着かせて話をしたい気分だったのだ。
 ランサーは私の斜め前あたりに仁王立ちして腕を組んでいる。座るつもりはないらしい。もし隣に座られでもしたらまた調子を崩されてしまいそうなので、距離を保ってくれてほっとした。
「あのさ……ランサー……なんか、変だよ」
「そうか? 特に妙な気配は感じないが」
「周りじゃなくて、あなたのことよ」
「ああ?」
 訝しげに眉を寄せたランサーと視線が交わる。彼の眼差しは力強いから、それだけでバチンと音が鳴るかと思った。
 ……そういう顔をしたいのは私のほうなのだけど、と思いながら、私も眉間に力を入れた。
「近いし……すぐ、触ってくる……というか……」
「……そうか?」
「気にかけてくれるのはありがたいけど、この前のことで私の身体を心配してるならもう元通り動けるから、ランサーも今まで通りで……」
「あー……それはわかってるが、なんつうか……」
 ランサーは溜め息混じりにガシガシと後ろ髪を掻き混ぜる。普段はっきりとした物言いをする彼がこんなふうに言い淀むのは珍しい。
「あれからオマエが女に見えるんだよ」
「……はい?」
 そして飛び出したのは聞き捨てならない発言。
 女に……見える……?
 彼との距離感に困っていたのも吹き飛んで、私の額にはピキッと青筋が立った。
「今までは女に見えてなかった? 私が? いくら肝心なところが出たり引っ込んだりしてない身体してるからってそれはあんまりじゃない?」
「やべ。落ち着け、マスター。そういう意味じゃねぇ」
「じゃあなんだっていうのよ。だいたい、女に見えるからってベタベタベタベタし始めたっていうの? ちょっと露骨すぎない? あなた一体どういうつもりでここにいるのよ」
「マスター、聞け」
「聞いてる。ランサーこそ聞いて。聖杯戦争ももう終盤だっていうのにそういう緩んだ気持ちは……って、ちょっと!」
 私が喋っている途中なのにランサーは急に私の身体を持ち上げて後ろ向きに肩に担ぎ上げてしまった。そして高く跳躍する。私は風に髪を踊らせつつ、ランサーの背中を拳でドンドンと叩いた。
「待ちなさい! まだ話は……!」
「馬鹿か! 襲撃だ」
「……っ」
 鋭く叱責されてはっと頭が冷える。我に返ったと言い換えてもいい。眼下では、先程まで座ってきたベンチになにかが猛烈な勢いで突撃し、付近の植え込みもろとも木っ端微塵に粉砕した。
 飛び込んできたものからは強烈な魔力の気配がする。──サーヴァントだ。
「あれは……セイバー」
「いい気迫だな。勝負を決めにきた、ってわけか」
 広く距離を取ってから地面に着地したランサーがニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。視線の先にいるのはセイバーのサーヴァント。これまでも何度か小競り合いをしてきた相手だ。
 見た目は私よりも年下くらいの男の子に見えるけれど、手にした剣での戦いよりも肉体での近接戦闘を得意とする、変則的なサーヴァントだ。ランサーというクラスでありながら槍を使わず格闘技主体で戦うランサーとは得意とする戦法が似通っていて、正直なところ、手を焼いている。セイバーが終盤まで勝ち残っていることは、聖杯に辿り着くまでの最後の関門であるとすら思えるほどだ。
 ここでセイバーに勝てれば残るはアサシンのみ。一対一の正面切っての戦いで負けるとは思えない相手だ。アサシンが横槍を入れてくることに注意しながらセイバーと戦い、勝つ。そうすれば聖杯には手が届いたも同然となる。
「気をつけてね、ランサー。なんだか今までとは違う……」
 ランサーが初めに指摘した通り、セイバーは少年のような見た目にはそぐわないほど膨大な魔力を身に纏っている。今までの戦いは彼にとっては前哨戦にしか過ぎなかったというのだろうか。だとすれば今から始まる戦いは相当厳しいものになるだろう。でも、ランサーならきっと大丈夫。私にできるのは彼の戦いを信じて見守り、いざという時には令呪で戦局をひっくり返すこと──え、待って──
「な、なに……!?」
 ランサーが私をかばうように腕を広げ、一歩前に出て腰を落とす。臨戦体勢。見慣れた背中からピリリと張り詰めた戦場の空気が漂う。けれどそれ以上に……セイバーが纏う雰囲気が禍々しくて、異様だ。彼はあんな気配を放つサーヴァントだっただろうか……
 ゆらり、とセイバーが足を前に出す。戦いにおける脚運びではない。彼は俯きがちで表情が見えず、その身体は幽鬼か亡霊のように脱力して見えるのに、近付くだけで呼吸が止まりそうなほどの邪気が噴出している。尋常ではない。
「ッ──!」
 突如、ぐんっと強く身体を引かれた。私を抱えたランサーは先程のセイバーの強襲を回避したのよりも数段上、内臓が身体の中でひっくり返るほどの速度でその場を飛び退く。
 その直後──キンッ、と甲高い音が鳴り響くと共に、さっきまでいた場所に空間ごと斬撃が浴びせられた。植え込みも樹木も紙でできているかのようにあっさりと切り裂かれ、真一文字の断面からズルリと崩れ落ちる。
「クッククク……今のを避けるか。ここまで生き残っているだけのことはある」
 セイバーが肩を震わせ、嘲笑と共に言う。その声は以前に聞いたセイバーの声とは異なるものだ。セイバーが俯いていた顔を上げると──そこには、墨で描いたような禍々しい紋様が刻まれている。
「先刻、アサシンは仕留めた。残るは貴様だけだ。さて、どう料理してくれようか」
 あれは……本当にセイバーなのだろうか。飛ぶ斬撃なんて使っているのは見たことがない。禍々しい出で立ちと、サーヴァント一騎分をゆうに越えた魔力量。声も表情も、今まで敵対してきたセイバーとはまるで違う。形だけは同じだけれど……まるで、姿だけ借りた別存在、のような……
「オマエは……なんだ」
 私を背中に庇い、低い地鳴りのような声で敵を威嚇するランサー。彼はセイバーではない──これまで幾度か拳を交えて戦闘を繰り広げてきたランサーは、私以上にはっきりとそのことを確信しているようだ。
 ふ、と"彼"は嘲るように唇を歪めた。
「セイバーだとも。今はまだ。ハッ、俺をサーヴァントなどという器に押し込めようとは、まったく業腹なことだ」
「そう言わないでくれよ。これでも君のために手を尽くしたんだから」
 第四の声は、私のすぐ真後ろで聞こえた。
 ゾワリと背筋が凍る感覚。ランサーが勢いよく振り返る。しかし彼の四肢が翻るよりも早く、私の喉笛に冷たく硬い金属の感触がヒタリとあてがわれた。
「駄目じゃないか。大事なものなら目を離してはいけないよ」
「羂索……!?」
「やあ、久しぶりだね。ランサーのマスター」
 人の首に刃物を突きつけておきながら、胡散臭い袈裟姿の男は白々しいほどに朗らかな声で挨拶なんかを口にする。もしも振り向くことができたなら、人を食ったような笑みを目にしていたことだろう。
「テメェ──離れろッ!」
 ランサーが吠える。しかし彼の身体がその場から跳ね出すよりも早く、私の首にあてがわれた刃がすっと動いて皮膚が浅く裂けた。ピリリと痛みが走ると共に、少量の血液が首をから滲み出る感覚がある。
「おっと。陳腐だがこう言っておこうか──動くな、ランサー。君のマスターの首を刎ねられたくないのなら」
「……チッ」
 ランサーは苦々しく舌打ちをすると、手足を弛緩させた。そして両手を軽く挙げて降伏のポーズを取る。戦うことに関してはとりわけ貪欲な彼があっさり勝負を投げたことは少し意外だったけれど、それも仕方がない。
 サーヴァントにとってマスターは存在を保つための命綱だ。マスターからの魔力供給が断たれれば、サーヴァントは消滅するしかない。マスターである私が拘束された時点で勝負はついたも同然だった。
 しかし、そうしようと思えばすぐに私の首を斬ることのできる状況でありながら、実際にはまだ私の命は取られていないし、ランサーの霊核も破壊されていない。彼らには私たちを生かしておく理由があるらしい。この窮地をひっくり返すために、まずはそれを探る──私は努めて低い声を作り、背後にいる男へ問いを投げかけた。
「羂索……なにが狙いなの?」
「私の目的は初めから、聖杯戦争をつつがなく執り行うことさ」
 私はこの男と面識がある。羂索──聖杯戦争の監督役。聖杯を巡るこの戦いには、私は彼によって招かれたのだ。羂索は聖杯戦争にふさわしい、然るべき素養を持つ魔術師を個別にスカウトしているのだと語り、私を聖杯戦争の参加者としてこの結界の内側に招き入れた。
 けれども──視界の端に僅かに映る、ナイフを握る羂索の手の甲を見下ろして、私は歯噛みした。
「……あなたもマスターだなんて、聞いてない」
 袈裟の袖口から覗く手の甲には三画の令呪がはっきりと刻まれていたのだ。マスターとして聖杯戦争に参戦している証の刻印。状況から考えて、彼がセイバーのマスターであることは明らかだ。以前に出会った時の彼はなんらかの魔術を用いて令呪を隠していたのだろう。
 自身もマスターでありながら、それを黙って同じ殺し合いに参戦する者たちを集めていただなんて──悪い企みが隠れているとしか感じられない。
「訊かれていないことを言う必要があるかい? まあ、訊かれても答えなかったけどね。最初に念押ししたじゃないか。他のマスターに関する情報は私から教えることはできない、と」
「白々しい……!」
「ははっ。この状況でまだそんな口が利けるなんて、大したものだ」
 とんとん、とナイフの刃で首筋を軽くノックされる。私の命は彼の手のひらの上にあるのだと知らしめるように。
「そろそろ殺すぞ、羂索」
 セイバーの形をした得体の知れないサーヴァントが、凶悪な爪に彩られた手を見せつけるように顔の前に掲げる。
「待ちなよ、宿儺。君は目覚めたばかりなんだからやみくもに力を使うべきじゃない。それに私は、この二人のことは気に入っているんだ。なにしろ君が目覚める取っ掛かりを作ってくれたんだからね」
 スクナ、というのが顔に刺青のあるサーヴァントの真名だろうか。
「私たちが……なにをしたですって?」
「なに、君たちは実に順当に聖杯戦争を勝ち抜いた。たくさんのサーヴァントと戦い、あのバーサーカーをも宝具で打ち負かしてみせた。それによってこの結界内には、宿儺を目覚めさせるに足る魔力が満ちたんだよ。だから礼を言わなきゃならないと思ってね」
「こんな状況じゃとてもお礼を言われているとは思えないし、そう言うなら離してほしいんだけど?」
「すまないね。こうでもしないと君のサーヴァントが今にも殴りかかってきそうだから」
「……ランサー」
 ランサーは降伏の姿勢を続けていながらも、その鋭い視線は絶えず羂索を睨みつけていた。少しでも隙が見つかれば敵に向かって飛び掛かっていくという意図がありありと滲み出ている。
「さて、本題に入ろうか。まもなくこの結界の内側にあるものはすべて魔力に変換されて、宿儺が完全な力を取り戻すための贄となる」
「なんですって……」
 羂索はとんでもないことをさらりと告げる。
 理論的には不可能ではない。魔力は万物に宿っている。物質を魔力に変換することも相応の手順を踏めばできる。しかし、結界の範囲内のものすべてとなるとかなり大掛かりな儀式となり、一朝一夕ではできないことだ。
「……あなたまさか、最初からそのつもりで……」
「話が早くて助かるよ。閉じた結界の内側で行われる、イレギュラーな聖杯戦争──最初から宿儺の復活のために計画したことだ。サーヴァントの戦闘や消滅反応で放たれた魔力によって宿儺を呼び起こし、結界そのものを贄として彼を完全に復活させる。……東京第一、第二、他にも仙台や桜島……各地で同じ儀式を試してきたけど、いずれも戦いが膠着してしまってね。十分に魔力が溜まったのはこの東京第二結界だけだ。だから──君たちに感謝しているんだよ。果敢に戦い続けたランサーと、そのマスター」
「……っ」
 聖杯を求めて戦い続けた。それが羂索の目論見にまんまとはまることになるとも知らずに。私たちの戦いが、宿儺というサーヴァントの枠には収まりきらないほど強大で邪悪な力を持つ、とんでもない存在を呼び起こしてしまった──
「だからね、礼として選ばせてあげるよ。君がこの結界からの退去を望むなら逃がしてあげよう。魔力として宿儺に食われることなく生き延びることができる。ただし聖杯の庇護下でなければ現界できないランサーとはお別れだ。
 もちろんなにもせず結界内に留まって二人仲良く魔力として分解されてもいいが──君はそういうタチじゃないだろうから、ここまで戦い続けた矜持でもって宿儺と戦ってみてもいい。結果は見えているけどね。面白い二択だろう?」
 逃げるか、戦うか。そんな二択を突きつけられても、いつもの私なら迷わず戦うほうを選んでいた。
 でも──宿儺という存在はあまりにも危険すぎる。通常のサーヴァントを遥かに超えた魔力量に、不可視の飛ぶ斬撃という厄介な攻撃手段。他の能力や宝具についても未知数だ。いくらランサーが強いといっても勝てるかどうか──私は自分のサーヴァントに、死にに行けと命令するのか──その迷いが決断を鈍らせて、私はすぐに羂索に答えることができなかった。
「ふふ、迷っているね? 存分に迷うといい。明日の同じ時間まで答えは待ってあげるよ」
「っ……」
「マスター!」
 首の刃が離れ、とんっと軽く背中を押される。つんのめった私の身体をランサーが素早く受け止めた。
 ランサーの胸に抱かれながら、羂索がゆっくりとした足取りで宿儺に歩み寄っていくのを見据える。
「ははっ。美しい主従愛じゃないか。ねえ宿儺、彼らがどんな決断をするのか、賭けるとしよう。晩酌でもしながらね。きっと美味しい酒が楽しめるよ」
「──ハ、なにかと思えばそういう趣向か。悪趣味だが、無聊の慰めにはなる」
 嘲りの眼差しをチラリとだけ私たちに向けて、宿儺はその姿を魔力の粒子に溶かして霊体化した。姿の消えたサーヴァントと連れ立って歩くように羂索はそのすぐ横を通り、去っていく。その足取りは淡白なものだ。私たちを敵対者として警戒する素振りも、力を誇示して牽制するような態度でもない。歯牙にもかけていないのだと背中全体を使って宣言されているようだ。
 私たちを殺さないのには理由があるかもしれない、なんて思って探りを入れようとしたのはまったく無意味だった。ただ、積極的に殺す必要性がなく、命を秤に乗せた二択を突きつけて弄ぶためだけに生かされたに過ぎなかった。
 悔しい──ランサーの腕の中で、私は手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
 ランサーは羂索の姿が完全に見えなくなるまで警戒の体勢を崩さなかったけれど、敵の気配が完全に消え去ったのを確認して短く息をついた。
「マスター、すまない。下手を打ってオマエを危険に晒した」
「ううん、ランサーのせいじゃない。私もセイバーに気を取られて、迂闊だった」
 ランサーは神妙に頭を下げる。常に警戒を怠ることなく私を守ってくれた彼が敵に出し抜かれたことは初めてだったから落ち込んでいるのかもしれない。
 私は首の傷に触れた。少しだけ流れた血はもう乾いていて、指先で引っ掻くように触ったらパリパリと剥がれ落ちた。少し切られたといっても、本当にごく僅かだ。治療魔術を用いる必要もない。
「どうする? ホテルに戻るか?」
「そうね」
 もう外を探索しても意味はない。身を潜める必要もなくなったけれど、ここしばらく拠点としてきたホテルの部屋が、私たちにとってもっとも落ち着ける場所だ。
 そこで、これからのことを決めなければならない。
 生きるために逃げるか、死ぬとわかって戦うか。

 ◆◆◆

 ホテルに戻る道中も、戻ってきてからも、ランサーは霊体化せず私のそばにいるのにほとんどなにも喋らなかった。親指の爪をガリガリと噛んでみたり、不意に髪をガシガシとかき混ぜてみたり、落ち着きがない。サーヴァントの枠を超えた強大な存在を目の当たりにして、さすがのランサーも心を乱されているのかもしれない。
 どうしたらいいかわからなくなっているのは私も同じで、ランサーにかけるべき言葉が見つからないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
 気付けば夜になっていたのでレトルト食品を活用して簡易的な夕食を済ませた。少し休んだ後、ベッドに腰かけて斜め上を見ているランサーに「シャワー浴びてくるね」と声をかけて、バスルームへと向かう。
 頭のてっぺんから熱いお湯を浴びていると、胸の中にあった余計な煩悶も洗い流されていくようだ。自分のこと、ランサーのこと、聖杯のことに、羂索や宿儺のこと──考えることがたくさんあるような気がして、頭がごちゃごちゃになっていた。
 突き詰めれば、肝心なことは一つだけ。
 私はなんのためにここにいる?
 ──戦って、聖杯を勝ち取るため。
 いつもより長い時間シャワーを浴びたあと、髪を乾かして寝巻きを身につけ部屋に戻る。ランサーは私がシャワーを浴びに行く前と同じ姿勢でベッドに座っていた。
 小さな冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、喉を潤す。テーブルにボトルを置いてから、私はランサーの背中に向かって声を掛けた。
「ランサー、私ね……ひどいマスターだなって自分でも思うの」
 ランサーは一度だけこちらへ振り向いたあと、また顔を前に向けて天井を仰いだ。
「いや、賢明な判断じゃねぇの? よく言うだろ、命あっての物種だとかなんとか」
「サーヴァントの発した魔力を溜め込んでるっていう宿儺を倒したら今からでも聖杯が起動しないかなとか、宿儺の魔力量はすごいけど令呪でブーストかけた宝具でなら勝負できるんじゃないかなとか、そういう考えが止まらなくて」
「……! マスター!?」
 ランサーがもう一度、勢いよく振り向いた。その目は丸く、綺麗な翠玉がこぼれ落ちてしまきそうなほど見開かれていた。
 私は曖昧に笑いながら、ランサーの隣に腰を下ろす。
「ひどいでしょ。あんなのと戦ってほしいなんて、ランサーに死ねって言ってるようなものなのに。どうにかしたら勝てるんじゃないかなって考えずにいられないの」
「マスター……俺はてっきり、結界の外へ出ていくもんだと」
「生き残りたいだけならそうしてた。でも私は、勝ちたい。戦って、勝って、欲しいものを手に入れる」
 ランサーの顔を横から覗き込む。面食らって揺れる瞳と目が合った。
「戦いたい、なんて……ランサーの口癖がうつっちゃったかな」
 いたずらっぽく言ってみると、ランサーは短く息をついてからふっと口元を緩めた。
「俺はそんなに戦いたいって言ってたか?」
「言ってたよ、最初から。戦うためにここにいるって」
「あー……そうだったかもな」
「ねえ、ランサー」
 一度言葉を切ると、ランサーの表情も引き締まる。
「私と一緒に戦ってくれる?」
 そして返ってくる、不敵な笑み。この戦いが始まってからいつも私の横にあった、頼もしいランサーの顔だ。
「当たり前だろ。俺はオマエの槍だ。存分に使え」
「さすがランサー。あんなとんでもないサーヴァントが相手でも戦ってくれるのね」
「むしろ、あんなのが相手だからこそ、だ。見たことも無いような強い魔力を持った敵がすぐそこにいるんだぞ。頼まれるまでもなく、戦いたくてしょうがねぇよ」
「そうなの? 静かだったからさすがに戦いたくないのかと思った。それならいつもみたいに戦わせろって言えばよかったのに」
「……言えるかよ」
 ランサーはチッと舌打ちをして、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「それを言ったら……オマエに逃げるなって言うのと同じじゃねぇか。確実に守ってやれる保証もないのに死地に立たせられるか」
「──ふふっ」
 彼の言葉を聞いて、思わず笑いが込み上げてきてしまった。ランサーはぽかんとした顔をしている。
「なんだか──私たち、同じようなことで悩んでたみたい」
 私は、さすがのランサーでも自ら死ににいくような戦いはしたくないのかと思って、一緒に戦ってほしいと言い出せなかった。
 ランサーは、戦いを選べば私が死ぬかもしれないと思って、戦わせろと言い出せなかった。
 私たち二人とも、命よりも大事な戦いを抱えているのは同じなのに、それぞれ互いの優先順位を履き違えて難しく思い悩んでしまっていた。
 逃げるか戦うかなんていう二択ではない。私たちの選択肢は最初から一つに決まっていたのだ。
「……マスター」
「うん? ……ランサー?」
 呼ばれて視線をランサーのほうに向けたら、予想外に真剣みを帯びた眼差しにぶつかった。
 ランサーの手がゆっくりと持ち上がり、頬に触れられる。少しずつ顔が近づいてくる。
 ……キスされる、というのがわかった。ランサーが私の反応を伺っているということも。
 目を軽く閉じる。視覚が遮断されると、すぐそこにあるランサーの温もりと息遣い、それに甘い匂いをより鮮明に感じた。
 緩やかに唇が重なる。ランサーが、ためらいがちにも感じられるキスの仕方をするのが、私には不思議だった。危険な戦いへの備えとして最大限に魔力を蓄えておくべきだということは私にもわかる。遠慮せず魔力を吸い取っていけばいいのに、ランサーは唇同士を触れ合わせるだけで、粘膜には手をつけないままだ。
 唇が離れた隙に、私はランサーの顔を間近から見上げた。 
「どうしたの……魔力、必要なんでしょ?」
「いや」
 ランサーは神妙に頭を振る。そして美しい海の色の眼差しをまっすぐに私に向けて、こう告げた。
「魔力は関係ない。ただオマエを抱きたい」


2023/8/9
宿儺はざっくりギルガメッシュとアンリマユ(黒桜)のいいとこどりみたいな感じで、羂索は言峰ポジション。設定はざっくりなので雰囲気で読んでください…

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