港近くにあるオフィスビルの内部にはそこで勤務していたはずの人の気配はまるでなく、代わりに魔力の気配が充満していた。倒すべきサーヴァントを探して結界内を歩き回っていた私と霊体化したランサーは、このビルを何者かが拠点にしている可能性があるとみて踏み込んだのだけれど……その魔力の気配自体が罠だったことに気付いたのは、ビルの中層の廊下で使い魔に取り囲まれた時だった。
「……ッ、やられた!」
 大きな窓から海辺の陽光の差し込むオフィスの廊下を、魔力で編まれた使い魔たちが埋め尽くす。そのフォルムは動物の姿を模しているが、眼球があるべき位置は落ち窪んで空虚な穴が空いており、身体の色は紫から黒の禍々しいグラデーションをしていた。一体ずつの魔力量は大したことはないけれど、いかにもなおどろおどろしい見た目から想像すれば、なにか厄介な呪詛が仕込まれていそうだ。
 なにより相手の数が問題だ。一度、使い魔の群れの中に沈められてしまったが最後、自分がどんな末路を辿ることになるのかなんて──考えたくもない。
「ランサー、対処を」
 すぐそばで霊体化しているランサーに向かって発した声は、我ながら強張っていた。無理もないと思う。聖杯戦争が始まってから、最も自分自身の間近まで脅威が迫っている瞬間が今なのだ。
 それでもランサーの力があれば使い魔なんてどうということはない──しかし私の期待に反して、返ってきたのは「ふわぁ……」というあくびをしているような音だった。
「ランサー!?」
『知るかよ。俺はサーヴァントとしか戦う気はない。雑魚なんざいくら倒してもつまらねぇからな』
「ちょ、ちょっと待って! このままじゃ、サーヴァントと戦う前に……!」
『どうにかしろよ。俺のマスターは、サーヴァントの守りがなくても身の安全には問題がないんだろうが』
「……あなたもしかして、昨日の夜のこと根に持ってる!?」
『あぁん? 聞こえねぇな』
 姿の見えない彼の、小馬鹿にして見下ろすような視線を感じる。間違いない。昨夜、裸を見られたからといってバスルームで平手打ちをかましたのがいけなかった。聖杯戦争の続行に支障をきたすほどへそを曲げられてしまうだなんて……戦うために召喚に応じたと断言するサーヴァントが、まさかそんなに人間くさい感性を持ち合わせているだなんて……!
 と、過ぎたことを後悔している暇すら敵は与えてくれない。使い魔の一体が廊下を駆け、一直線に私のもとへ突撃しようとしてくる。
「くっ……!」
 私は正面に突き出した右手の指先に魔力を結集させ、凝縮したそれを弾丸として撃ち出す。
 その軌道に曳光を引きながら使い魔を迎え撃った魔力弾は、四足歩行の獣を模した禍々しい身体を穿ち、風穴を開けた。すると使い魔の身体は泥のようにその場で溶け崩れて、魔力の粒子と化して霧散する。
 ひゅうっ、と口笛のような音が耳元で聞こえた気がした。霊体化しているランサーは気のないことを言いながらも一応は事態の推移を見守っているらしい。
 私の魔力放出でも対処はできる。しかしそれは、一体ずつを相手にした場合だ。廊下の両側から私を取り囲んでいる使い魔が一斉に向かってきたら、それらを倒しきるすべはない。それに魔力の貯蔵量にも限界はある。廊下を埋め尽くすほど大量の使い魔をすべて倒しきれるとは思えない。
 となれば──私は次の使い魔が向かってくる前に再び指先に魔力を集め、それを窓に向けて撃ちだした。
 瞬間的に魔力で全身を強化。強く床を蹴り、勢いよく飛び散るガラス片の中に自ら飛び込んで、割れたガラス窓から空中へと身を躍らせる。
「ランサー! 着地、任せた!」
 身体強化によってガラス片で肌が切れることはなかったけれど、さすがに着地の衝撃を緩和できるほどではない。身体は重力に従ってヒュウッとまっ逆さまに落ちていく。
 もしランサーがへそを曲げたままで私を見捨てたならこれで一環の終わり──だけれど、街路樹の木のてっぺんを過ぎたあたりで私の身体は覚えのあるがっしりとした感触に包み込まれた。
「ったく。度胸のある女だよ、俺のマスターは」
 横抱きに私の身体を抱えたランサーの呟きが苦笑いと共に降ってくる。地表はもうすぐそこに迫っていた。
 直後、ランサーは着地した地面を蹴り砕く勢いで跳躍し、再び空中に身を躍らせる。ひび割れた地面にはビルの上から降ってきた使い魔が濁流のように押し寄せていた。
 街灯やビルの壁面を足掛かりに跳躍を重ね、私たちは海辺の開けた場所に出る。大型船に荷物を積み下ろしするためのコンテナヤードだ。
 ランサーは整然と並んだコンテナの山の上に着地すると、抱えていた私を下ろした。彼の手つきは丁寧で、使い魔への対処を渋っていた時のような気怠さはどこにも感じられない。
「見事な逃げの一手だったがな。オマエ、俺が手助けしなかったらどうするつもりだったんだよ」
「どうもこうも、ぺちゃんこになるだけよ」
「捨て身とはまた剛腹だな」
「あのまま囲まれていてもどっちみちやられてた。どうせ死ぬなら殺されるより自分でどうにかなったほうがマシだもの」
「自分の死に様は自分で、ってか? 令呪を使う手もあっただろうに」
 令呪は三度だけの絶対命令権。言うことをきかないサーヴァントを思い通りに動かすこともできるし、通常あり得ないような奇跡──例えば瞬間移動とか──を起こすこともできる。確かに令呪を使えばランサーに使い魔の一群を倒させることができた。しかし──
「だめよ。令呪は、死なないためじゃなくて勝つために使うって決めてるの」
 奇跡は有限なのだ。使い処を誤ってはいけない。使い魔を退ける程度のことに令呪を用いなければならないのなら、その程度の実力しかないのだということ。遅かれ早かれ私たちは敗退する。最後に勝てないのなら一時しのぎの延命に意味はない。
「ハハッ、いいんじゃない?」
 するとランサーはケラケラと高らかに笑い声を上げる。
「とことん勝ちにこだわる貪欲さに免じて、昨日のアレは水に流してやるよ」
 やっぱり根に持っていた! 今さら蒸し返したくはないので、私は苦笑いを浮かべるだけに留めておく。
 ランサーにはああ言ったものの──私は、彼の助けがあるはずだとほとんど確信を持っていた。ランサーは戦うことをなによりも優先するたちだと思っているからだ。魔力の供給源たるマスターの死はそのままサーヴァントの消滅に繋がる。つまらない意地のようなもののために私の命を見捨てて、目の前の戦いから敗退してしまうような選択はしないはずだ、と。
「さて、奴らも追いついてきたか」
 ふとランサーがもときた方角に顔を向ける。私たちのあとを追ってきた大量の使い魔が、澄み渡る海辺の青空には不似合いなおどろおどろしい色合いの波濤となり、道路を埋め尽くす勢いで押し寄せてきている。
「ランサー、今度こそ……!」
「わかってる。俺もただ逃げてたわけじゃねぇ。道中に電荷をバラ撒いてきた」
 ランサーはニヤリと口角を上げた。鋭い犬歯が剥き出しになった獰猛な笑み。彼の纏う魔力が一気に膨れ上がる。ヂィィ……! 走る電流。舞い散る火花。
 ランサーが軽く腕を振るう。瞬間──パリッ! 乾いた音と、その軽さに見合わない強烈な光が迸った。
 ジグザグに軌道を揺らしながら空間を裂く紫電。ランサーが解き放った稲妻は目が眩むほどに苛烈な光を放ちながら使い魔の軍勢に向かっていき──一つの巨大な生き物のようにうねるそれに、易々と風穴を穿った。使い魔は紫色の泥のように飛び散っては魔力の粒子となって霧散して、おびただしい使い魔の軍勢は瞬く間に灰塵と帰す。
「これが……ランサーの……」
 圧倒された私は無意識にこくりと生唾を飲み込んだ。
 不思議には思っていたのだ。ランサーというクラスではあるが、彼が武器とする長い棒には刃がない。長物を広義に槍として捉えてのクラス定義かとも思ったけれど、そうではなかった。この、大気を裂く稲妻こそがランサーの槍なのだ。
 凄まじい破壊力と速度。これだけの威力がありながら、宝具ではないというのだから震えが走る。
 やっぱり──ランサーの力があれば、この戦争、勝ち抜ける──!
「ざっとこんなもんだ。……ククッ、今のにつられて出てきたな? 戦いたくてウズウズしてた奴らがよぉ」
 ランサーは瞳にギラギラと獰猛な闘気を宿して周囲を見回す。私も気付いていた。コンテナヤードを取り囲むように強力な魔力の気配──おそらくはサーヴァントが、最低でも二騎。堂々と姿を現さず潜んでいる者も他にもいるかもしれない。ランサーの稲妻が戦場の狼煙となり、彼らを引き寄せたようだ。
「やるだろ? マスター」
「そうね。いま尻尾を巻いたら、なんのためにここにいるのかわからなくなる」
 もともと私たちは倒すべきサーヴァントを探して歩き回っていたのだ。向こうから来てくれるのならむしろ好都合というもの。
「さすが、話がわかる」
 ランサーは笑みを深め、両手を構える。魔力を使い、その手の中に武器の長い棒を編み上げた。
「できればそろそろ一騎くらいは倒したい。でもまだ宝具は使わないで。最低でもサーヴァントが半分に減るまでは、切り札は温存したいの」
「……一応言っとくか。マスター、俺は最後の戦いまで宝具を使う気はない」
「え……なにもそこまで用心しなくても」
「違う。俺の宝具は一発限りだ。魔力の消費が激しすぎて、現界を保てなくなるほどすっからかんになっちまう。おそらく宝具を使った途端に俺は消滅するだろうよ」
「……! そんな……」
 そんな制約、聞いていない。あまりにも不利だ。敵は好機とみれば宝具を使ってくるはず。それなのにこちらは最後の一戦まで宝具を使わず渡り合うだなんて──
 ──いや、しかし納得もできる。軽々しく宝具を使えないからこそ、ランサーの素の戦闘力はここまで高いのかもしれない。宝具なしでも他のサーヴァントとの戦闘を切り抜けるために。
「だから言ったろ。聖杯はいらねぇって。俺は最後の戦いで宝具を使って、思い切りやり合えりゃあ満足だ。そのあと俺は消えて、優勝賞品は全部オマエのもんだよ」
 サーヴァントの消滅とは、人間でいう死亡と同義だ。自らの生死に関する話をしているというのにランサーの声音はカラリとしたものだった。本当に彼は、満足に戦うことさえできれば自分の命は二の次らしい。
「……」
 聖杯を手にするための筋道。それが示されるのは歓迎するべきことなのに──私の胸によぎったのは不思議な寂しさだった。
 すべての戦いを勝ち抜いたとき、そこにランサーはいない。強くて、頼りになって、戦うことがすべてという顔をしているくせに時々妙に人間くさい、この居心地のいい相棒は──共に勝利の喜びを分かち合ってはくれないのだ。
「まあ、まずは目の前の戦いからだ」
 ランサーの言葉にはっとして私は顔を上げた。迫りくるサーヴァントの気配はすぐそこまで接近してきている。いつ訪れるかもわからない未来に気を取られていたら、そんな未来は訪れなくなってしまいそうだ。私はぐっと拳を握り、ランサーを見上げた。
「勝とう、ランサー」
「おう、任せろ!」
 ランサーは飛ぶようにコンテナの上を駆けて戦いに赴く。その背中を見送って、私は安全を確保するために身を潜める場所を探すのだった。


2023/8/1
着地任せた!は鉄板ですよね!
原作鹿紫雲とzeroとSNの大好きなところだけつまみ食いしてます。楽しい。

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