「──抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」
 サーヴァント召喚の呪文を結ぶと共に、私の体内を駆け巡る魔力の奔流が最大限に加速する。
 召喚陣を起点に逆巻く風と稲妻が夜闇を吹き飛ばす。あまりの風と光の眩さに、目を開けていることが苦しくなる。辛うじて薄く開いた視界の中で魔力の極光は臨界点まで達し──その奥から、ゆらりと長身のシルエットが立ち上がった。
「へえ、これがサーヴァントってやつか。悪くない」
 光が徐々に収束し白煙が立ち昇る中で、彼は手のひらをぐっぱっと握ったり開いたりしていた。
 次いで彼は目の前にいる私へと視線を移す。
「オマエが俺を呼んだのか?」
 彼の特徴的な髪色と同じ、南国の美しい海のような色の瞳に真正面から射竦められて、ドクンと私の心臓が大きく跳ねる。魔力によって実体化しているかりそめの肉体だなんて思えないほどの存在感と威圧感、なにより、魔術師の使い魔だなんていう立ち位置にはとても収まりきらないような意思の強さを感じさせる眼差しだ。
 こんな存在を自らのサーヴァントとして私に御しきれるのだろうか──途端に不安と緊張が膨れ上がって、私は言葉なく頷くだけで精一杯だった。すると彼は「そうか」と呟いてふっと口角を上げる。
「ランサー、鹿紫雲だ。英霊なんてたまじゃねぇが、……ッ」
 緩みかけていた空気が一瞬にして張り詰めた。私の五感が異変を察知する前に、お腹に巻き付いてきたなにかによってぐんっと強く身体が引っ張られ、みるみる地面が遠ざかる。
 私がサーヴァントの召喚場所に選んだのは商業地区の一角にある海に面した公園だった。この東京第二コロニーはそれほど広い結界ではない。サーヴァント召喚という大量の魔力放出を伴う儀式を秘密裏に行うことは難しく、どこで実行しようとも誰かに捕捉される懸念があった。だから隠れることを諦めて、襲撃があった際に対応しやすい開けた場所を選んだ。
 そして、その懸念は見事に的中してしまった。高く跳んだランサーによって荷物のように小脇に抱えられている私の真下では、先程まで立っていた地面が何者かによる魔力攻撃で粉々に粉砕されてしまっている。おそらくは敵サーヴァントの襲撃だ。
「いきなりかよ。さて、どうする? マスター」
 公園の小さな建物の屋根に着地して私の身体を放したランサーは、突然の襲撃にもまったく動揺した様子を見せない。むしろ嬉々とした声音で私に問いかけてくる。
「迎え討つか? それとも撤退か? サーヴァントだからな、命令は聞いてやる。だが、俺が戦うためにここにいることは肝に銘じて──うまく俺を使えよ」
 ランサーの声には独特の凄みがあった。獲物を前にして牙の間から涎を滴らせる猛獣を連想させる。指示を仰がれているのか、さっさと戦わせろと脅されているのか、よくわからない。
 しかし──おかげで、サーヴァント召喚から突然の襲撃で目を回しかけていた私にも気合が入った。
 戦うためにここにいるのは、私だって同じなのだ。
「応戦して、ランサー」
 私は意識して強く声を張る。真横で言葉を待っていたランサーは、ぴくりと眉を跳ね上げた。
「可能ならここで倒して。でも、こっちの宝具は使わない。どこで誰が見ているかわからないから。もし相手の力量が高ければ、追い詰められそうになる前に撤退を」
 サーヴァント同士の戦いは情報戦だ、と心得ている。敵は目の前にいる一体だけとは限らない。そして、切り札を先に開示したほうから不利に陥っていく。現状の私たちの優先事項は襲撃者から身を守ることと、こちらの情報をできる限り秘匿すること。その上で攻めの作戦として、応戦する中で敵の正体や特性、切り札を明らかにすること。直接この場で相手を倒せなくても、この戦いを見て有利を取れると判断した誰かが倒してくれればそれで構わない。
 この聖杯戦争という戦いは、最後に立っているたった一人が勝者となるのだから。
「承知した。なるほど、俺のマスターは見かけのわりに戦のなんたるかをわかってるようだな」
「……見かけのわりには余計なんだけど!」
「ハハッ、わりぃ。褒めたつもりだったんだが」
 ケラケラと笑ったランサーは一歩私の前に出た。構えた両腕の中に、魔力で編んだ長い棒を出現させ、そして低く腰を落とす。
「戦場でそんな軽口叩けるんなら心配いらねぇな。ちょっくら行って首級を上げてやる。用心して待ってろ」
 少しだけ後ろを向いて私の目を見て断言するランサーの表情は、戦いに向かうという高揚のためか爛々と輝いて見えた。
「任せたわ。──あなたの力を示して、ランサー」
「ハッ! 言われるまでもねぇ!」
 瞬間、美しい色の瞳に闘気をみなぎらせたランサーが重く足を踏み込んで、大きく跳躍した。どこに潜むかいまだわからない敵にもまったく臆することなく向かっていく背中を、私は胸の前で拳を握りしめて見送る。
 初めてのサーヴァント戦だというのに不思議と切迫感はない。私の胸には興奮と高揚が湧きたっていた。彼なら大丈夫──そんな気がしたのだ。私はきっとランサー、鹿紫雲と共に、この戦争を最後まで戦い抜ける。自信と闘争心に溢れた彼の眼差しが、私にそんな確信をもたらしていた。


◆◆◆

 初戦を終えた私とランサーは身体を休めることのできる拠点を求めて臨海部のホテルへとやってきた。客室内をぐるりと見回し、魔力の気配を感じないことを確かめてから室内に足を踏み入れる。
「サーヴァントは召喚された時に聖杯戦争の知識を自動的にインプットされるって本当なの?」
 部屋の中を観察しながらランサーに話しかけた。彼は霊体化していて姿こそ見えないものの、魔力を通じてすぐ傍に存在を感じる。
『ああ。七騎のサーヴァントによる殺し合い。最後に残った奴が万能の願望器、聖杯を手に入れるってやつだろ』
 頭の中に直接ランサーの声が響く。霊体化している彼の声はマスターである私のところにしか届かない。
 室内には私しかいないはずなので、霊体化していても実体化していても会話すること自体に支障は出ない。けれど、戦いを終えたばかりの彼が少しでも早く消費した魔力を回復できるように、霊体化して魔力の消費を抑えてもらっている。
 先程の初戦の戦果は可もなく不可もなくといったものだった。遠距離攻撃主体の戦い方で、おそらく襲撃者のクラスはアーチャー。しかしそれ以上の手の内は向こうもこちらも晒さなかった。簡単に情報を開示したくないのはお互い同じなのだ。結果、単なる小競り合いの域を出ないままに相手は撤退し、戦闘は終了した。
『要は全部のサーヴァントと戦って勝てばいい。わかりやすくていいな』
 霊体化しているランサーの顔が見えなくても、闘争を前に興奮して爛々と輝く彼の目は容易に想像ができる。召喚してからまだ間もないけれど、とにかく戦うことが好きなのだという彼の気質はこれまでの言動から既に理解しているつもりだ。わかりやすいのはあなたのほうよ、と言いたくなる。
「わかりやすいうちに勝負しに行きたいところよね。長期戦になれば手を組んだり、罠を仕掛けたりする時間を敵に与えることになる。結界内の物資も限られているし……」
『短期決戦か。策より力で押し通す。俺好みだ。気前がよくていいねぇ』
「ランサーは強いってことがわかったからね。十分、こっちから仕掛けていける力がある」
 アーチャーとの戦闘で私はランサーの力量について確信を持った。彼は強い。私たちは十分、聖杯に手が届く位置にある。筋力A、魔力B、敏捷A……なんていうステータスもさることながら、彼の戦闘センスと勝負根性、それに戦士としての勘、すべてが優れている。実際、リーチにかなりの不利があったアーチャーとの戦いでも、危ないと感じる場面は一度もなかったし、こちらの優位で戦闘を運んだほどだ。
『そこまで期待されたら応えねぇとな。まあ任せとけよ。全員ぶちのめして、聖杯をオマエのもんにしてやる』
 こともなげに言ってのけたランサーに、私は「ん?」と客室内を点検する手を止めた。
 聖杯を私のものにするって……そんなあっさりと? あれはすべての魔術師の悲願。どんな願いでも叶えることのできる万能の魔力装置だ。マスターもサーヴァントも、聖杯戦争に集った者は皆、聖杯を渇望している。最後の一組となって聖杯を手にしたとき、サーヴァントに聖杯を渡さないために、強制命令権である令呪を一画残すのがマスターとしての重要な立ち回りだといわれるほどなのに。
「ランサーは……聖杯にかける願いはないの?」
 ドキドキと胸の鼓動が高鳴るのを感じながら問いかける。聖杯を求めて戦いに参加した者同士、この問いは場合によっては相手の地雷を踏み抜くことになりかねない。最悪、ここで自分のサーヴァントに謀反される恐れもあるのだが──
『ない』
 ランサーはあっさりと、そしてはっきりと告げたのだった。
『俺の望みは強い奴と戦うことだ。聖杯戦争に参加した時点で願いは叶ったも同然なんだよ。オマエのもとでは気持ちよく戦えそうだしな。優勝賞品なんざくれてやる』
「……そ、そう。ありがとう」
 正直なところでは拍子抜けだけれど──ランサーがいいと言うならいいのだろう。平然と嘘を言ってこちらを騙すようなタイプには見えないし……
 とても強いうえに、聖杯には興味がないサーヴァント。もしかして私は召喚にあたって、大当たりを引き当てたのだろうか。仮に私にもステータスがあったなら幸運EXに違いない。
 そんなことを考えているうちに客室内の点検作業は終わった。ここを拠点として定めるにあたって、身の安全のために罠や監視の目がないことを確かめる必要があったのだ。幸いにして妙な仕掛けや使い魔などを発見することはなかった。
 念のために周囲に簡易的な結界を張る。気配を完全に遮断することはできないし、侵入を拒むことはできないけれど、結界内の気配や魔力を分散して居所を不明瞭にすることができる。おそらくアサシンのサーヴァントなどはこちらの対処を見破るくらい魔力探知に長けているので、完全に身を隠すことよりも、奇襲された際の初撃の精度を低下させることを目的とした。もし襲われてもランサーがなんとかしてくれる──彼の実力に対する信頼があるからこそ取れる作戦だ。
「じゃあランサー、私、シャワーを浴びてくるから」
『わかった。見張りは任せろ』
 休息を取るのも戦いのうち。身を清めてしっかり眠り、明日からの戦いに備えないと。
 私はタオルと着替えを持ってバスルームに向かう。聖杯戦争の真っ最中だというのに裸になるだなんて、霊体化したランサーが見張っていてくれるという安心感があるからこそできることだ。
 電気やガスが生きていてよかった、と思いながら熱いシャワーを浴びる。備え付けのシャンプーで髪を洗って流し、次はボディーソープを、と手を伸ばしたところで……
「あっ……!?」
 つるん、と足裏がバスルームの床で滑ってしまう。浮遊感と、ヒヤッと背筋が冷える感覚。このまま転んだら頭をしたたかに床に打ち付けてしまう。う、受け身を取らなきゃ……!
「あっぶねぇな」
 ぽすっ、と。私は転倒することなく、誰かの逞しい腕で受け止められた。……誰か、なんて。ここには私の他にはランサーしか……!
「ラ、ラララ、ランサー!? なにやってるの!?」
 シャワーを浴びていたので当然ながら私は素っ裸だ。あれもこれも丸出しで、いくら私が常に冷静、冷徹であれと教育された魔術師であるとはいえ、突然のこんな羞恥には耐えられない。
「そりゃあこっちのセリフだ。風呂で転んで頭の打ちどころが悪くて敗退、なんてシャレになんねぇ」
「いっ、いいから! 早く下ろして! 見張りは!?」
「は? 見張りの一環だろ? オマエの安全を守った」
「シャワーの時までこっち見てなくていいってば!」
「ったく、なに焦ってんだか」
 私を受け止めるために実体化したランサーはシャワーのお湯を被ってびしょ濡れだったけれど、彼は気にする素振りを全く見せない。霊体化してしまえば濡れた状態もリセットされるからなのだろう。彼は余裕たっぷりの動作で私を床に立たせると、こともあろうに真正面からこちらの裸体を見下ろして、
「心配しなくても欲情なんかしねぇよ。しゃらくせぇ」
 などとふざけたことを言うのだ。これにはさすがにプツンッと堪忍袋の緒が切れる。
「早く出ていってーーーッ!」
 勢いで振り上げた平手はものの見事にランサーの頬に命中した。バチィン! コメディ映画の効果音みたいな音がバスルームに反響する。
 打たれた頬を赤くしたランサーは「チッ」と舌打ちを一つした。その姿が空気に溶けるようにして消えていき、霊体化する。こうなると私にもなんとなく傍にいることしか感知できなくて、バスルームの中にいるのかどうかまではわからないけれど、指示通り出ていったのだと思いたい。
「…………」
 私は自分の身体を見下ろして、胸から腰にかけて……平均的な女性の身体と比べて少々隆起の控えめな身体の線を手のひらでなぞった。確かに豊満とは言いがたいけれど、こんな身体じゃ欲情しないだなんてレディに対してあまりにも失礼すぎる。欲情してほしいかと言われるとそういうわけではないけれど……実際襲われても困るけれど……でもそういうことじゃなくて……
 などと、悶々としながら身体を洗う羽目になってしまった。


2023/8/1
東京第二コロニーのランサー鹿紫雲…似合い過ぎる…!

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