眺望



 現代の空は無機質な建造物に邪魔されてしまってとても狭く、味気ない。茜空は太陽の沈む地平近くの赤から、徐々に夜に塗り潰されていく上空にかけてのグラデーションが美しいのだ。それを切り取るものがなだらかな山並みの稜線なら風情があるのに、角ばった墓石のようなシルエットなんてお呼びでない。
「空がよく見えませんね、宿儺様」
 景色を眺めていても心を満たす眺望は得られない。そう諦めた私は、傍らに佇む主君の顔へと視線を移した。裏梅さんと共にお仕えした平安の世から千年の時を越えて再び出会うことのできた、宿儺様。美しく紋様に彩られたそのお顔をこんなに間近に見上げることができ、言葉を交わすことを許されているのが、私にとって最大の幸福だ。
 涼やかな眼差しで呪霊のはびこる廃都、東京の景色を見下ろしていた宿儺様が、私に目を向けふっと微笑を浮かべる。
「この眺めはオマエには不服か?」
「ええ。邪魔なものが多すぎます。人間たちなんて呪いの脅威に怯えて小さくなって暮らしていたはずなのに、いつからこんなに態度が大きくなったんでしょう」
「ケヒヒッ、オマエも人間の一人だろうに! 相も変わらず面白い口を利くものだ。だが……そうだな。確かにこの時代には無駄なものが多い。それが無聊の慰めになる場合もあるが、ここでは邪魔なだけだ」
 宿儺様の声は弾んでいて、見るからに上機嫌そうだ。私はそんな宿儺様の顔を見るのが大好きだ。いつも面白いことが起きるから。村がいくつか燃えて美しい炎を目にすることができたり、呪いへの恐怖に怯えて逃げ惑う人々の悲鳴を肴に美味しいお酒を楽しんだり、宿儺様のもとで過ごした充実した日々の思い出はいくつもある。
「邪魔なものは切り払えば良い」
 宿儺様の両手が印を結ぶ。三角形のその形は伏魔御厨子の屋根を連想させる。
 ──途端。空を覆い隠していた建造物群は細切れになって吹き飛んで、宿儺様と私を円の中心とする広範囲に渡って廃都の一角はまっさらな更地と化した。
 遮るもののなくなった空は燃えるような赤に染まり、その茜色で地表の瓦礫を染め上げている。
「さすが、宿儺様です……!」
 私の声は上擦り、目には涙が滲みそうだった。敬愛する主君の呪いの力を前にして感極まってしまう。これが千年前も現代も、人々を震え上がらせて頂点に君臨する呪いの王、宿儺様の力。どんなに巨大な建造物群も宿儺様の手にかかれば紙屑のように消し飛んでしまうのだ。
 そんな威容を目の当たりにして──私の胸には罪悪感のようなものがよぎってしまう。こんなふうにお傍にいることを許されているけれど、本来なら私のような取るに足りない小娘が軽々しく話しかけていいような存在ではないのだ、宿儺様は。
「ねえ、宿儺様……」
「どうした。まだ足りぬか?」
「……もし邪魔になったら、私のことも今みたいに綺麗に切ってくださいね」
 私は心からの笑みを浮かべて、穏やかで明るい声音で告げた。それが本望だからだ。宿儺様が私を傍に置くのはきっと気まぐれで、これがいつかは終わる幸せな時間だとわかっている。だったら……その終わりは宿儺様の手によってもたらされてほしい。そんなワガママが許されると思ってしまうのは、傲慢だろうか。
「……ハ、なにを言い出すかと思えば」
 宿儺様は一瞬だけ面食らったような表情を浮かべたあと、心底呆れたと言いたそうに眉を歪めて、私の頭に手を伸ばしてきた。ぐしゃりと髪をかき混ぜられて思わず「ひゃあっ」と上擦った悲鳴が漏れる。
「オマエの一本ネジの飛んだ頭には、千年という時間も取るに足らないものなのか?」
「……? い、いえっ、とんでもないです。お別れしてからの時間は、とても……長くて……」
「ならばわかるだろう。千年を経て、俺はオマエを捨て置くことなくわざわざ拾いに行ってやったのだ。その価値をオマエ自身が貶めることは許さん」
「は……あ……ええ、と」
 ぽかんとして空いた口が塞がらない。今のは……もしかして……宿儺様は、私が思っている以上に、私のことを気に入ってくださっている……?
「フ、間抜け面めが」
 満足げに目を細めた宿儺様が腕を組んで私を見下ろす。その美しいお顔に茜色が差し込んで、黒々とした紋様を炎の色に染め上げている。
「理解したならば良い。オマエはこれからも天真に振る舞い、俺を楽しませろ」
「……! はい、宿儺様!」
 宿儺様の瞳は地平付近の空よりも、燃える火炎よりも、なお鮮やかな紅の色をしている。千年経っても色褪せることを知らない、眩しく苛烈な王の色。そんな宿儺様だからこそ私は心の底から敬愛し──宿儺様が許してくれる限りずっとずっと、傍でお仕えしたいと願うのだ。


2023/8/1
ツイッター『#空夢の呪い』企画様参加作品
お題:茜空

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