浴室でシャワーを浴びている時点で、自分が咎める意味で酷く抱いた舞雷が逃げたことを毛利は察していた。
シャワーの温水を浴びながら些か冷静になった頭でそれを受け入れるのは残酷なことだった。毛利は柄にもなく泣きそうになりながら舞雷のことを考え、震えが来る程に愛しさと悲しみに満ちている己の心をどうにか抑制しながら、浴室から出て落ちた彼女の髪を拾い集めた。
確認するまでもなく、舞雷は浮気相手の男の元へ向かったことだろう。また苛立ちが支配するかと危惧するが、冷静さを取り戻した毛利には、彼女の行動を理解する頭はあった。だが、理解は出来ても納得するのは難しい。かといって、また戻って来た舞雷に同じようにぶつかれば、今度こそ手の届かない所へ逃げてしまうことは判っていた。
この日始めて毛利は無断欠勤をした。一人の空間で静かに涙を流し、頭を抱えて、舞雷が帰ってくるのを待った。
舞雷はもう一度だけ必ず帰ってくる。何であれ答えを出し、通告にくる筈だ。

毛利は最悪舞雷は数日帰らないと思っていた。だが、日が落ちた頃、舞雷は長曾我部と別れて部屋の前に立っていた。また逃げて来てしまったことが余計に毛利との再会を渋らせて、一歩踏み出すのを躊躇わせる。
舞雷は長曾我部の想いを知らされたあと、一人になって日中考え続けていた。元を辿れば二人は同罪だけれど、本当の意味で壊してしまったのは自分だったかも知れない。だからこそ、彼女は賢明な判断をしたつもりだ。
舞雷が意を決して鍵を開け部屋に入ると、彼女の帰宅に感づいた毛利が慌てて立ちあがり、電灯を点けた。
「………元就、私ね…」
嗚呼、聞きたくない。毛利は舞雷が緩慢に続けようとするその先を拒みたかったが、必死に耐えた。
「これでも、反省してるの」
「……また例の男の元にいたのだろう?それで何が反省など――」
「ごめんなさい」
妙なプライドか意地が邪魔しなければ、毛利だって泣き縋って行くなと言える。けれどどうしても彼女を責めるような言葉しか吐けず、それを心底後悔しながら舞雷の出方を窺っていた。
そして、舞雷は謝罪の言葉だけ吐いて深く頭を下げたのだ。これを、毛利は別れなのだと思った。
「…や、やめよ、」
「……元就?違う、私は・」
「どうすればよかったというのだ、これ以上、我に!」
「お願い待って…違うってば…」
ついに抑制が利かなくなり声を震わせた毛利に、舞雷は手を伸ばした。それに甘えられる男であったら少しは冷静になれたかも知れないが、毛利は彼女の腕を払い除けて、今度は自分が出て行こうとする。
「待ってよ…!私、あの人の所に戻るつもりなんてない!」
「ッ……」
「今日一日、よく考えた。それで出した結果なの」
「………」
「元就、貴方が赦してくれるなら、もう一度やり直してみたい…」
「……そなたは戻ると思うのか、互いが幸福だった頃に」
舞雷は涙を零しながら唇を噛んだ。
毛利は、舞雷に背を向けたまま、自分が彼女に投げた問いに『無理だ』と心中で答えながら、けれど舞雷が前向きな答えを聞かせてくれることを願っていた。
「……判らない。自分の気持ちが隠れているだけなのか、変わったのか、判らない」
「…そうか」
「判らないけど、此処で貴方から逃げたくない」
舞雷にとって長曾我部の元に逃げてしまうのは実に簡単なことだったが、朧になってしまった毛利との関係から逃げる方は選ばなかった。
毛利にとっては願っても無い判断だったが、同時に苦しいことでもある。毛利からしたら舞雷への愛情は変わらないが、彼女は違うと薄々感づいていたからだ。
「……我は、変わらずそなたを愛している。これはそなたの問題だ」
「…だから、もう一度……」
「………何?」
「もう一度、貴方が愛させて」
これが最大の我儘だということを舞雷は察していたが、強請るしかなかった。
目を見開いて驚きを示す毛利にしがみついて、過去を見つめる。
幸せだった遠い過去を。


蜃気楼を抱いて