行為の後、大概のことは男に話した。男の名は長曾我部元親。仰々しい名前なので忘れることはないだろう。コンドームもなしに吐精したことを謝られたが、運良く安全日だった。それは自分も悪いのだから言わないで欲しいと念を押し、そのまま長曾我部の胸で眠って朝を迎えた。 「じゃあ俺ァ仕事あるからよ」 「送ってくれてありがと…」 「いいって。…道順覚えたか?あとこれ、携帯のアドレス。メールしろよ」 「え?」 「…まさか一晩だけってこたァねぇよな…?舞雷さんよ」 「……ん…」 「!あ、脅してんじゃねぇよ!相談に乗るって言ってんだ。また追い出されたり喧嘩したら頼れよ、力になるからな。ヤんなくてもいいんだよ」 「っ…!あ、ありがと…」 「おう、じゃあな」 舞雷を家に送ったあと、長曾我部は笑顔で手を振り車を発進させた。渡された携帯のアドレスメモを握り締め、舞雷は迂闊にも赤くなった顔を抑える。暫くそこへ突っ立っていたが、よく考えれば昨夜限りの関係とはいかなかった。何せ上着を借りて出てきたのだから、返さなければ。 無駄に緊張したのを反省しながら舞雷はようやく動き出した。しかしまた、固まった。送ってもらいはしたが、自分が鍵を持っていないことを失念していたのだ。朝だから大家に連絡すればどうにかなるか…?などとぶつぶつ考えながら、とりあえずドアノブを捻る。………開いた。 「(……?)」 開いてしまったことに舞雷は心から驚いた。時間的に、毛利はもう出社している。自分は偶然代休だったので会社の心配はしないが、鍵もなく出て行った舞雷を気遣って施錠せずに出たのだろうか。 「…そうよね、普通…」 いくら冷たい毛利とて、仮にも恋人にある自分を締め出したままにはしないだろう。喧嘩したては冷静さを欠いていたかも知れないが、一晩すぎればそのくらい…一度他の女を抱いて発散すれば、そのくらい……。 自分で考えて泣きそうになった。だが同じ事を自分もしてしまったのだから、と舞雷は対等になろうとする。 「朝帰りか」 「ッ!?」 リビングに入った舞雷は、危うく転倒する勢いだった。あまりに勢い良く心臓が跳ね上がったのでつい胸を押さえる。視線は室内にいた男…毛利に釘付けのまま。 休みをとったと思えばそこまで不思議ではなかったのだが、いないものと思っていた所為で無駄に驚いてしまった。そのまま舞雷は視線をずらす。寝室の扉は閉まっていて中は確認できなかったが、彼女の視線の動きで毛利は察し、眉を寄せた。 「女などおらぬ」 「……そ、そう」 「…もう一度言うが、貴様…朝帰りとは良い身分だな」 「は…?自分が追い出したんじゃないの、女と寝るから出てけって…」 「阿呆か、貴様」 「……なんで…?」 「いくら生活が擦れ違うようになったとて、貴様が夜中に出て行き翌朝まで帰らぬことなどなかったな。それで何故あの時我が言ったことを鵜呑みに出来るのかわからぬわ」 毛利は心底呆れたように舞雷を睨み続けている。何を言われたのだっけ、と舞雷は考えた。確か毛利は夜中に舞雷が帰らぬと思って浮気相手の女を呼んだ――ようなことを言っていたような気がする。つまり? 「……嘘…?」 「女など連れ込んでおらぬ」 「………」 「浮気などしていなかったということだ。……貴様は違ったようだがな」 毛利は立ち上がると舞雷との距離を詰めた。彼の纏う空気が冷たい。殺気というのはこういうものか、と片隅で思いながら、舞雷は身体の底からくる震えを止められない。壁に追い詰められ、息を飲む。毛利は切れ長の目を細めて、上着を剥ぎ取った。 「我の知る相手か?」 「っ……」 「ん?言えぬか。当然だな」 「あっ、元な…」 「その男には気持ち良くしてもらえたのか」 「そんなっ……」 「仕事の都合で夜が合わず、しばらく抱いていなかったからな…。さぞ淫らに求めて善がってきたのであろう」 「な、によ……自分だって浮気するって言ったくせに…!」 「あれしきの嘘を見抜けず、真に受けてやり返す。餓鬼か、貴様」 「ッ、このっ、、」 「腹を立てるな。憤っているのは我の方よ!」 「あっ!」 淡々とした尋問のように思えたが、一瞬で態度を変えた毛利は、歯を食いしばり舞雷を睨んだ。覇気を含んだ声は舞雷の苛立ちなど吹き飛ばす。頬をぶたれて彼女は吹き飛んだ。 「ぁぐっ」 「この屈辱…!どう晴らせばよいのだ?舞雷…!」 「ひっ、ぅ…!」 どうしたら楽になるかなどわからなかった。毛利は腹の底から湧き上がるどうしようもない苛立ちに翻弄されて、今にも泣いてしまいたいくらいだった。床に倒れた恋人に馬乗りになる。数発拳を叩き込むがちっとも心は楽にならない。だったら口付けすればいいのか、と精一杯甘く口付けしたが、先に殴った所為で口内が切れたらしく、血の味がしただけだった。 ふと目についたハサミを手にする。別に刺したかったわけじゃなかった。肉を切ってしまおうというのでもない。だが誤解して怯えた舞雷は哀れな程に泣いて拒んだが、毛利は自分でも己の感情を整理できないまま、彼女の長い髪にハサミを入れた。じゃりじゃりと音がしてぱらぱらと髪が落ち、最後には乱雑でぐちゃぐちゃの舞雷が出来上がる。 「……我は、浮気などせぬ」 「…………」 殺されると舞雷は思った。だが毛利は舞雷を殺すどころか、殴りはしても切りつけるようなことは出来なかった。だから髪だけぐちゃぐちゃにして、あとは落ちた髪を払い除けて首筋に吸い付いた。浮気相手は彼女の肌に何も残さなかったが、自分は違う。三つ程鬱血の後が出来たところで、毛利は手に持っていたハサミをようやく遠くへ投げ捨てた。
切られた髪
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