かつて激しく燃え上がった愛情はどこへ消えてしまったのかと、当の舞雷も、毛利も、心底疑問に思った。今睨み合っている恋人は同棲を始めてもう4年にもなる相手だった。本当なら結婚に踏み出してもいい筈だ、それなのに。
「私なんかにはもう飽き飽きしたんでしょ?他に女がいるんでしょ」
「そうだな。貴様に拘らなくても女には困らぬわ」
「……そうでしょうよ!」
最近ではどちらともなく笑いかけるようなことはなくなった。それだけならまだしも、同棲しているにも関わらず擦れ違いの生活が続き、挙句顔を合わせれば些細なことで喧嘩をする。
「ああ、今夜は帰って来ぬと思ったのでな、これから客が来る」
「客…?もう夜の11時なんですけど」
「それがどうした?」
「………」
「邪魔だ。去ね」
冷たい顔で言い放たれ、舞雷は絶望を覚えた。毛利は暗に女が来ると言っているようなものだったからだ。おかげでカッと顔を赤くし、しかし胸にたまる苛立ちを吐き出すことはできなかった。同時に押し寄せるどす黒い憎しみや真っ青の悲しみが涙腺を緩ませる。つんとした感覚が鼻の奥を刺激し、瞬く間に涙が流れた。舞雷はそれを隠したくて、顔を伏せたままコートもカバンも持たずに外へ出た。家の鍵すら持たなかった。
――失敗した。そう思ったのは外へ出てすぐのこと。突き刺すような冬の寒さが肌を刺し、白く可視化した息が視界を埋めてから。アパートの扉をもう一度開けるのは癪だったが、玄関にある鍵だけでもと思った。鍵があれば車に乗れる。しかし毛利がすぐに内側から施錠したので、ドアノブを捻ってもドアが開くことはなかった。呼び鈴を押して毛利に開けてもらうなんてことは当然出来なかった。
舞雷は両腕で身体を抱き、ガチガチ震えながら行くあてもなく歩き出す。アパートの前にいるなんてことは嫌だった。いくら関係の冷めた恋人でも、あからさまに浮気相手と鉢合わせるなんてごめんだった。



夜の公園は暗くて怖かった。舞雷は怖気づきそうだったが、携帯電話さえ持っていないこと、更には友人宅が徒歩でいける場所にないことにはとっくに気づいていた。他に足を止めていられる場所など思い浮かばず、仕方なく公園のベンチに座ってただ震えていた。
どちらともない喧嘩だったが、意地を棄てて謝ってしまえばいい。そうすれば暖かい部屋にいられるが、浮気相手のことがある。今頃毛利がその「客」と、自分も共用している部屋で何をしているかなんて想像もしたくない。
「え………?」
「なぁに、寒そうだったからよ」
凍えて死ねる、と思った。公園の傍の道路を車のライトが照らし、それが停車しているのをぼんやり眺めていた。するとどうだ、数分後、暖かいコーヒーの缶が視界の横から現れた。
思わずそれを受け取ってしまう。熱いくらいの熱が心地好かった。缶を差し出したのは若い男で、恐らく道路にまだ停っている車の持ち主だろう。
「あの…」
「何があったんだか知らねぇが、若ェ女がこんな時間に一人でいるもんじゃねぇぜ?それも、薄着だしよゥ」
「……これ…いただいても…?」
「おう、飲めや」
男は舞雷の手からコーヒー缶を奪うと、驚いている彼女の目の前でプルタブをはじく。口の開いた缶を彼女の手に戻し、血の気の引いた薄い唇がそこを塞ぐのを見守った。そして自分の上着を手際よく脱いでしまうと、小さな缶で暖をとる舞雷の丸まった背にかけた。
「あっ…?」
「車に行けば暖っけぇんだけどな…いきなり男の車に乗るのは嫌だろ?」
「……優しいんですね」
「…ま、下心満載のナンパじゃねぇのは確かだがよ」
缶の中身はすぐに空になってしまった。しかしまだ暖かかった。舞雷は恋人に冷たくされた直後のことで、見知らぬ男のこの行為が猛烈に心に響いた。思わず泣きそうになって鼻をすすったが、この寒さで垂れてくる鼻水だと誤魔化せただろう。
好意に甘え、かけられた上着を引き寄せると、かすかな煙草の匂いがした。


沈んだ恋