彼女には、三成という男が依存的な人間だと初めから判っていた。だから、舞雷が己の心が離れたことを理由にして別れ話を口にした後も、彼女なりに難儀するであろうことを覚悟していた。

新しい男が出来たわけではない。単に、舞雷の中で三成と自分の関係が良い方向に進むとは思えなくなったのだ。いくら三成の側が彼女を熱心に思い続けていたとして、舞雷の方が三成を思えなくなったのなら、良好な関係など続けていける筈もない。
彼女は思いの丈を全て三成に伝えたが、案の定、三成は頭から否定した。彼にとって、理由などどうでもよかった。ただ舞雷からの拒絶を受け入れたくなかったのだ。

始終舞雷の提言を否定し続けた三成だったが、彼女もこの時ばかりは厳として譲らなかった。舞雷は話を何時間続けても相手の男から了承の声を引き出すことが出来ないと知っていて、半ば一方的に、強制的に、話し合いを打ち切って踵を返した。

この日、舞雷の中では全てが終わっていたが、三成の中では何も終わってはいなかった。だから、それから数日間、三成は何事も無かったように振る舞い、舞雷はそれから逃げ続けた。更に数日経ち、舞雷が痺れを切らせて終わっていることを告げる。その翌日、三成は彼女の前に顔を出して、口付けを落とそうとする。

それを延々繰り返し、舞雷は疲弊しきっていた。
住所も変えた。電話番号や仕事もだ。悪人のように世間から身を隠し、友人との関わりも捨てて、ただひたすら、一人の人間が自分の前に現れないことだけを祈っていた。
しかし三成は決して諦めないし、考えも舞雷の上をいっている。彼女がどこへ行っても、どこへ隠れたつもりでも、彼からしたら小さな子供のかくれんぼに付き合っている程度だった。

「ああ、ねぇ、ごめんなさい。もう、もう…、本当に耐えられないの」

安アパートの薄い玄関扉の向こう側に三成が現れたのは、彼女がそこへ越してきた夜だった。三成はいつものように呼び鈴を鳴らして、彼女が出てくるのを待った。
舞雷は何度もこれをやり過ごそうとし、三成は諭してみたり激昂してみたりしたが、今日は違った。舞雷はよたよたと震える体を壁に寄りかけながら必死になって玄関に辿り着くと、チェーンをつけて扉を開け、わずかな隙間から自分を愛しげに見つめる恐怖の対象を前に請うた。

「私は、いやだと言ったのに。何が、何が、望みなの?自分を捨てた冷たい女を、追い詰めて、復讐してるの?」
「………お前は、そう思うのか?私が、お前を苦しめたいと?」
「だって、私…、私、苦しいもの…!」

貴方の所為で。

舞雷は掠れた声で言い切った。彼女の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
三成は舞雷の悲痛な叫びを聞き、表情を変えないままほんの数秒沈黙を保った。その間、彼の中で彼女の訴えは許しがたいものと認識され、次の瞬間には扉を壊す勢いで取っ手を引いていた。

「私はッ、この世のなんびとよりも貴様をッ、愛おしんで擁護してきたッ!!」
「あ、あ、あ…っ!」
「私の全容の信頼をッ、あまねく注いだ恋情を踏み躙るつもりなのかッ、舞雷ッ!!!」
「あぁ、あ…!」

腹の底から怒声を発し、二人の間に憚る忌々しい薄いドアを蹴散らそうとする三成の姿を見て、舞雷は短く声を漏らして後ずさりするしかなかった。
チェーンは頼りなく、今まさに壊れんとしている。このまま阻むものを失えば自分はどうなってしまうのか。あの手に捕らえられた後の顛末は?舞雷は心の奥底で未来に恐怖した。体はもう、凍ったように動けない。

やがて近所の住人が呼んだ警察が数名到着し、ドアが破られる直前になって三成は舞雷の傍から引き剥がされた。今の彼にとって、彼女からほんの少しでも離れることは、自我を失うばかりの苦痛だった。だから抗い、舞雷が自分の元に自ら走り寄って来ることを心から願いながら、ずっと彼女の名を叫び続けた。

急に静かになった部屋で、舞雷は腰を抜かして床に倒れる。すぐに警察や近所の住人が彼女の身を案じてドアの向こうに立ったのだが、舞雷は冷たい床を涙で温めることで精一杯だった。


石床に憂う