「今日は早く帰るぞ」
「…最近毎日だけど…仕事いいの?この時期忙しい筈じゃなかったっけ?」
「………」
「元就の仕事を部下に押し付けてるとしか思えないんだけど…課長が残業せずに毎日帰ってくるなんてさ」
「………」
「ああ、そうだ。黙ってるもん。押し付けてるんでしょ!」
「…夫が早く帰ることがそこまで不服か」
「そういうことじゃないでしょ!今にみんな辞めちゃうよそれじゃあ!」

職場恋愛から晴れて結婚した毛利と舞雷は、舞雷の方が勤めを辞め、主婦業に専念する形で睦まじくやっている。
が、勤続年数にすればさほど長くはなかったものの、仕事のことにある程度詳しい妻は、つい口を挟まずにいられない。面倒見のよかった彼女のこと、残してきた気弱な後輩達への夫の態度が如何なものか、気になって黙っていられないのだ。

「残業すれば残業代が出る。ただ働きならいざ知らず…構うまい?その分稼ぎが良いのだからな」
「残業すれば給料は増えるけど、疲れも増えるんだよ。自由な時間は減るんだよ。誰もが毎日押し付けられて納得はしないんだよ?」
「…舞雷、我に説教しているのか?生活費を稼いでやっている夫の出掛けに、かような心無いことを口にするとは愚劣な妻よ」
「説教と言うか…元就の性格が最低だから、アドバイスしてあげてるんだけど」
「何様だ」
「奥様」
「………」

まさに玄関先で毛利は眉を寄せた。
少しくらい討論している時間はあるが、毛利からしてみればあまり気分の良いものではない。元々、舞雷が逐一口を挟んでくる"アドバイス"とやらにしても、彼にとっては至極どうでもいいことだからだ。

「駒共になんと思われようと、我の知ったことではない。早くその弁当を寄越せ」
「だめ。今日は渡さないことにする」
「なんだと…?」

毛利は更に眉を寄せた。
舞雷は呆れたように溜息をつくと、弁当箱を背中に隠して、夫の肩をぽんと叩く。

「お昼に届けに行ってあげる。受付は顔パスだからね、私。その時懐かしい後輩たちに、午前中の元就の様子を聞きます。結果が悪かったら、お弁当は持ち帰るし早く帰ってきても玄関のカギは開きません」
「舞雷……」
「そんな心底鬱陶しそうな顔しても無駄だよ、慣れたからね!」
「………はぁ…」

今度深々と溜息をついたのは毛利の方だった。
しかしこれ以上、舞雷に何を言っても結果が変わることはないだろう。変わったとしても、また面倒なことになる。彼女の頑固さを理解していた毛利は、妻の提案に甘んじることにした。

「結果が良ければどうなのだ」
「ん?そしたらお弁当あげる」
「それだけか?連中に良くしてやる見返りとしては薄いぞ」
「えぇー…じゃあ、デザートつける。向かいのビルに甘味処みたいなの入ったでしょ?そこのあんみつ美味しいって評判だし」
「………」
「元就ー?」
「…その金も出所は我だがな」
「うっ…それは言わない約束じゃないの…?働くなって言った癖に…」
「まあよい。それで」
「本当?皆に愛想よくするんだよ?」
「……愛想…?」
「単に嫌味言わなければいいってことじゃないからね!笑うんだよ!」
「笑う……だと?」

物事をオーバーに話しがちな舞雷ではあるが、こればかりは本気の様子だった。
まさに嫌味さえ言わずにいれば良いのだろうと考えていたからこそ彼女の提案に甘んじた毛利は、虚を突かれてしまった。

「そなたにさえ満足に笑い掛けられぬ我に、それは難題過ぎぬか?」
「あ……」

舞雷は、そういえば妻である自分にさえ軽く微笑む程度にしか笑うことが出来ないことを思い出し、気まずそうに視線を反らす。
これは些か触れてはいけない所を抉ってしまったような気がしたのだ。

「ご、ごめん…はいお弁当」
「……今日は早く帰るぞ」
「はい、お待ちしてまーす…」


続2