ただ教科書を忘れただけなのだ。
――ページを読め、という教師からの指図を思うと、教科書が無いままに授業を受けるのはいかにもまずい。しかし、舞雷が教科書を忘れたことに気がついたのは始業まで一分もない時間で、他クラスの友人に借りに行く暇もなかった。 本当に仕方なく、大して仲も良くない隣の席に座る男子生徒に声をかけると、彼は別段困るでもなく了承し、机を寄せ、教科書を中央に置いた。そのままお喋りの為に後ろを向いてしまったが、同じタイミングでひとつ前に座っていた石田が振り返り教科書を攫うと、ページを開いて裂いてしまい、唖然とする舞雷の視界に現れた毛利は、男の足を巻き込んで机を強引に引き剥がした。
「痛ッ!何す――」 「貴様、どのような心積りで舞雷に寄った?いかなる事由があろうとも見過ごさぬときつく言いつけた筈、よもや忘れておるまいな」 「朔が教科書忘れたって言うから見せてやろうとしただけなんだけど…」 「ほう、教科書?そんなものは見当たらぬが」 「それなら私が裂いた。これでこの男が舞雷に寄る理由はない」
千切られた教科書が散らばると、男の方はもう何も言えなくなった。 元々舞雷を異常に気に入り、結託して何かと過保護に手を回す石田と毛利は、誰にしても関わってはいけない相手として認識されている。その二人に威圧的に睨まれては、己の名が書かれた教科書が裂かれようが、足に激痛を与えられようが、まだまだ可愛いものだ。
「早急に席を細工すべきであったな。まあ、どちらが舞雷の隣をとるか、揉めるであろうと黙っていたが」 「例え貴様が舞雷の隣になろうと妥協案はいくつもある。その分利があれば私は構わない。この結果になるならその方が良かったな」
石田も立ち上がり毛利の横に並ぶと、縮こまる男を射殺すように睥睨し、席を立つように促した。この間に始業を告げるベルが鳴ったが、教師の号令ごと無視して拒否を許さぬ姿勢の二人を前に、誰が逆らえると言うのか。 おずおずと立ち上がった男を跳ねのけ、椅子を蹴散らし、石田が舞雷の腕を掴む。
「っ、なに、え…?」 「私を無視し、この男に懇願した罰だ。授業などどうでもいい。来い舞雷」 「罰…?どこ、何処行くの?何するの…?」 「何処でもいい。邪魔がない場所で犯す」 「……えっ、」 「私以外の男に頼る心根を正す必要があるからな」 「我はこの男をいたぶってから合流する」 「視聴覚室にいなければ保健室だと思え。人払いして使う」
わかった、と返事をした毛利は、佇立していた男の腕を掴んだ。掴まれた方は冗談ではないと喚いたが、此処にいる誰もが腕を掴まれた両方を救えないのだ。
この二人を前にいち教師が使い物にならないことは周知だった。元は親切心で教科書を見せてやろうとしただけのことだ、男は舞雷に二人を止めさせようと何事か叫んだが、舞雷は半ば放心状態で男のことなど気にかける余裕はなく、小さく震えるだけだ。
「う、うそだよね?ど、して、」 「私も毛利も舞雷を愛している。それが存外お前に伝わらず苦労している。私や毛利がいくら愚図を払ってもお前から寄って行ってこのありさまだ、体に叩きこむのが早い」 「教科、しょ、見せてもらおうとしただけ…っ、」 「それだから判っていないと言っているんだ。これ以上私を困らせるな」 「貴様も我を煩わせるでない。貴様如きではおよそ想像もつかぬであろうが、貴様がしでかしたことは十分に我らの怒りを煽ったのだ」 「冗談だろ…!」
舞雷は必死になって、震えながらも自分を引っ張る石田を引き剥がそうとする。男も必死に毛利の腕から逃れようとするが、そのどちらも逃れることは叶わなかった。
引く腕
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