最近、頻繁にやってくるあるお客が気になっている。
私の働いているアパレルの店は、比較的店舗も大きく品揃えもセンスも良い。おかげさまで平日にも多くのお客さんがやってきて、その殆どは満足して帰っていく。自分も誇りを持ってやっているし、他の従業員たちもセンスも人当たりも良い人ばかりで、とにかく楽しい仕事だった。
「ちょっと、舞雷。またぼーっとして!」 「あっ!ごめん……」 「あっちのお客さん迷ってるみたいだし、声かけてみたら?」 「そうね……」 「…ああ、わかった。いつもの人が今日はまだ来てないものね。そりゃ、ぼーっとするわ」 「え!?何言ってるの、そんなんじゃないって言ったでしょ!」 「はいはい、いいから仕事して、仕事」 「……む………」
同僚に肩を叩かれお客さんに声をかけはしたものの、その人は生憎逃げるように帰ってしまった。恐らく私の口がうまく回らなかったことが原因だと思う。自分でも驚く程口下手になってしまい、何度言葉を噛んだことか。
この頃ぼーっとしてしまうことや、お客さんを前にしても落ち着きのない状態になってしまっている。その原因は、違うと突っぱねはしたものの、さっきからかわれたように…ある客が原因だった。 彼はいつも一人で物憂げな佇まいでふらりと店にやってきて、店を軽く一周、時には二周、眺めるだけで帰ってしまう。モデル並みにすらりとした体躯と色白の肌に目立つ銀髪。私はつい目を奪われて、傍にいても声をかけられなかった。従業員の数人がアドバイスしようと近寄るものの、そうすると店に来て一分も経っていないとしても帰ってしまう。目立つ風貌と過剰な店員避けにより、彼は店員たちの間でしばしば話題に上る男だった。
「いかなければよかった。また言葉噛んじゃったわ、何かお探しですかって、言いたかったんだけど」 「…ねえ舞雷、もし今日あの人が来たら、声をかけてみたら?」 「やめてよ…無理だって。こうなったら白状するけど、あの人のこと本当に気になるの。普通のお客にあの状態なのよ、今の私。肝心のあの人を前にしたらどうなると思う?」 「だって舞雷がおかしくなった原因があの人じゃない。ここで打って出ないことには、ずっとこのままでしょ、あなた。最悪クビになっちゃうかも。恋煩いって、治療法は当たって…みるのみだし?」 「砕けたら砕けたで…」 「逆にふっきれるかもよ。あ、じゃあさっそく助走して」 「…何?」 「来たの。ほら。あなたが話しかけなかったら店長に告げ口しちゃうぞ、仕事にならないって」 「え、酷い…待ってよ、いくらなんでも心の準備が・」 「いらっしゃいませ〜」 「あっ、待ってよ!!」
同僚は逃げるように他のお客の方へ歩いて行った。
良くも悪くも彼女は私の背を押してくれたわけだが、今まで店員が近づいていって接近することに成功した試しがないのだ。稀に声をかけられるのが苦手な人がいるが、彼の逃げっぷりはあまりにも露骨。実際自分が逃げられてしまったら、それこそ当たって砕けるというより…当たる前に全力で砕け散ることになる。 なんだか酷い話だと思うのだけど。
怖くて異常に心臓が暴れている。本当は今まで通り視線だけで彼を追う方がいいと何度も思ったけれど、同僚の言葉に助けられて自分を追い詰める理由をつくる。結果はどうあれ、今コンタクトをとらなければ、仕事をクビになってしまう。このまま見つめるだけの日々を続けるなら、同僚が告げ口しないでくれても仕事は続かないだろう。そしてこの職を失ったら、今度こそこの人に近づく僅かな希望も消えてしまうのだから。
「あ、あの……」 「………」
向けられた視線を浴びて、体中に異常な緊張が走り、まるで大きなステージに立っているような錯覚を覚えた。 悶々としながら着実に彼に向かって向けられていた足は、割と男の傍まで近づいていたのである。
「私、此処で働いているんですけど…いつも来てくださって、ありがとうございます」
さっきお客を前にしたように言葉を噛みまくることはなかったものの、自分の口から出てくる声は驚く程か細かった。
「お前のことは知っている。だが、私に声をかけようとしたのは初めてだな」 「……あ、その…そうですね…」
ああ、これは夢だろうか。私以外の従業員はきっとほぼ全員がこの人に声をかけようとした筈だ。そして全て逃げられてしまった筈だ。 でも私、逃げられずに会話している。それも、彼は私のことを少なからず知っていてくれたのだ!
「お声をかけられるのは苦手なようだったので…」 「…ああ……他の連中にはな…」 「……?」
まったく、心が舞いあがってしまって体温が急上昇している。 この人は想像していた通り、愛想が悪くにこりとも笑ってくれないし、物言いもいくらか厳しいが、もう私は酔ってしまっていた。
「お前が声をかけてくるのを待っていた。十日以上かかったな」 「あ………」
それはどういう意味?
「名は」 「舞雷です…」 「そうか。舞雷。私は石田三成という。…服を選ぶのは苦手だ。選んでくれ」 「は、はいっ!」
どうかこれが夢でありませんように。
十日越し
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