「これ、学校の図書室で借りた本なんだけど、返却期限一か月過ぎてるの」
「………」

と、舞雷が唐突に差し出してきたのは、タイトルこそ読めなかったが辞典か図鑑の類だった。片手で眼前に突き出してきたにしては重そうな本だ。

「この次に私が言うセリフを当ててみて」
「当てたとして、その内容を実行せずにすむなら答えてやる」
「………」
「…なぜ黙る」

登校前に玄関先で捕まったと思えば、第一声が返却期限の切れた本がどうのこうの。更に出で立ちを見れば、舞雷が今日の学校を休むつもりであることは明白。
(あろうことかこの女、寝巻にマスクで目の前に立っているのだ)
ならば用は、予てから返しに行き辛かった本を、風邪をいいことに私に返させたいと。これ以外にあるものか。

黙った舞雷はとりあえず視線を落とし、肩を大きく上下させて深いため息をついた。そこでようやく本の重みに気づいたのか、両手で抱くように持ち変える。
どうやらいくらか熱があるらしい。

「……はぁー…。本返して欲しいんだけど…」
「面倒だ」
「風邪ひいちゃったんだもん…高熱なんだもん…」
「ならば治ってから返せ。既に一月も延滞していれば二、三日延びたところで変わらんだろう」
「…昨日、明日返さなければいい加減許さないって脅された」
「………」
「明智先生だよ。休んだら家にとりに来るって」

そこでようやく、舞雷が抱いている本のタイトルが目に入ったが、どういういきさつで借りたのか予想もつかない単なる動物図鑑だった。
まあ、借りたものの内容がなんにせよ、舞雷が悪いとはいえ明智絡みは気の毒な気がしないでもない。が、家に押しかけるなど脅し文句で実際には来ないだろう。

舞雷は今にも倒れそうにフラフラしはじめ、時間も押してきた。

「…もう行くぞ。いくら明智でも本当に家までは来ないだろう」
「……ケチ…」
「私の家の前で倒れるなよ。数歩歩けばお前の家だ、倒れるならそこまで歩け」
「うぅ…っ…」

日頃のことを思えば少しくらい強く突き飛ばしてやってもよかったが、本当に倒れそうだったので加減して舞雷をどけた。
そのまま、遅刻前に教室へ滑り込む予定だった。当然図書室へなど行くつもりもないし、明智に絡むつもりもなかった。うるさいのが病欠で、幸運にも静かな一日になる筈、だった。

「っ…わかった、返してやる!」

これは向けた背に悲しげな呻き声が聞こえてきた所為だ。いかにも私の所為で苦しんでいる、さらに追い打ちをかけられたという風で心地が悪かった。
それに、このまま振り切っても治った後、執拗にこの日を責めてくるだろう。それは面倒と思ったのだ。

「わ…どういう風の吹き回し?冷たい男だなと思ったら…」
「いいから家で寝ていろ!」

みるみる舞雷の容体は悪化していた。まだ本を突き出してきた頃はいつも通りのように見えたが、既に目も開かず壁に寄りかかっている。

……重い本を奪ってやってもこのまま去ればその場に倒れそうだった。そうなると、本をそのままに振り切った場合と同じ結果になるのは目に見えている。見放されたとこの日を延々責めてくるのだ。それは死ぬほど面倒に思った、だから、だからだ。わずか数十歩先の舞雷の家まで、奴の背を支えて連れて行った。


面倒だから