凡人なりに平和に暮らしていた舞雷の平穏が崩れたのは、そう遠くない過去のこと。
表の喧騒に「何事か」と屋内を出た父親が瞬く間に斬られてから、血飛沫と死体に挟まれて舞雷は声を失った。上げるべき悲鳴も掠れ、情けなく空気が漏れるだけの喉を痛めながら、次いで母親が心臓を止めて寄りかかってくるのを眺めるだけだった。
しかし声を失ったことと、両親の体に押し潰されたおかげで、唐突に平穏を壊した人物は彼女を視界から逃した。鼓膜でさえ見つけることはできなかった。
舞雷がただ静かにそこで潰れていると、そう時も経たぬうちに三成が現れて、二つの死体の下から彼女を救いだした。



『一時的なものだと思ったんです』

舞雷は三成の手の平に指を当ててそう告げる。軽く開いた口唇の隙間からは、小鳥のようなか細い声さえ聞こえてこない。

『ただ、あの時は怖かったから。でも、あれから暫く経ったのに』

結局声は戻らなかった。
三成に助けられてから、あの凶事が偶発的に起きた賊の仕業と判り、鎮圧を知り、墓もたてた。三成の元に落ちついて心も整理したつもりでいた。それでも舞雷は喋ることが出来なくなり、その不便を嘆いて涙ばかり流す日々が続いている。

『もう嫌です、私』

それだけ記すと、舞雷はもう指を動かすことは辞めて、手を降ろした。三成の手に添えていた方の手も引き離した。流れる涙をそのままに、むしろ死を望むのだと訴えて視線を投げる。
ずっと傍で彼女の苦悩を見守っていた三成には、彼女のこの視線の意味が痛い程判っていた。あえて何も言わず訴えを手の平で受け止めていたが、その望みまで黙って受け止めてやる筈も無い。

「舞雷、何があろうと私が支えてやる。だからそんな目で私を見るな。私を置いて行くつもりなのか」

それだけは許さないと続けながら、三成は目の前で震える愛しい女を両腕に抱く。
こうしてしまえば彼女は何も返答が出来なかったが、三成はそれで十分だと思った。指先が手の平を擽らなくとも、彼には彼女の心が判るのだから。


黙する唇