たたた、と軽快な足音がして、刑部に押し付けられた執務のことが一瞬でどうでもよくなった。筆を投げるように置き、書きかけの書状を手の平で踏み潰しながら、廊下から現れる小さな愛い“舞雷”を迎え入れる。

「みてっ、みて!」
「なんだ?…貝殻か?」
「うん。ちょうちょかえるさんにね、もらったの」
「……ああ、長曾我部か」

舞雷は私の姿を確認するや胸に飛び込んできて、長曾我部に貰ったという貝殻を眼前に突き出してくる。
貝殻は小さな舞雷の手より些か小さいくらいの大きさで、平べったい一枚の、白く柄の美しいものだった。

そういえばくだらない用事で長曾我部が来訪していることを、貝殻のおかげで思い出した。私の知らない所で舞雷と会っていたことは腹が立つが、舞雷を喜ばせたことに免じて許してやることにしよう。

一度受け取った貝殻を返してやると、舞雷は私の膝にちょこんと座った。小さな体を後ろから守るように抱いてやると、舞雷は喜んで背と後頭部を預けて来る。これがたまらなく好きだった。

「このまま昼寝するか?」
「んー…ううん、ねむくないよ」
「なら、私と出掛けるか」
「どこに?」
「どこでもいい。お前が行きたい所に連れて行ってやる」
「うー…でもね、おへやであそびたい」
「そうか。構わない。何をするんだ?」
「ん〜…」

明確に何がしたいかは決まっていないらしい。
舞雷は私を見上げていたが、上機嫌でにこにこしながら、考えるように頭を捻る。
膝の上からずり落ちていくのを何度も引き上げて直してやり、思いつく限りの室内遊びを質問してみたのだが、結局何をするでもなくなった。ただ私の膝の上で体を捩ったり、あまり会話にならない話をぽつぽつ繰り返す。
勿論私はこれでも十分幸せだ。

「あのね」
「ん?」

どうやら今の舞雷はとにかく甘えたいようだ。
こっちを向き、小さい腕を回して抱き付いてくる。首筋や頬に頭や顔を擦りつけてくるのが猫のようで愛らしい。

「ちょうちょかえるさんがね」
「長曾我部だ。…まだ言えないか」
「ちょう、ちょか…」
「ああ、いい。悪かった。奴がどうした?」

どうやら、子供にとって悪意があるんじゃないかという長曾我部のややこしい名を、舞雷は“ちょうちょ”と“かえる”で覚えているようだ。

「みつなりと、“ちゅー”しないのか・って」
「………」

何を考えているんだあいつは。

「すきだったらするんだって」
「…私はお前を好きだぞ」
「うん、あたしもみつなりだいすき」
「……したいか?接吻」
「?」
「…したいのか?“ちゅー”」

自分で言ってて恥ずかしいが、これは据え膳と言っても過言ではない状況だった。逃してなるものかと私の本能が訴える。
舞雷はきらきらした目で私を見つめていたが、特に返事らしい返事はないまま、小さい口を尖らせて“ちゅー”の体勢に入る。

それは紛れもない肯定だった。
濃厚にしてやりたいのを必死で抑え、軽く唇同士を触れさせる。すると舞雷はすぐに離れて、内心寂しがる私をよそに飛び跳ねて喜んだ。

「ちゅー!」
「ああ、そうだな。私とお前で、したな」
「もういっかい!」
「………」

舞雷に変なことを吹き込むなど死に値するぞ長曾我部…と思っていたが、やはり感謝することにしよう。


ちゅうして。