「おばあさんのお見舞いに行ってね。ここにケーキと葡萄酒が入っているから。そうそう、狼に気をつけるんですよ」 「はい、行ってきます」
おばあさんの家は、三十分程かかる森の中にあった。母親に渡されたバスケットを腕にかけ、小さな時から良くしてくれていたおばあさんのお見舞いに、舞雷は喜び勇んで出かけて行った。
さて、この日は天気が良く木漏れ日が心地良かった。おばあさんの家までスキップを踏み、鼻歌交じりに上機嫌だった舞雷は、目の前に広がる美しい花の群れに目を奪われて立ち止まった。しかしすぐに「おばあちゃんが待っているし、急がないと」と思い、足を動かしたが、突如視界を埋めた銀色の何かにぶつかり、花畑で倒れてしまった。
「きゃっ、あ…お…狼さん?」 「…そうだが」
倒れた自分に手を差し伸べるのが銀色の狼とわかると、舞雷は出がけに母から言われた忠告を思い出し、同時にさぁっと血の気が引く思いがした。この森に棲む狼たちは、言葉を喋るが人を食べるのだ。うまく言い逃れなければ。
「あ、ありがとう…それと、ごめんなさい」 「気にするな。赤くて丸いものが現れたから、気になって近づいたのは私だ」
狼の手で立ち上がった舞雷は、「似合うわよ」と母に言われてから常に被っている赤ずきんの、胸元に垂れた紐をぎゅっと握る。狼に気をつけるなら、こんな目立つ色の頭巾をいくら気に入っているからとて被るべきではなかったらしい。見事な赤色の正体が可愛い女の子と知った狼の方は、珍しく探るように彼女を観察している。
「甘い匂いがするな」 「あ…ええと、」 「何処へ行くつもりだ?」 「…この森の中にある、おばあさんのお家にお見舞いに行くの。バスケットにケーキと葡萄酒が入ってるわ」 「その所為か、甘い匂いは…」 「……お腹が空いているの?」 「………」
舞雷の目の前に立ったままの銀色の狼は、痩せているし目がバスケットに釘付けだった。狼がケーキや葡萄酒などより可愛い女の子の方に食欲をそそられるなど舞雷には判っていたから、聞かざるをえなかったのだ。自分を食う気なのか、そうでないのか。
聞かれた狼は返答を渋った。自分は胃袋に入れるものを選り好みしない性質だし、他の狼たちより食欲自体が薄い。しかしそろそろ空腹だという頃合いに現れた目の前の赤ずきんの娘は、据え膳以外に例えようがない筈だった。口を開けて”がぶり”といける位置にいるのに、体が動かない。そのことの説明がつかなかった。
「…もし、お腹が空いているなら…このケーキをあげる。喉が渇いているなら、葡萄酒も」 「それを私に寄越せば、ばあさんの見舞いの品がなくなるだろう」 「此処のお花を摘んでいくから、いいの」 「………」 「だから私を食べないで」
震える手でバスケットを突き出した舞雷を相手に、狼はまた考えた。バスケットの隙間から匂ってくるケーキの甘い香りが、過ぎた空腹を刺激してくる。ただ此処にあるのは食欲だけの筈だったのに、どういうわけか怯える少女を、狼はどうしようもなく愛おしく思ったのだ。
「…確かに私は空腹だ。だがお前を食う気にはなれない。それと、見舞いに行くなら花も摘んだ方がいいかも知れない。が、ケーキと葡萄酒がなければ寂しいだろうな」 「…どういうこと?」 「一緒に花を摘んでやるから、ばあさんの家で飯を食わせろ」 「お…っ、おばあちゃんを食べるってこと?」 「……違う」
狼はこの血迷った提案を、愛の告白ぐらいの気持ちで口にしたのだ。が、舞雷はまだ不安げに瞳を揺らして、狼の真意には気づかない。
赤色と銀色
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