あの行列から外れて三成様と衝突したのが今から二日と半日前。己の身に起こった事態に混乱し、ずっと泣いて過ごした。
原則的に私は三成様の私室から単独で外出することは許されず、大きな戦が終わった直後というのもあるのか、休息に入ったらしい三成様は、特に大きな用を云いつけられることもなく、ほとんど私の傍にいた。

……よく覚えていないが、はじめてこの部屋に連れられあの腕に抱かれた直後、どこぞへ引き摺られて行き、秀吉様と半兵衛様の前で「これを娶る許可を」と乞う三成様を見た気がする。
どうもその前後の記憶が曖昧だが、現に「お前は私の正室だ」と威圧的に言われたのだから、許可は下りてしまったのだろう。

これがまともな恋であったなら、私は国で一番幸せな女になれたかも知れない。
しかし彼は狂っている。三成様はおかしいのだ。愛し方が異常なのだ。

「やれ何処へゆく?奥方」
「っ!」

愛されていることで常に恐怖や死の予感を覚えることは普通ではない。此処にいては、いつか酷く苦しめられて殺されると思った。だから、二日と半日経ってようやくおとずれた、三成様が暫く姿を見せないこの瞬間こそが好機と、部屋を抜け出した。
けれど異様な早さで見つかってしまう。まだ部屋から半身を廊下に乗り出したところだった。

驚愕し引き攣った体を声の方に向けると、宙に浮いた輿がまず視界に現れて、少し視線を上げると刑部様の顔がある。

「ぁ…、か、」
「か、か。どうせ厠と言うのであろ、それは野暮なことを聞いた。しかしそのように人目を避けて厠へ行くのも不思議なことよ。真には何処へゆくつもりであった?」
「ゆ…赦してください、どうかお見逃しを…っ…」
「逃げるつもりであったろ。三成に知れればことは丸く収まらぬな…ヒヒッ」

刑部様の笑声を聞いた瞬間、全身が凍りついたように冷え、血の気が失せる。その笑声の冷やかさに畏怖したばかりではない。大方の畏怖は、刑部様が言葉の中でにおわせた三成様からの罰についてだ。
あれだけ一方的で盲執した愛情を持つ人だ。その腕から私が逃げんとしていたと判れば、ただ激昂するに違いなかった。怒鳴りつけ、責めるだけならいざ知らず、その拳か鈍色の刃が私を抉るかも知れない。

「刑部様、私には無理なのです。三成様の伴侶だなんて、あまりにも荷が重すぎます。私はただの平民の女、もっと身分の高い姫様を娶れば良いではないですか…!」

刑部様が悲観する私の訴えを親身になって聞いてくれるとは思えなかったけれど、逃げようとした腹を見破られてしまったのだから、これを訴えざるをえなかった。
万一この人の中で温情が芽生えれば助けてもらえるかも知れないと、藁にも縋るつもりで。

「確かに、ぬしは何の役にもたたぬ。寧ろあれには毒に近い。名も知らぬ民草に惚れたのなんのと言い出した頃から畏れていたのよ、手にしてしまえば三成が"ああなる"ことは目に見えていた。われが必死に言い包め、せいぜい名を知る程度に落ち着かせていたものを、わざわざ己から身を呈するとは呆れたものだ」
「私は…何も……」
「一度含めば絶てぬ毒よ。役に立たずとも、身分が低くとも、そんなことは関係がない」
「お願いです刑部様、どうかお慈悲を…っ!」
「無駄よなァ…。ぬしが逃げぬよう身張れと頼まれているのだ、逃がしたと知れればわれも怒りを買うことになる」
「監視……?」
「大人しく戻れば良かったものを…。よりにもよってわれに縋るとは、やれ滑稽な…」

刑部様は押し殺したように笑っている。
今からでも部屋に戻れば、この人は逃亡を企てたことを黙っていてくれるだろうか。いや、もう手遅れになったことを今聞いたばかりだ。そうなれば、また縋るしかなくなるじゃないか。

「戻ります、刑部様!大人しく部屋に戻ります…!ですからどうか三成様には…」
「それを承諾したとして、既に半身はみ出たぬしを見た三成が察せぬと思うのか?」
「あ、あ…!」

包帯に巻かれた細い指が示す先に現れたのは、憤りの双眸。

「舞雷…」
「違います、違います…!」
「ぬしがいないとして飛び出してきた。我に逃げたいと必死に乞うて、それはもう、ぬしが嫌いだそうだ」
「嗚呼、嫌ッ…違います、違うんです…!」
「三成にも乞えばいい、私には耐えられぬ、逃がしてくれと」
「そうか舞雷…お前は私から逃げたいか……」
「違―――…」

刹那、目の前が真っ暗になった。