相手は女だ。そんなことは判り切っていた。だが毛利は頭に昇る血の所為で冷静さを殺してしまい、手に作った硬い拳を彼女の頬に叩きつけた。決して男性として逞しい体躯ではない毛利であったが、決して頑丈ではない女の舞雷を吹き飛ばすには容易すぎた。机に背を打ち付け仰向けに倒れた舞雷に掴みかかり、圧し掛かって、もう一度拳を振り上げる。涙で潤んだ瞳が自分を見上げるのを黙殺して、左の頬に重い一撃を食らわせた。

「しんッ、じられな・い…!」
「それは我の言うことぞ…!」

毛利からの容赦ない攻撃で、舞雷の口内は切れて奥歯が一本折れてしまった。不味い血の味が口内に広がって顔を顰め、女である自分を此処まで打ちのめした相手を見上げて彼女は吼えた。しかしまだ彼女に跨り息を荒げたままの男は、更に右手を振り上げて固まっている。彼の端麗な顔にも殴られた跡があった。

常に命など重んじられない捨て駒呼ばわりの兵が数名、この成り行きを傍で見守っていたのだが、こうして己らの国主が女を相手にらしくない憤慨を見せているのをどうして止めに入れるだろうか。未だどうしたものかと佇立している彼らの存在など当の二人は頭の片隅にもない。

「何故我の寵愛を受け入れぬ…!」
「…殴っ、て…こんなにしておいて…ッ、何が寵愛よ…!」
「貴様が我を拒んだからであろう…優しく撫でてやっておれば、」
「私は貴方なんか好きじゃないのよ!」
「………」

気丈さを見せていた舞雷はついに泣きだして、嗚咽交じりに切ない声で叫びを上げた。痛々しい姿をさらす女を真下に毛利は何を思ったのか、暫し口をつぐんだと思うと振り上げたままだった拳を力を籠めて振りおろす。また同じ個所を強打された舞雷は、先に折れた歯と血を噴き出して咳き込んだ。

「あ゛ァッ…!」
「聞こえぬ」
「……うぅ…、」
「我は、貴様が愛おしいだけよ」

こうして殴りかかっていることを含めて、何が悪いのかと毛利は問うた。それを聞いた舞雷は背筋が凍る思いがして、心の底から怖くなった。先程まではこの非情な国主を前に拳を振り上げるくらいの強さがあったのに。今の体勢があまりに不利だということもあるが、もう強がりを言うことさえ出来なかった。

「助けて、助けて…っ」
「…何から救ってやればよいのだ」
「違う……、」

貴方に救って欲しいんじゃない。貴方から救って欲しいのだ。

舞雷はようやく近くにいた数名の兵の存在を思い出し、彼らに視線を送った。しかし彼らの心が常人並みに優しくとも、どうしようもない。今彼女を助けてやろうとすれば、己の首が飛ぶだけだ。

「どいてっ……」
「…苦しいか。よかろう」

別に同情ではない。理由をつけるならただの気紛れだ。毛利は舞雷の要求通り、跨っていた己を退けた。そしてこの瞬間だけが彼女に残された希望だった。痛みと恐怖でまともに動かない体に鞭を打ち、駆け出して、彼女は逃げた。追いかけるように凛とした声が己を捉えるよう大勢に命じるのを聞きながら。

これでようやく、佇立していただけの兵士は役割を見つけて走り出した。その場に取り残された毛利は舞雷の吐き出した歯を拾い、それを口内に放り込んだ。


得ねば。