なぜか学校で社交ダンスの真似事をすることになり、それは当然クラスに同数ずついる男女がペアを組むことになった。美男美女を奪い合う阿呆のような事態となったおかげで、ペアの決め方は平等さを重視してのくじ引きとなり、そして私は最低最悪のくじを引いてしまった。もちろん、逆に私の引いた男を「羨ましい!」と表現する友人もいるわけだが、少なくとも私にとっては最低最悪の他ないのだった。
「ではまず腕を組みましょう」
と、社交ダンスにはまっている体育教師が支持を出す。周りを見れば、笑いながら友人感覚ですぐに組める者、少々はにかみながら初々しく組む者、いがみ合って文句を言いながらも渋々腕を絡める者…と中々に多様な反応を見せているが、そんなものを観察している間に、腕を組めていない者は私と問題の男…毛利君のペアだけになってしまった。
「恥ずかしいのはわかるけど、授業だから」
「うっ……はい…」
もう少し気の利いた言い回しはないものかと思ったが、さっさと次のステップへ進めたがっている教師からしたら仕方ないのかもしれない。
おかげで全員の視線を浴びる羽目になってしまい、あまりの居心地の悪さに、ペアの相手が相性最悪の超苦手な相手…だからと言って渋り続けるわけにもいかなくなった。本来こういう場合、男の方からスッと腕を出してくれればやり易いのだが、毛利君は絶対にしない。まるですべてが他人事のように涼しげに立っている。だからこの男だけは嫌だったんだ!と脳内でぶちぶちと文句を言いながら、狭い隙間に手を突っ込んでなんとか腕を組むことに成功した。
「…じゃあ、次に行きましょう。体の側面をぴったりくっつけてみて」
おいおいおいおい。
「まずは雰囲気だから。そして相手と見つめ合い、空いた腕を――」
雰囲気にも程がある。社交ダンスのことは知らないが、もう本当にお遊びのレベルじゃないか。……なにより体をくっつけろというのが無理難題だ。更に見つめ合え?冗談じゃない。また現実逃避に周りを見回すと、クラスメイト達は存外に楽しそうだ。そしてこんなお遊びレベルの社交ダンスを厳しくチェックする教師の目が、自分の指示通りに動かない唯一のペアを探り出す。
「またなの、貴方たち?」
「…だって先生、社交ダンス?これ?」
「今後ゆっくり形にしていけばいいでしょう。みんな初心者で、学生なんだから。さっきも言ったけど、まず雰囲気よ。いきなり難しいレッスンなんて無理でしょ?それとも、そうじゃなくちゃやる気出ない?」
「いや、そういうわけでは……」
相手の男が嫌だとは口が裂けても言えない。
「じゃあ恥ずかしがってないで体をくっつけなさい。あまりやる気のない態度を見せたら、当然成績に響いてくるからね。体育でも落としたら留年なんだから」
「………はい…」
辛辣な言葉ばかりを吐いた教師は、これで一旦私たちから遠ざかった。しかし周りを見れば見るほど、楽しげに授業を満喫している者しかいない。初めははにかんでいた初々しいペアも見る影もなし、いがみ合っていたペアも同じく。指示はなくても真似事を勝手に進めてタンゴ風の動きを真似ている者さえいる始末。つまり教師の矛先はすぐにこちらに戻ってくるということだ。
「毛利君、あのさ……」
「………」
「いろいろ不服なのはわかるよ、うん。けど体育如きで落第したくないのは毛利君も一緒だと思うんだ」
例え早く走れようとも、テストの成績が良かろうとも、あまりに授業態度が悪いと教師が判断すれば進級について安泰とは言えないのである。
「とりあえず、真似事だけでも…」
「わかっている」
今まで黙りこくっていたのはなんなんだという具合に、毛利君はやけに通る声で言い放った。するとどうだ、黙りこくっていた上にマネキンよろしく佇立していた癖に、いきなりぐっと体を引き寄せて空いた手まで拾われてしまう。この突拍子のない展開には私は決して強くなかった。いきなりの密着に加え、「見つめ合え」というキーワードまで忠実に実行しようとした毛利君がガン見してきて、一気に血圧が上昇した。年齢が年齢なら急死しているところである。
「やればできるじゃないの」
それだけ言うと、また接近していた教師は踵を返した。
「……不服なのはそなたの方ではないか」
「へ…?」
「授業の内容については下らぬと思うが、我は不服とは思っていない」
「……うん…?」
「くじはあたりであったか、それともはずれか?」
いきなり喋りだしたと思えば、この人は何を考えているんだ?
いや、彼の言いたいことは何となくわかる。毛利君こそ私が相手で不服なんだろうと思い、そういう発言をした。しかし今となってはやる気を出した毛利君から不服さは感じられず、逆に戸惑って顔をそむけたままの私の方が不服そうには見えるだろう。
ダンスのペアになるなんて最低最悪だと思うような苦手な相手でも、容姿は整っている上にこの状況。男慣れしていない私にとっては酷い混乱状態なのだ。だから、ここでくじが「はずれかな…」なんて普通は言えないだろうけれど、「あたりだったよ」と嘘をつくエネルギーの方が足らず。「どうかな?」とはぐらかす機転は浮かびもせず。
「はずれかな……」
「……そうであろうな」
本心が口から逃亡。相手は怒らなかった。それどころか、一瞬だけ悲愴気な表情を見せた。
「あ、の…違うよ、今まで話す機会もなくて、それがいきなり、こう…密着するようなことになるのは緊張するというか……そういう意味だから」
一言も口をきくまでもなく、彼の性格をなんとなく知っただけで全身が拒絶反応を見せるくらいに彼と自分は相性が悪い。だから勢いに任せて「貴方が苦手だ」と言い切ってしまってもよかったはずだ。しかし一瞬見せた悲愴気な表情がこちらの心臓にチクリと針を刺し、一気に自分を悪者にした。一言でいえば性格の悪い毛利君だが、そういう人間に限って人の温かみを知らないものだ。酷い罪悪感がのしかかってきて慌てて言い訳を並べたが、毛利君の表情はまさに“無”だった。感情を奥の方に隠してしまったのだ。
「…毛利君からしたら、くじはあたりだった?それとも、はずれ?」
くじに使用されたのは、担任教師が印刷ミスした藁半紙。ペアを決めたのは殴り書きされた数字。私たちを結んだのは、蛍光ピンクの6番と黄緑色の6番。
酷く長く感じた。沈黙に耐えられなくて投げかけた質問だった。その答えはすぐに耳に届かなかった。このまま無視されてしまうのだろうと心のどこかで思った。教師が「男子、女子の腰を抱いて」と言うのと同時に腕が回る。死ぬほど恥ずかしくて体が固まる。本当はそのまま抱き合えなんて先生は言っていないけれど、私たちは半ばそうなっていた。髪をかき分けるように毛利君の鼻が耳の傍に来て、顔が熱くなって、所在を失った腕を振るわせながら彼の運動着の背中をくしゃくしゃにする。何、何?
「…あたりであった」
「っ……」
胸で響くやかましい鼓動は、私だけのもの?


もう踊れない、こんな心臓じゃ