私はただの新入りの女中である。それも豊臣、大阪城が勤め先ともなれば、同期の新人女中だけでも十人はいる。そして新人である私が重要な地位にある方のお世話など当然宛がわれることもなく、厨房だの掃除だのと裏方ばかりの仕事をしていた。 だというのに、だというのに。
馬鹿に長い廊下を大股開いてガツガツ拭いていた時だ。突然頭上から「止まれ」と命ぜられ、慌てて急停止し顔を上げると、なんと刑部様が前にいらした。はしたない格好で下品な掃除の仕方をしていたことを咎められるかと思いきや、刑部様は身の回りを浮遊していた数珠をひとつ私に飛ばし、「殴られる」と身を硬くした私を宙吊りにした。その原理は判らない。
そして、されるがまま連行されたのは鳥城である。この時私は数珠で宙吊りになっていたのではなく、刑部様の背に隠れるように輿の上に乗せられていた。 当然のように刑部様の近くには三成様が立っており、「三成くんが来たぁ〜」とか叫んでいるここの城主に本気でキレている。 何を隠そう私は怒れる凶王様を本気で畏れているので、刑部様の背で息を殺していた。
「さぁ金吾さん、早く徳川の元へ逃げましょう」 「そ、そうだね天海さま…!」 「……刑部、今何が聞こえた?」 「…徳川に・」 「金吾おおぉぉおぉおお!!」
本気でキレているところに更にキレた三成様はそれはもう恐ろしい。 暴走を始めた三成様を見つめて刑部様は「やれやれ」と呟き、その苦労を垣間見せると、何故か私を後ろ手に掴んだ。そして、訳が判らず「え、え?」と狼狽する私を、その姿から想像もつかない力で放り投げたのである。
「ぎゃっ!」 「!!」
地面の上に倒れた私は、着地の衝撃に次いでちょうど走り出した三成様に思い切り踏まれ、その場でぺちゃんこになった。 刑部様は私を三成様に踏ませる為だけに此処へ連行したのだろうか。だとしたらかなり理解がし難い。 駈け出した瞬間へんなものを踏んだ所為で、三成様は驚いた顔をして私を見ている。痛みと疑問と恐怖で、潰れたまま三成様とかち合ってしまった双眸を反らすことが出来ず、どうしたものかと眉を寄せると、三成様がはっとして乾いた咳をひとつした。
「…刑部、私はこれから金吾と冷静に話し合いをしてこようと、思う」 「それがよかろ」 「誠意を持って話せば金吾もきっと判ってくれるだろう…」 「………?」
そして咳の直後、三成様の様子が激変した。 あれほど怒り狂っていたのに、妙に落ち着いた態度で(と言っても逆にソワソワしているようにも見えたが)、しかも斬り殺しに行く様子だったのが冷静な話し合いが目的になっている。
……まさか、私は踏まれることで相手の怒りを消してしまう特殊能力が……あるわけがない。 一体どうしたことかと見守っていると、三成様はまた乾いたわざとらしい咳をして、すたすた歩いていった。
「ぬしは怒り狂う男より冷静な男の方が好みであろ?」 「え…それはどういう……」
投げかけられた刑部様の言うことを理解するのにはまだ時間がかかる。
ミエハリ!
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