休み時間。用があって職員室に行った帰り、自クラスに近づくと妙な騒がしさがあった。他のクラスの生徒たちも両側の扉に群がって何かを見ている。大騒ぎして教師を呼びに走る生徒も何名かおり、人混みの向こうから女子の悲鳴と、机や椅子をなぎ倒すような音、男子の牽制の声が聞こえて来る。

「なに、ケンカ?」
「ケンカっていうか…石田君が女の子に殴りかかったらしいよ」

野次馬の会話を聞いて耳を疑った。
まだ騒ぎは落ち着く様子を見せず、教室内からは引き続き、悲鳴と物の倒れる音と諫める声が飛び交っている。

「落ちつけ三成、もういいだろう!」
「止めるな家康!!」
「っ、誰か彼女を避難させろ!」
「邪魔するな、殴り足りない!原型がなくなる程に殴り付けねば気が済まない!!」
「もう腫れたり血が出て酷い有様だ、これ以上やったら死んでしまうぞ!」
「死んで当然だ!醜く死体をさらして舞雷に詫びろ!!」
「一体どうしたんだ三成!!」

集まった野次馬のおかげで教室内の様子は一切視界に入らない。しかし大声で怒鳴り散らしているお陰で少しだけ状況が判る。しかも三成が私の名前を叫んだ所為で、野次馬達は一斉に私に視線を注いだ。そして、固まっていた人の壁が聖書の海のように割れていく。私が出て行くことで騒ぎが収束するとは思えなかった。それどころか悪化するのではないか、その前に、一体何が起こっているのか。

「離せ家康!その女を連れていかせるな!!」
「離すものか!」
「殺してやる…、あの女を殺してやる!」
「だから離せないんだよ!……、舞雷…?」
「あっ………」
「…舞雷…!」

教室内は酷いものだった。室内に残っていたクラスメイトたちは皆端に避難し、三成の怒りの標的らしい女子が二人の男子に囲われて教室の後ろに逃げている。家康君に抑えつけられている三成は制御の効かない獣みたいに、怒鳴り、暴れて、正直私でさえ恐ろしくて近寄りたいとは思わなかった。
おずおずと教室の入り口付近で佇立していたら三成を押さえつけていた家康君と目が合い、うろたえる私を三成が見つける。このまま逃げ去ってしまいたいが、後ろはもう人の壁だ。さっきのようには割れてくれないだろう。

「離せ!!」
「おわっ!」

私を見つけたことで一瞬大人しくなった三成は、家康君の虚を突いて彼の体から逃れた。殴りつけられてよろめいた家康君を見ている間に三成は私との距離を詰め、気づいた時には両腕の中。全く展開について行けない。

「な、何……?」
「舞雷…お前は私が守る…」
「……どういうこと?どうしてあの子に怒ってたの…?」
「………」
「ねえ……」

既に酷く殴られているという女子は、悲鳴を上げてうずくまった。傍にいた男子が慌ててどうしたものかと顔を見合わせているのが見える。その子とは仮にもクラスメイトだ、特に深い付き合いはしていないが、だからこそ問題もなく普通の関係だったと思う。私が原因で三成が腹を立てる理由が全く見当たらなかった。そもそも今日など口さえきいていない。

家康君は体勢を整えて、三成と彼女の間に立った。私を捕まえて大人しくなった三成が、いつ爆発して殴りかかるか知れないからだろう。そして「早く保健室に連れていけよ」と慌てる男子達に声を投げるのを聞いた。まだ三成は黙っている。

「私…あの子に何もされてないよ?」
「……お前が知らないだけだ」
「…………」
「お前の悪口を言っていた」
「……まさか、それで殴ったの?」

三成は私を抱きしめたまま、黙ってこくりと頷く。
ちょっと待って、悪口くらい誰だって言うし言われるものだ。まして仲が良いわけではないのだから、私たちは馬が合わない。特別何か嫌がらせをしたわけでなくとも、私への少しの悪口が飛び出したところで、酷いいじめという訳じゃない。もっと言ってしまえば、彼女への悪口に該当しそうなことを私だって口にすることくらいある。

「み、三成……そんなことで、」
「そんなこと…?」

悪口を言われたのは私だったが、酷い罪悪感が襲って来たのだ。だから三成を宥めようとしたのだけれど、彼は耳元で腹の底から怒声を発した。それはまだ静かなものだが私を脅すには十分な力がある。

「私の舞雷が貶された。命で償うには十分な重罪だ」
「まっ…待ってよ、私は気にしてないよ…」
「お前を悪く言う者は端から燼滅してやる…!」
「待っ……!」

言うなり三成は私を手放して例の女子へ向かって歩いていく。彼女はうずくまっていた所為でまだ教室内にいたのだ。当然間に立っていた家康君が応戦する。また怒鳴り散らして、暴れて、牽制して、抑え込んで、逃げろと叫んで、殺してやると吼えて、女の悲鳴がして、

「いいよ、三成…そんなことしなくたって…私、平気だから……」

私の目から涙があふれてきた。

「もういいよ、ねえ……」
「ッ、黙っていろ!」

三成は家康君に阻まれて彼女へは到達出来ない。けれどうずくまった彼女は気が狂ったみたいに酷い声で喚いていた。その声を聞いているこっちの気が狂いそうなくらいだ。やがて止めるだけだった家康君の拳が三成の頬を叩く。どかそうとするばかりだった三成の拳が家康君の腹を穿つ。彼女は私の名前をぶつぶつ言って、「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と念仏のように繰り返した。私が赦すと言っても三成が赦さない。一体どうしたらいいというのか。家康君が三成をやっつけるのを見守るの?もし三成が勝ってしまったらどうなるというの。絶対あの子は死んでしまう。彼女の傍にいた二人の男子は既に逃げてしまっているのだから。私のどんな言葉も彼を止められないのだから。私も一緒になって三成に殴りかかってみる?

――嗚呼、そんなことをしたら、


私まで殺されてしまいそう