「貴様、職員室に届けて来い」
「………」

なぜ、私がこんなことを言われなければならないのか。

特別な理由はなく放課後教室でぼーっとしていたら、部活や帰宅でクラスメイト達はさっさと流れるように出て行った。そこにもそもそ残っていたのが、日直当番だった石田さん。私は正直彼が得意ではないが(同い年のクラスメイトにさん付けしている時点で容易に察せるだろうが)、例え一時的に教室でふたりきりになったとして、何があるとも思ってなかった。だから結局、気の向くままにだらだらしたのが災いし、あろうことか石田さんは仕上げた日誌を冒頭の台詞と共に突き出したのだった。

「何をしている。迅速に受け取れ!」
「……え…」

これはいじめか?

どう考えてもこれは理不尽な要求であるというのに、なかなか日誌を受け取らない私に対して彼は腹を立てた。校則違反だが地毛だと言い張り、遂には教師を言いくるめた銀髪に少し隠れて見える双眸が、鬼のように怒りを灯している。
言わずもがな、私は小心者だ。頭で考えるより先に手が自分を守ろうとした。差し出された理不尽な要求を指にはさむと、石田さんは一転して機嫌よさそうに鼻を鳴らした。石田さんの手から解放された日誌は、しかし私の震えた指でその体重を支えきれる筈もなく、まぬけなタイミングでゴッと音を立てて角を机にぶつけ、パッと鳴いて倒れた。

「…貴様、やる気がないな」
「う、…そんな、こと…」

やる気なんてないに決まってる。元々私は日直でさえないんだから。そういえば日直は男女のペアでやるものだが、相方の女がいない。確か鶴ちゃんだった気がするのだが。

「あの…鶴ちゃんは…?」

恐る恐る聞いてみると、石田さんはせっかく直った機嫌を悪くした。

「あの女とは馬が合わん」
「………」
「目障りだから追い出した」
「………」
「聞いているのか!」
「は、はい、すいません!」

なんというわがまま王子なんだ、彼は。しかも怒りの沸点が異様に低くて数分の会話だけでもの凄く気疲れする。
私は怒鳴られて体に渇が入り、やや丸みを帯びていた背をまっすぐに伸ばした。そして、机の上にだらしなく広がっている日誌を、今度はしっかりと拾いあげた。これ以上彼との会話、それどころか同じ場所にふたりきりというのに耐えられる自信がない。

「これ、届けますから!」
「…いや待て」
「え!?」

理不尽だろうとなんだろうと、日誌を職員室に届ければいいだけだ。それだけで彼の気はおさまるし私も帰れる。さっさと教室を出ようと立ち上がった私にそして何故か制止をかける問題の石田さん。驚いて不自然な格好でがちがちに固まっている私を舐めるように見つめた後、石田さんは私の手から日誌をひったくった。

「え、え?!」
「やはり貴様に預けるのは心許ない」
「……」

だったら最初から自分で持って行けよ!と怒鳴りたくなるのを当然抑え、私は苦笑いを浮かべてそれならそうと帰ろうとした。帰ろうとしたのだが、石田さんはまだ私に用があった。背を向けたか弱い女の子の腕を握力測定かってぐらい強く握りしめて、痛みに悲鳴を上げた私はついでにすっ転んだ。

「ぎゃあ!」
「…貴様を一人で帰すのも心許ない」
「は…なんですと?!」

この時期日が落ちるのは早く、既に街灯頼りの暗さではあるが。まさか私の名前さえ覚えているのか危うい程度の仲で、石田さんは紳士なことを思っていると?
“暗いから女の子ひとりで帰すのは忍びない。自分が自宅まで送り届けよう”なんて?

まさか!!

「冷徹で無慈悲なドS王子が私なんかにこんな優しい筈ないじゃないか!!」
「……悪かったな、冷徹で、無慈悲で、ドSな男で…」
「あっ!(なんてこった全部口に出てしまってただなんてーー!!)」

混乱している私の前で、石田さんは未だ腕をぎしぎし握りながら怒りのオーラを発していた。
もちろん腕はもぎ取れてしまうのではというくらい、痛い。

「ご、ごめんなさい石田さ…いや、石田様!跪きます!だから怒りを鎮めて!腕もはなし、痛たたたた!!」
「ああ私は冷酷な男だとも!」
「失言でした、うう、痛いーー!」
「無慈悲で、人をいたぶるのが好きだとも!」
「腕変色してるーー!」
「そして舞雷!貴様を愛していて何が悪い!!」
「………へ?」

いや痛みこそは確かな感覚だ。夢だって醒める程に。

「……い、石田様?」
「様とはなんだ、それに名字で呼ぶな、名を呼べ!」
「…いえ、恐れ多くて呼べませぬ、石田様様…」
「……私を怒らせたいのか」
「え、これ以上怒るんですか…」
「…いいから名を呼べ」
「……み、っつ」
「ふざけているのか」
「ち、違います、うー…みつ、」
「まともに口もきけんのか」
「……三成、さん?」

一体なんだこの展開は。

気づけば腕などとっくに解放されて血のめぐりも良く肌色も好調だ。石田さんの手にあった筈の日誌はいつのまにかどこかに投げ出されてしまい、何も掴むものの無くなった男の人の手が私の頬をさする。
反射的に体を硬直させ、混乱する頭をどうにか治めようと必死になるが、必死になるだけ余計混乱して、訳が判らないままキスが終わった。


こんなはじまりでした