『其処に棲むモノ』
眠れない夜と困惑の朝
軈て茜色と濃紺の入り混じった中途半端な空が、儚い虫の声と共に静かに夜を受け入れ、頭上に月が輝く頃、皆はテントの中で夢に揺られていた。
因みに、風呂は夕食の後、個室となっているシャワー室で女性陣と男性陣の時間をずらし、同時に済ませた。
他3人の鼾や寝息を聞きながら、俺は中々寝付けずにぼんやりとテントの天井を眺めていた。
俺の居る男性用テントは、左から松田さん、君島、伸照さん、俺の順で寝ている。
俺は貸与された薄手の毛布を剥ぐと、ゆっくりと起き上がり頭の上に荷物と共に置いていた専用のポーチからドイツ軍のキャンティーンを取り出し、中の水を含んだ。
そうして、更にその隣にある携帯で時間を確認すると、3人を起こさ無いようにそっとテントから這い出た。
竹澤:
(……あ)
テントから出て来た俺は、立ち止まる。
正面の柵に少し腰を屈めて右手で頬杖をつき、一服している未羽さんが居た。
柵に肘を置いて、向こう側に垂らしている左手に煙草を持ち、偶に吹く微風に髪を揺らしながら煙を吹かしている。
月影に照らされて蒼白く輝くその様は、息を呑むほど美麗だった。
未羽さんはふと振り向いてテントの前で突っ立っている俺に気付くと、
霧生未羽:
「ああ、どうしたの? 竹澤くんも…眠れないの?」
と微笑みを浮かべて来る。
竹澤:
「……あ…はいっ。眠れなくて…」
見蕩れていた俺は、ハッとしてそう答える。
未羽さんが「そっか」と言って、そこからは何も会話が無く、2人無言のまま柵前に佇んでいた。
頬杖をついていた右手に携帯灰皿を持ち、それを左手と同じように柵に掛けた未羽さん。
時折、灰を灰皿に捨てる仕草をしながら、静かに煙草を吹かす横顔を、俺はちらちらと気にしていた。
竹澤:
(此処で…俺は…)
俺は考えていた。これはチャンスかも知れないと。彼女は忙しいから、奇麗な渓谷の景色が拡がる此処で、きっぱりと告白してしまうべきじゃないかと。
…もう、結果は解っている。なら、言って楽になってしまえば良いんじゃないかと。それは、俺のエゴでしか無いのだけど。
そう考え、俺は俯き、右手で左手首を握りながら微かに震えていた。本当に本気で好きな人だから。告白するのが、怖かったんだ。
そう、結果は解っているんだ。なら、同じ事では無いのか。言って楽になるべきか、このまま秘めるべきか──。
竹澤:
「……未羽さんって…」
霧生未羽:
「ん?」
暫しの沈黙の後、俺は言葉を紡ぎ出した。それは決して告白などでは無く。臆病な俺は…。
竹澤:
「──好きな人、居るんですか?」
霧生未羽:
「…えっ」
未羽さんはちょっとびくっとして一度こっちを向いたが、軈てゆっくりと顔を正面に戻し、
霧生未羽:
「……うん。居る…よ」
消え入りそうなか細い声で、そう言った。
竹澤:
「…判らないですけど……未羽さんなら、その人と付き合えるんじゃないですか?」
霧生未羽:
「はは、ありがと。でも、無理っぽいかな…私なんかじゃ…。顔も、そんな良く無いし…釣り合って無いっていうか……」
思わず横目で彼女の顔を見ると、風に髪を靡かせ、寂しげに笑っていた。心做しか、眼の表面が潤っているように見える。
顔も良くないと言うのは、詰まり顔にプラスしてそれ以外も良くないところがその数、不特定に存在しているという事だ。未羽さんは容姿だけに非ず色々素敵な人であるのに、何故そのように卑下するのだろう。美樹など、未羽さんは才色兼備だと真剣に憧れているくらいなのに。
竹澤:
「俺は……」
だから、そんな未羽さんを見るに耐えない俺は、ぶを弁える事を忘れた。
竹澤:
「…俺は、未羽さん──凄く可愛いと、素敵な人だと思いますよ」
沈黙が辺りを支配した。
俺は瞬時に後悔して、赤面して俯いてしまう。不味い。出しゃばり過ぎた。
だが何時までもこうしている訳にも行かず、俺はゆっくりと項垂れた頭を持ち上げる。
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