『恋哀狂想』
終章 真実は
はっとした時には、目の前の景色は灰色に染まっていた。
場所も先ほどまでいた寂れた公園ではない。踏切が近くにある。アスファルトだが踏切の周り以外は白線なども皆無の、如何にも田舎の道といったところだった。
引き剥がされたのではと一瞬不安になるも、隣にはちゃんと針乘がいて、黎果は一先ず安堵の息を吐く。
玉中も少し離れたところで呆然としていた。
「ここ、は……もしかして……?」
黎果が疑問符を投げ掛けたその時、何処からか声が聞こえた。
『黎果ちゃんってつまんない!』
声のした方を見ると、そこには三人の女の子がいた。それは幼い頃の船井と土家、そして黎果だった。
『ちょっと悪戯しようって言っただけで怒るんだもん!』
『怒ってないよぉ……。先生も、パパとママも、駄目だって言うから……』
高校生の今でこそ悪口を言われたり突っ掛かられたりしてもそれなりに対応は出来るが、幼い黎果は気の強い女の子たちを相手にオドオドとしていた。
『ちょっとくらいならいいじゃん! 黎果ちゃんって、いっつもそうだよね!』
黎果は真面目な女の子。それは幼い時からで、だからこそ今の黎果と同じ状況なのは正しく自然だった。
そんなやり取りをしていると、そこに男の子たちがやって来る。
『何やってんだよブス!』
如何にもガキ大将っぽい雰囲気を持つその男の子は、玉中だった。後ろにはまだ園児であった長田と農村を引き連れている。この頃から体格はよかったようで、体は普通の小学一年生より一回りくらいデカそうな感じだった。
『ブスって言っちゃいけないんだよ!』
『先生に言っちゃおう!』
女子二人から非難を受ける中、玉中は構わず三人に近寄った。
『黎果! お前、小太郎のこと先生に言ったな!?』
『だ、だって……。好き嫌いはいけないのに、小太郎くん嫌いな人参こっそり捨ててたんだもん……』
どうやら、農村が給食の時にやってはいけないことをやったらしい。それを黎果が先生にチクったことを責めているようだ。
『お前が先生に言ったから、小太郎が怒られたんだ! 謝れ!』
玉中はリーダー的な存在だったのだろう。彼がそう言うと、四人は口々に謝罪を求めて罵声を浴びせた。
『俺が小学校行ったからって、幼稚園で威張らせねえぞ!』
『威張ってないよ……だってだって……』
『うるせえ、ブース!!』
泣きそうな顔をしながらも懸命に堪えていた黎果。そんな彼女に、男子三人は小石をぶつけ出す始末。
『玉中っ!!』
その時、鋭い声が飛んで来る。
ツンツンの短い黒髪に、くりっとした大きな瞳。ラグランシャツに七分丈パンツといった男児の格好をしたその子は、直ぐ様駆け寄って来て玉中に蹴りを食らわせた。
理不尽に苛められていた黎果を助けに来たヒーロー。それは紛れもなく、世星優季だった。
『何すんだよ、バカ優季! やんのか!?』
如何にも派手な喧嘩を始めるとばかりに怒鳴る玉中だが、そうして始まった喧嘩は優季の圧勝だった。手加減すらしていたようだが、体格がいいだけで素人まる出しの玉中に対して、優季は習っているのか空手技を使っていた。
『先生に言ってやっかんな! ブス! うんこ!』
ボロ負けした玉中は見苦しい台詞を吐き、距離を取る。
『だっせ! 弱いくせに黎果ちゃんのことは苛めやがって!』
尤もなことを言う優季に、歯噛みする玉中。黎果が優季に駆け寄り怪我の心配をすると、彼女は大丈夫だと笑った。
……この時、二人は踏切の直ぐ近くにいた。
「やめろ!! これ以上はっ……!!」
その時、過去の幼い玉中ではなく現在の高校生の玉中が叫んだ。
……何か隠しているようだった彼。見られたくない、見たくないことがこの先にあるのだろう。
現在の黎果は、遠くに見える踏切の警報機が赤く光るのを見た。こちらの踏切はまだだが、間もなく反応するだろうと思った。
刹那、小学生の玉中が優季に思い切り体当たりをする。不意打ちだった。喧嘩に負けて悔しかったのだろう。
流石に優季も不意打ちには対応出来ず、盛大に転倒した。鈍い音が鳴り、優季の頭が弾む。相当強かに打ち付けたであろうことは、瞭然だ。更に立っていたのが踏切の直ぐ手前だったため、倒れ込んだのは完全に踏切内だった。
そして……なんと不運なタイミングだろう。赤い光と、カンカンカンという断続音。下りてしまった遮断機を前に、流石の玉中たちも動揺していた。
『お、俺っ……知らねっ……!』
自分の所為だというのに、玉中は真っ先に逃げ出してしまう。長田と農村もあとに続く。
「ま、待って……! 助けてあげてよ……!!」
高校生の黎果は思わず叫んでいた。これからどうなるか分かっていても、そうせずにはいられなかったのだ。
だが、これは既に過去に起きてしまったことだ。逃げ去る幼い玉中たちが、黎果の呼び掛けに反応する訳がない。残像のようなものらしく、彼らは立ち塞がる高校生の黎果をすり抜けてしまう。
『くっ……』
優季も事態は理解しているらしく、立ち上がろうとしているようだったが、手が僅かに動いただけだった。
『ねえ! 電車が来ちゃうよ……!』
船井と土家は逃げはせずとも遠巻きに見ているだけで、近寄ろうとすらしない。園児とは言え、二人もいれば助けることは出来ただろうに。
……誰一人として、優季を助けようとはしなかったのだ。
『優季ちゃんっ……優季ちゃんっ……!!』
そう。誰も動かない中、黎果だけが遮断機を潜って真っ先に駆け寄った。
だが、優季は玉中とまでいかなくとも女子にしては体格がいい方だった。黎果はまだ園児なのに加え、少食だったのもありガリガリで、力も全然なかったのだろう。中々助け出すことが出来ずにいた。
それを見ても、船井と土家は手を貸そうとはしない。それどころか、彼女ら二人も最終的に玉中たち同様に逃げ出した。怖くなったのだろう。
『黎果ちゃ……ん』
優季がどんな状態なのか、今の黎果にも分からない。ただ、彼女は動かないであろう体で、それでもちゃんと黎果の細い体に縋り付いていた。
今の黎果なら同じくらいに成長した優季でも、なんとか轢かれないくらいのところまで引き摺って行くくらいは出来ただろう。爪が食い込むくらいに拳を握り締めるも、過去の光景に対しては何も出来ない。
――そして。大地を揺るがす振動が、頭を震えさせる。
『た……す、けて……!』
その悲痛な叫びは、はっきりと突き刺さった。
それを受け、幼い黎果は――。
優季の手を、振り払った。
絶望すら入る余地を許さない一瞬の後、無機的な鉄の塊は無情にも通過した。
金属の擦れる悲鳴と振動音に混じり、バキバキという生々しく凄まじい異音。何かが飛び散る様子さえ、見えた。
電車は丁度、車体が踏切を通り抜けた辺りで停車する。車両は直ぐには停まれない。遅過ぎる、停車。
広がった、血とピンク色の肉片。いつまでも鳴りっ放しの踏切の警報が虚しく響く中、大人たちが集まって来たところでその光景は跡形もなく消えた。
目の当たりにした信じられない光景に、黎果は表情筋を固まらせて佇んでいた。
優季を殺したのは、自分だ。
優季は、自分の所為で死んだ。
黎果はそう考えてしまった。悪いのは、その原因は、体当たりをした玉中であるはずなのに。黎果の心には玉中が入り込む余地はなかった。一番悪いのは、体当たりをした玉中でも逃げ出した四人でもなく、優季が助けを求めていたのに見捨てた自分だと……。
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