黒の少女シリーズ | ナノ


『恋哀狂想』




 放課後。黎果はいつものように生徒会室に残り、やらなければいけないことを処理していた。
 他の生徒会役員たちは疾うに下校しており、外で部活動の片付けをする生徒以外の影はない。
 様々な書類に目を通していた黎果だが、その文字が視界から消えて行く。またもやぼーっと考えごとをしてしまい、頭に入らなくなっていた。
 考えるのは、夢のこと。思い出したくもない、悪夢。高が夢だが、そうとも一蹴出来ない何かがある。リアルな罪悪感、胸の痛み……。あれはただの夢ではないと、このまま野放しにしてはいけないと、危機感にも似た何かを感じていたのだ。
 処理中の書類を手にしたまま、思考の海に沈んで行く。
 ――軌鹿市には何があっても絶対に行くな。
 と言うのは、父がいつも言っていたことだ。もし行ったら勘当だとまで忠告されていた。父親も本気で縁を切るつもりではないことは黎果も分かっていたが、真面目な娘にそこまで言うほどの理由があるらしいのは確かだ。
 もしかしたら、これは最近の夢に関する手掛かりなのではなかろうか。以前、住んでいたという軌鹿市。転勤でもなく引っ越したこと。その理由を話そうとしないこと。何があっても行くなという忠告。……どうも無関係ではなさそうだ。

(お父さん……)

 胸の奥がむず痒く疼く。
 父のことを考えれば、過去を掘り返して詮索したりしないのが一番であるのは確かだ。
 だが、明確な危機感がある。本能が警告しているような、焦燥感が。父を裏切りたくなどないが、本当にこのままでいいのだろうか。
 それに、それだけでなく黎果の心が耐えられない。好奇心とは似て非なる、追求心。胸の痛みも罪悪感も夢に出て来たあの子のことも、兎に角全てを“知りたい”と強く願っている。それが今の彼女の本心であった。
 突然ガラララッと乱暴な音を鳴らし勢いよく開いた扉に、沸き上がる疑念ともやもやした感覚が吹き飛ばされる。

「あー、やっぱりまだ残ってた! れーれーたん!」

 扉の方を見遣ると同時に、見なくても分かる煩わしい声が鼓膜に突進した。咄嗟の反応で見てしまったが、見なければよかった。

「立ち入り禁止のはずですが? ナルシさん」
「酷いってば! てか名前で呼んで!! お願い!!」
「私に名前を呼んで貰いたければ同一の寺社に百回参拝するか、百往復して祈願して来て下さい」
「お百度参りが必要なの!?」
「というか人に名前を呼んで貰いたければ、自分からちゃんと呼ぶべきではないでしょうか」
「分かりましたー。んっふっふ、私に名前を呼んで貰うと神になれるんだよん? 黎果!」
「なんか格好つけて決め台詞的に名前言ったみたいですけど、そんなことで人を神にしてくれる螺の外れたトチ狂った存在は流石にいないでしょう。いるとしても常軌を逸した狂気の神になりそうで嫌です」
「言い過ぎじゃない!? 螺の外れたにトチ狂ったに常軌を逸したに狂気ってどんだけ非難してるの!?」
「当たり前じゃないですか」
「本当に本当に当たり前かのようにさらりと言わないで!?」

 たまに外から部活動の片付けをしている生徒の声が微かに聞こえて来るだけの静かな生徒会室は、針乘一人が来ただけで忽ち喧騒と言って良いほどに賑やかになってしまった。
 相変わらずのフランクさに黎果は溜息を吐き、特別教室用の大きな机の上に広げていた書類などをかき集めて整理する。

「それ、何?」

 針乘がその中の一つに興味を示した。

「これはリクエストボックスの中に入っていた要望メモです」
「あー、なんかそんなん一階に置いてあったような気がする」

 針乘の言う通り、この学校には一階にプラスチック製の箱が置いてある。そのまんま“リクエストボックス”と書かれた横長の紙が前面に両面テープで貼られ、上面に横長の口が空いているだけの、簡易な物。後ろは引くと簡単に開くようになっており、集計の時はそこからメモを取り出すが、たまに間違えて入れた生徒や書き忘れたことに気付いた生徒がそこから取り出している。
 その箱の横には、ペン立て付きのメモケース。何処かの受付にあるような、家庭で電話の横に置いてあるような、あの透明のありふれた物だ。そこに“要望”と印刷された、これまた簡易なメモサイズのプリントが束になっている。
 そこにもっとこうするべきだとかこうして欲しいとか、そういった要望を生徒が書いてボックスに入れることで、リクエストを送ることが出来る。部活の費用だとか、催し物の要望など届くものは様々だ。それを管理するのが生徒会で、要望が多いものは生徒会会議で話し合ってどうするかを決める。少数派の意見も、思うところがあれば議論に出して議決するのだ。
 しかし、興味を示しそれに何枚か目を通した針乘は、面白くなさそうに唇を尖らせる。

「何これ。ほとんどおふざけじゃーん」

 針乘の言う通り、束になった要望メモはどれもこれも遊びで面白がって入れたとしか思えない、あまりにふざけたリクエストばかりだった。

《全員エロ本を読む読書の時間が欲しいです》
《修学旅行を世界一週旅行にして》
《女子の体操着をブルマにして下さい》
《挨拶運動ウザい》
《髪染めを校則でOKにして下さい》
《募金をみんなで使う金にすればいい》
《保険の授業はAV観賞の時間にすればいいと思います》

 そんなものばかりが並んでいた。女子かも知れないものもあるが、主に男子がふざけて書いたものだろう。

「黎ちゃん、バッカバカしいよー。止めちゃおうよー。うん、そうだそうしよう。こんなもん、バラバラにしてゴミ箱の中にダイブさせればいーと僕は思うよー?」
「でも……ちゃんと要望を書いている子もいるから」

 針乘は、黎果があとは自分がやっておくと言って他の生徒会役員を帰らせ、面倒臭い仕事の数々をいつも一人で頑張っているのを知っていた。この要望の集計などもその一つである。
 確かに真面目に要望を送っている生徒もいるからおざなりには出来ないというのは分かるが、こんなふざけたものを毎度毎度きちんとチェックして自由な時間が削られているのだ。普段はへらへらして適当に頑張って黎果の苦労を真面目ちゃんと笑ってるような、そんな連中のせいで。

「うん、よし来た! じゃあ僕が筆跡から誰が書いたか特定してお仕置きをしよう! あれだ、体育館のステージでケツ丸出しにさせてお尻ぺんぺんとかどうだろう? 分かるこれ? 一生の問題だよ?」

 おちゃらけた調子だが中々腹が立っているらしく、そんなことを宣う。笑っているが、怒気は伝わって来た。無論、本気で言っている訳ではないだろうが。

「筆跡から特定って……出来る訳ないじゃないですか」

 自分のために怒ってくれているのは、喜ぶのは不謹慎だろうが悪い気はしない。だが、一応突っ込みは入れておく。これが黎果と針乘だ。
 しかし針乘は、不意ににたりと笑った。チェシャ猫のように。

「いや? 今のは勿論、冗談だけどさ。マジな話、出来ないこともないよん?」

 背中が粟立つ、企むようなぐにゃりとした笑顔。不穏で禍々しい、そんな空気が漂う。

「……どういう、ことですか?」
「黎果ちゃんは聞き流してたかも知れないけどー。僕、言ったよね? 僕には、“パトロン”がいるんだ」

 そう言って、にこっと可愛らしい笑みに戻る針乘の右手は、左手に添えられていた――。








「復讐を望むのかい?」

 星空をバックに、少女が問い掛ける。暗闇に問い掛けており、影は見えるが相対する相手が誰なのかは見えない。
 問い掛けた相手の返事を待たず、少女はくふふ、と邪悪な含み笑いを響かせ流暢に語った。

「報復をしたってなんにもならないとはよく言ったものだ。本当に何がどうなる訳でもないしただ傷付き傷付けられ終わるだけで愚かな行為だし間違ってないと思うのだが、何がどうなるとかじゃなく愚かだろうがなんだろうが関係なくただ復讐してやりたいって気持ちはよく分かるよ。私もつい一、二ヶ月くらい前、あの値段の安い名前の和風人間にちょっとやられてしまった時、絶対に許さんと思ったしね。いや参ったまさかこの私があんな醜態を晒すとは……まぁ、あの“偽白(ぎはく)”はもういないからいいのだが」

 意味深な、恐ろしいことを連想させるような言葉を最後に放ち、しかしその笑みを崩さない。
 たまに言葉の区切りがなく繋がったまま喋っているのはせっかちなのか、それにしては少女はとても落ち着いて佇んでいた。

「まあ君が、今回の物語の“主人公”である君が復讐を望むなら私も協力させて貰うよ。シナリオを傍観し集めるのが私の生業で本来はそれだけだが今回君の物語に私は協力しよう“干渉という名の脚色”というやつだね。物語が面白くなるように脚色するのも私の役割だたまにやるよこれ。そりゃやるせない復讐してやりたいであろう君の気持ちも分かるからね。その復讐は理不尽だが理不尽なのも私だからね何も言わないさ」

 語りながらカツカツと移動し、給水タンクの梯子を片手で掴む。その、次の瞬間。
 ひらり、と。
 飛躍し、着地する。
 少女は、給水タンクの上にいた。まるでファンタジーの世界の神魔か何かのように幻想的に、柔らかな風の波に髪を乗せ、星月夜の満天の綺羅星に蒼白く照らされた顔に自信に満ちた笑みを浮かべている。
 その宇宙を連想させる闇色の双眸は、星々の目映い煌めきさえ吸い込むが如く、ブラックホールのように螺旋状に揺らめいていた。少女の宿す、異能力だった。
 それを見上げる人物は、人知を超えた脅威を前にし、確信する。こいつなら間違いないと、こいつならなんとかしてくれるだろうと。
 そう思い、揺るぎない信念を宿した瞳だけ狂気的に爛々と、表情もなくその口唇を開いた。

「……頼んだよ、道玄(どうげん)」

 未だに根強く残っているキラキラネームと呼ばれる名前よりも酷いと称される、古風で男のようなシワシワネームを持つ少女は、それを聞いて三日月に裂けた笑みを作り出し、肯(がえ)んずるのだった。



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