黒の少女シリーズ | ナノ


『恋哀狂想』



「針乘の言う通りだな」

 今度は別の、ややハスキーで低めだが女性と分かる格好いい声が、黎果や針乘のいるのとは逆の廊下から飛んで来る。

「あ……っ」

 針乘は何をしようとしていたのか。そのただならぬ空気に圧倒されていた黎果だったが、その声を聞いた途端、彼女の心臓は跳ね上がる。

「あらん、彪先輩じゃないですかん!」

 そんな黎果とは真逆に、ついさっきまで妖しげな雰囲気を放っていた針乘は、けろっとした顔でその人物を受け入れる。
 短めのアシメに整えられた黒い髪に、凛々しい切れ長の目。それこそ素行の悪い男子連中も教師でさえ震え上がらせるくらいには目付きが悪いとも言えたが、何故か女子人気が高い、この学校では有名な人物だ。
 その格好いい女子は、二人に一度優しい笑顔を向けてから、女子連中に厳しい視線を送る。

「お前らさ、そうやって自分たちのこと棚に上げて人のことばっかり言って、恥ずかしくないか? 人のこと言う前に自分はどうなんだよ。お前ら、そんなに偉いの? ただの妬みだろ。しかも殆どお前らが勝手に言ってることだし。教師に色目だとか、体売るとかさ。どっからその発想に辿り着く訳? ウザいだのキモいだの言ってるみたいだが、そういうこと言ってるお前らが一番ウザいしキモいよ」

 相手が何か反論する前に、有無も言わさない迫力でズバズバと容赦のない言葉のマシンガンをぶつける、イケメン女子。
 彼女は炬彪(かがり あきら)。黎果や針乘の先輩、つまり三年生で、スポーツ万能。陸上部だとかではないが足が速く体力もあり、持久走や体育祭の時など、男子もそうだが主に女子から黄色い歓声を上げられていた。
 名前の字面が格好いいことからも、“疾風(はやて)の炬彪(きょひょう)”などと中二的な異名で呼ばれることもしばしば。実はその呼び名を広めたのは針乘という極秘情報が隠れているが、いつの間にやら“豹(彪)”のイメージがつけられていた。イコールで、“しなやかな筋肉を持つイケメン女子”なのである。或る意味被害者とも言えたが、本人は特に気にしていない。

「……」

 彪の正論に、女子連中は何も言えずに黙った。
 彼女らは見た目通り不良と呼ばれる人種に入り、だがこの学校に入れるくらい勉強は出来るという質の悪い部類だ。
 怖い者知らずで厄介な今時の若者なだけあって、相手の老若男女問わず基本的にはちょっと注意されたり怒られたりしたくらいでは退かない。例え自分たちが間違っていたとしてもそんなことは関係なく、酷い時は間違っていると分かっていて生意気に反論して来る。そして関係ない話題に発展させて、人をバカにしたりする。その極めて残虐な言葉の暴力により、深く傷付いた人間の数は計り知れない。実際に三年の太い眉毛が特徴的な男子が「つーかさ、あんた眉太くてキモいよ?」などとバカにされて傷付いたという話もある。
 しかし相手が彪となると、まるで蛇に遭遇した蛙の如く大人しくなるのだ。今の彼女たちの図は、まるで虎を前にした鼠のようであった。
 その理由は極めて単純で、この彪という女は人脈が幅広い。老若男女関係なく知人や友人が多いのだ。真面目な人間が大半だが、不良は不良でも彼女らのようにおかしい言動をしない部類の連中とも仲良くしており、そういった不良連中は彼女らのような人種を嫌っている。その少年少女らに加え、各OBやOGらの数は百人は軽く越えると言われており、目を付けられたら堪ったものではない。
 しかも人徳というか、彪は何故か上の方の人間に好かれる傾向にあり、大人の知り合いというと何処ぞの社長だとか、何億売り上げた実業家だとか、そういった人間も割りといる。それは単純に偶然であったが。
 例えば金持ちが行く個人料理店の店主と知り合いで、特別にバイトさせて貰っていたら対応が気に入られ、更に店主と仲がいいということでよくして貰っているだけだったり。たまたま出逢って共通の知人がいて、その関係で仲良くなっているというのが多い。そんな、友達といて自然に新たな友達が出来るような感覚。
 そしてそういった人間はやはり人脈が広く、顔が利くのだ。
 自分たちが間違ったことをしている手前、彪が言わなくとも万が一話が漏れれば誰に知れるか分かったものではなく、もしかしたら自分のバイト先の店長と知り合いだったら、進学する学校の関係者だったら、など懸念はいくらでもある。これから進学や就職する時に悪印象を与えるのは勘弁という話で、もしかしたら暮らして行くのにも不利があるかも知れない。
 実際、彪の知り合いの社長が彼女らのような人間の話をたまたま聞いていて、人間性を重視して面接で落とされたとか、進学する大学の関係者が知り合いで気まずい思いをしたなんて話は彼女らもよく耳にしていた。
 おかしいと、間違ったことをしていると知っている人間を取るくらいなら、別の人間を取る。それだけのことである。
 だから、女子連中は黙った。自分が一番可愛い彼女らは、自分可愛さに黙った。

「分かったら人の悪口は控えろ。お前らが勝手に愚痴る分には私たちには関係ねえけど、根も葉もないことで人をバカにするのは許せない」

 悔しげに縮こまる女子連中を睨みながらそれだけ吐き捨てると、彪はやや男らしい動きで黎果たちのところへ歩いて来た。

「黎果。気にすることねえからな?」

 そして連中に呆れたように小さく笑いながら、黎果の小さな頭を優しく撫でる。イケメンだった。

「あ、あのっ……有難う、ございます……」

 黎果は頬を紅潮させ、いつもの無表情の中に少し動揺の色を覗かせながら、お礼を口にする。
 その手の感触が心地好く、嬉しく、胸が締め付けられるような言葉に出来ない熱が全身に広がって行く。

「タイマツ先輩! 格好いい! キャー、付き合ってー!」

 そんな黎果をニヤニヤと横目に、針乘はわざとらしく両手を口元に当てて前屈みになった姿勢で、彪のファンの女子たちがいつも上げている黄色い声音をバカにした口調で真似ていた。
 真似ているのは黄色い声だけであり、こんな漫画のような台詞ではないし、それは彪のファンの女子たちを小バカにしているからなのだが、わざとカガリをタイマツと言っている。

「こら」

 そんな針乘の額を、少し笑いながら右手で小突く彪。彼女は後輩に寛大な人でもあった。

「というかタイマツ言うな!」
「そうですよねん、タイマツじゃなくて焔が合ってますよねん先輩はー」

 くねくねと体を揺らす気色悪い針乘にも、豪快な笑顔を見せる彪。
 そんな中、黎果は赤面したままじっと彪のことを見詰めていた。
 彼女の整ったポニーテールは、未だ彪の左手の中で心地好さげにさらさらと揺れている。煩わしいと感じるくらいに、心臓が早鐘を打っていた。
 早く生徒会の仕事を終わらせなければならないことは忘れてはいない。けれど、惜しい。この時間が。彪に優しく髪を撫でて貰っている、この切なくも愛おしい時間が……。

「というかさ、黎果。お前、生徒会の仕事だったんじゃないか? 悪いな、引き留めて」
「あ、いえっ。大丈夫です」

 パッと彪に髪を離されたことに一抹の寂しさを感じながらも、黎果は曖昧に微笑し、首を横に振る。

「寧ろ、感謝の気持ちで一杯です」

 確かに、自分のことで怒ってくれている彪を置いて生徒会の仕事に戻るなんて黎果の性格ではしないし出来ない。結果的にそれは、黎果を引き留めてしまったことになっているだろう。だが黎果には、生徒会の仕事よりも彪が重要だった。だから全然構わなかった。寧ろ嬉しかったのだから。
 やるべきことよりも、私情を優先してしまっていた。糞がつくほど真面目と言われる、黎果が。
 だがそれは端から見て、庇ってくれた先輩に対する健全な態度としか言えないだろうから、別段問題はなかった。それでも、心に負けた事実が消える訳ではないが。

「そうか? でも時間食っちゃったよな……。よし! 私も手伝うぞ!」
「え……っ!?」

 彪の言葉に、黎果の心臓は跳ね上がる。願ってもない、嬉しいことだ。
 だが真面目な黎果はここで、いいんですか有難うございますと答えるのもどうかと思ってしまった。それに“規則の鎖”という異名を持つ彼女には、それ以外にも断らなければいけない理由があった。

「そ、そんな……そんなの悪いですよ。それに……これは生徒会の仕事ですから。彪先輩は生徒会役員ではないので……そんなの……規則違反です」

 首を力なく横に振りながら視線を逸らし、俯き気味になる黎果。
 そんな彼女を見て、微笑を崩さない彪はしかし、その微笑みは寂しげなものになっていた。後輩のこういうところが、寂しいと同時に心配な彪。

「いいんじゃーん? 別にぃー」

 刹那、間延びした声がその意見を否定する。ここで何故か、針乘まで同意して来たのだ。

「……はい?」
「こういう時はさ、規則とか忘れてもいいんじゃないのんって! だーって社会に出たってさぁ、そこ担当とかじゃないけどたまたま手伝ってくれるっていうのを無下に断るのもどうかと思うのよねん僕は。まぁ資格がないと出来ないって仕事をだったりしたら駄目なのは分かるけどさー。高が生徒会の仕事でしょ? 誰がやっても変わんないじゃないのん?」

 口調はいつものように気持ち悪いが、何故か熱心に説得して来る針乘。その際、黎果を見ているが時たまちらりと、思わせ振りに彪の方を見遣る。

「で、でも……」
「僕もお手伝いしたいし、とゆうか最初に引き留めちゃったの僕だし。先生とかになんか言われたら、僕たちが無理矢理付いて来たって言うからさー。ね、先輩?」

 そう言って、いつものチェシャ猫のようなニタニタとした嫌らしい種類のものではなく、茶目っ気のある可愛らしい笑みを浮かべてウインクする針乘。

(あ、れ? なんか私……黒雫さんのこと誤解してた……?)

 黎果は、戸惑う。
 針乘は奇人変人と呼ばれる部類の、連なる一人だ。奇抜で珍奇で、誰が見ても普通とは言わないだろう。この子変わってるな、というのは誰もが共感出来るであろう人物だ。それは揺るがない事実であろう。
 だが、違った。飄々としてちゃらんぽらんと生きてこういったことに気を使うタイプではないと思っていたが、今の対応は明らかに黎果や彪に対し気を利かせていた。確かに奇人変人ではあれど、だからと言って常にちゃらんぽらんと生きている訳ではない。今までの認識は間違っていたのだ。

「そうか……そうだな! よし。そうと決まれば生徒会室、行こうぜ!」

 嬉しそうに同意し、先頭切って張り切って歩く彪。

「イェーイ、レッツゴー!」
「あの……」

 その後ろに、彪に同じく張り切って続こうとした針乘に、赤面したままの黎果は声を掛ける。

「なんだい、告白かなん? うふふふん、それは照れるなー。勿論、返事はオーケーだよ?」
「じょ、冗談じゃないっ!!」
「え、なんか論外みたいに叫ばれた。酷い振られ方した」

 思わず叫んでしまった黎果は、はっとして申し訳なさそうに視線を横に逸らし、

「……有難う……黒雫さん」

 そうポツリと呟いたのだった。
 漫画なら間違いなく美しいキラキラトーンが貼られた感動シーンになるであろうその場面で、針乘は真面目な顔をして言葉を紡ぐ。

「何それめっちゃ萌える興奮した。ツンデレ最高。今度ホテル行かない?」

 ……数秒の時が流れる。黎果の後ろに阿修羅が見えるような気がするが、気の所為であろう。

「……黒雫さんは明日、反省文を五十枚提出に加え、生徒会室への立ち入りは永遠に禁止です」
「嘘だぁああああああ!?」

 心からのお礼を口にした自分はバカだったと改めて針乘への認識を戻し、さっさと彪を追い掛ける黎果と、悲痛な絶叫を響かせる針乘。それは自然すぎるくらい自然な、いつもの光景であった。


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