黒の少女シリーズ | ナノ


『恋哀狂想』

オープニング




「へぇー、あの歌詞にはそういう意味があったのねん」

 殺風景な部屋があった。
 そこに人気はなく、いるのは床に寝転がって頬杖を突き、雑誌を広げてロックバンドのMCを一読する奇妙な子供だけである。子供と言ってもちょっとロリっぽく見えるだけで、十代の高校生であった。
 寒気が走るほど生活感のない、シンプルな部屋。
 生命というものは生き物だけでなく例外なく存在する。それが生活感だ。人が出入りしていれば、人が使用していれば、建物は、道は、道具は、生きていると言える。だが打ち捨てられたものは死んでいる。それが生き物以外に宿る“命”というものだ。
 だがその部屋には、その建物には、生命がなかった。廃墟のように荒れていたり劣化していたりする訳ではなく、綺麗であるにも関わらず、人が生活しているにも関わらず、ぞっとするほど生活感がなかった。
 それを異質とも思わず、何も気付かず気にせず、一見ショタ少年とも言えそうな少女はそこにいた。
 金に近い亜麻色のショートヘアは無駄にストレートで、砂のようにさらさらとした猫っ毛を持っている。ただ、一部ひらひらと海草が漂うように揺れていて妙に気になるアホ毛になっているのが残念なところではあったが、それのせいでバカっぽくバカキャラに見えるところではあったが、本人に言えば命はない、気にしてはいけないタブーだ。穿いた黒のショートパンツから伸びる脚線美は喉を鳴らすほどに艶やかで、体はまんま小柄なマスコット体型。にも関わらず顔立ちが妙に美人系なのが印象的であった。
 彼女は妙に似合っている袖に指穴の空いたストライプ柄の茶色のパーカーを纏い、幼子のようににこにことしている。正直、格好からしてファンタジーというかRPGに出て来る萌えキャラか何かにしか見えない。

「えいっ」

 読み終えたらしく、床に広げていた雑誌をぽいっと横に放り投げる。今度は自身の隣に置いてあった別の雑誌を引きずって前に置き、またパラパラと捲り始めた。時々斜め上に置いてあるスマホをタップしながら、時おり置いてある抹茶ミルクのパックジュースを啜りながら、そんな優雅な時間を過ごす。

「むぅ? 蠍座は十一位かー、ケツから二番目だよ。でもこの、“やり遂げようとしていることが独特の雰囲気を漂わせる人に邪魔をされそう”ってもしかしてあの人のことかなー? あの人かも知れないなー。やだなー厄介だなー。でも挫けずに頑張れば道は開けるって書いてあるし、いっかー」

 彼女が纏うパーカーはジッパーがかなり大きく作られているデザインなのだが、そのジッパーにレバーナスカンで金の懐中時計を繋げており、何もスマホで見ればいいものをそれで時間を確認している。

「おやぁ? 時間だ。さって行こうか。僕の針の示す、運命に」

 ロマンチックな言葉なのに全然ロマンチックに聞こえない調子で呟き、立ち上がった少女は、うーんと大きく伸びをしながらチェシャ猫のような笑顔を張り付け、シンプルすぎる部屋をあとにした。





 その少女は不適で邪悪な、誰もが不快感を抱くような妙に似合っている笑みを貼り付けてそこにいた。
 吹き抜ける風に艶やかな黒髪を靡かせ、身に付けているものがどれもこれも黒色のせいで異質にさえ見える。
 だが少女は、漆黒の少女は、闇に溶け込んでいた。夜の闇は暗いが、夜の闇は黒くない。だから黒い意匠は却ってシルエットとして輪郭がはっきりしてしまい、隠れるには不向きなのである。故に昔の忍なんかは、紺色の装束などを着ていたらしい。けれど少女だけは何故か、闇によく溶け込んでいたのだ。
 まるで闇から生まれた者とでもいうように。
 宛ら闇の方が少女に溶け込んでいるように。

「いや綺麗な月だね見事な満月だ。私には月光が似合うね“月女神アルテミス!”みたいな。まあアルテミスがどんなのか知らないが」

 少女の整った薄紅色の唇が、少し独特な調子の声を発する。
 貞潔の女神とはかけ離れた、だが確かに月が似合う少女はイメージで戯れ言を口にし、くふふと笑う。幻想的に純潔に月が似合うのではなく、幻想的に悪辣に月が似合う。栄華に埋もれて育ったお姫様が悪党の男に夢想な憧れを抱くように、妖しげな魅力を以て、少女には月が似合う。
 そこは何処かの屋上だった。辺りに人はなく、辺りにものはなく、少女だけがただ風に髪を揺らしていた。
 ガーターベルトのついたニーハイを穿いた脚は見惚れるような美脚で、悪質そうな顔付きは抜きにして顔立ちだけを見れば息を呑んで時間を忘れるほどに端整である。

「次の舞台は決まった。次の主人公は分かった。間もなく次の物語は始まるだろう。私の第六感がそう告げている……」

 異常すぎるほど異常に鋭い勘を以て、少女は紡ぎ出す。宝石箱を引っくり返したようにきらきらと星月煌めく、夜空に向かって。

「収集家の、私の出番だ」

 自信満々に狂喜的な凶器的な笑みを更に濃く、彼女が今まさに存在する闇のように濃く深く、言い放った。


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