『恋哀狂想』
プロローグ
――助けて。
声が聞こえる。突き刺さる、懇願の叫び。動かなきゃと思っていた。助けたいと思っていた。
幼い頭ではどうしたらいいか分からなかった。
幼い体では咄嗟になんて動けなかった。
幼い心では自分自身との闘いには勝てなかった。
近付いて来る、無機的な鉄の塊。金属の擦れる悲鳴と、大地を揺るがす振動。
幼い子供は、怖かった。動かなきゃと思っていても、助けたいと思っていても、怖かった。大人でさえ思っていても実行出来る人間は少なく、実行しようと思う人間すら少ない。幼い子供は出来なかった。何も。いや、正式には子供は行動していた。恐怖からの、真逆の行動。
掴んだ腕を、離した。
掴まれている手を、振り払った。
助けるためには咄嗟に動けず、
助かるためには咄嗟に動けた。
死への恐怖と生への執着。生き物の中に潜む、醜悪な生存本能。醜いと言える感情と行動で、最低だと言える行動で、けれどその子はまだ幼い子供だった。仕方ないこととも言えたが、実際そうなのだが、それは見捨てた側と第三者から見て言えることで。
――見捨てられた方からすれば――
あまりに絶望的で。あまりに酷いことで。その幼い瞳に映るのは、ただの裏切りだった。
恐怖、混乱、茫然、失望、絶望。様々な感情が入り交じる中、相手を罵倒することも敵わず、相手に悲しみを示すことも敵わず、そんなことを考える時間もなく、終わりを迎える。
幼い一つの生命は、
短い一つの人生は、
一瞬にして終わった――。
*前へ | 次へ#(287/410)
目次|栞を挟む|関連作品