『贋物朋友』
時計塔
その瞬間ゴォッという音がし、又もや一瞬にして場面が切り替わった。
摩天楼と云って良いほど高い、時計塔。周りは蒼味がかった鉛色で、風が吹き荒び、黒雲が流れている不穏な空間。
床や壁は石で出来、前面はがら空きで柵が無い。覗けば遠い下方は闇が支配し、下など見えぬほどの高さだ。奥行きがあり、その高い壁にはローマ数字の巨大な時計が設置されていた。時計の両脇には時刻を設定するレバーが設置され、一応レバーに合った高さの壁は在った。
勿論、時計はかなり巨大なので左右に在るレバーの位置は可成の距離がある。そのレバーを挟んで中央には鉄梯子。巨大な時計の中心から少し右にずれた所には扉があり、鉄梯子は扉のある金属製の床に繋がっていた。
あの扉の先には歯車が在る部屋が在るのだろうが、所詮、此処はただの異空間。きっと扉は開かないだろう。飽くまで獲物を狩るフィールドは、この狭い空間なのだ。
そして巨大な時計の針は時を刻む事無く、五時三十三分を示していた。
竹澤:
「…時刻が…」
竹澤が呟く。
時計の時刻が既に五時三十三分になっている以上、時刻設定で異空間から抜け出すという手段は最早、使えない。竹澤の体と同じくらいある大きなレバーも、ガッチリと固定されたように動か無かった。
しかも見たところ、竹澤と杏以外の人間の姿が無い。気絶した簓や友紀は校内に置き去りにされ、二人だけ飛ばされたようだ。
藤堂:
『ケラケラ、ケラケラ、ケラケラ』
怖い。高い所は、怖い。
恐怖に怯える杏を嘲笑っているかのように、声だけ聞こえる姿の見えない藤堂がカタカタと笑う。
杏:
「鏡っ…。鏡が…無いっ…!」
それもその筈。唯一の手段だった魔鏡は簓達と共に校内に転がっている。
そして丁度、竹澤が半パニック状態の杏を落ち着かせようと手を伸ばした時、吹き荒ぶ風が強大になった。
軽い二人は簡単に飛ばされ、深淵へと落下するべく柵の無い床まで到達する。
突起を掴み、すんでのところで踏み止まった竹澤。掴まる物が近くに無く、落下する杏。
竹澤:
「杏ちゃっ…」
杏の体が、竹澤の頭上を通り過ぎて行った。
深い淵が見える。こんな所から落ちたら、即死だ。その前に果てが見えない為、高層ビルどころでは無いのだ。風圧でどうにかなってしまうかも知れない。杏は、正真正銘の死を悟った。目の前が暗く、頭の中が真っ白になる。
空中ではどうしようも無かった。重力に逆らう事無く、彼女の躯が落下して行く。
ガクンッ!
杏:
「っ…?!」
塗り潰された視界が急に戻って来た。片腕から電流のように走った強い衝撃に、その痛みに顔を歪める。
堕ちて行くのだと、そう思っていた。何が何だか解らずにギリギリと痛む腕を見ると、上方から伸びる手が固く握り締めている。竹澤が──杏の腕を掴んでいた。
竹澤:
「くっ…」
しかしその体は半分ほど空中にあり、彼は両足のみを上手く床の障害物に引っ掛け、両手で杏の腕を掴んでいた。
この状態で引き上げる事は、幾ら筋力や体力のある竹澤でも無理であろう事は馬鹿でも解る。ロッククライミングに長けた者でも至難のわざだ。
藤堂はそんな二人を嘲笑うばかりで、吹き荒ぶ風を先程のように強くしたりはせず、無様にぶら下がる二人を弄んでいた。
風が容赦無く二人を嬲る。だが竹澤は飽くまで杏の手を離さない積もりだ。このままじゃ何れ落ちるのは判ってる。しかしたとえ落ちるとしても、最後まで絶対に杏を助ける為全力を尽くす事を──詰まり今出来る最低限の手を離さないという事を決めていた。
竹澤:
(くそっ……。杏ちゃんごめん…俺にもっと力が在ったら…。せめて俺は落ちても杏ちゃんだけ、助けられたらっ…!)
杏:
(本当に…? 本当に此処で、死ぬの…? 嘘だよ、これ夢でしょう? 嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない! 夢で無いなら早く助けに来てお姉ちゃんっ…!!)
二人が懇願を、哀願を、強く強く胸中に叫んだ。
ズルッ! その時、遂に竹澤の足が外れた。本当は僅か一瞬の筈の、スローモーに見える浮遊の時間。竹澤には、ふわりと受かんでいるように思えた。
竹澤は風圧に勝ち、助けられないならせめてと空中で杏を抱き締めると、彼が下敷きになる形で暗黒の深淵へと、墜ちて行った──。
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