『贋物朋友』
杏:
「っ……」
簓がもう一歩、詰め寄る。杏の顔が、恐怖に染まる。もう弁解は通じない。お得意の口(ウソ)は、生命の危機を感じるという状況に因ってその効力を失った。
ただ、普段から聡明だったが故に、杏は或る“最終手段”を備えていた。しかしそれも結局は口。彼女には抵抗する為の武器が無いのだから。それが通じるかは、彼女の手腕に依るのだ。彼女はさっきからドクドクと煩い胸元をギュッと握り、慎重に、言葉を紡ぎ出す。
杏:
「ゆ、友紀ちゃんにはっ…好きな人が居るっ…!」
杏は、死に直面した恐怖で困惑する頭を無理矢理落ち着かせ、考えた。働き掛ける対象を、簓から友紀に変えたのだ。簓にはもう何を言動したところで無駄だと見切りを付けた。
友紀:
「…えっ」
簓:
「…は?」
意表をつかれた友紀は、その鋭い目付きを真ん丸に変えた。
一方訳が解らない簓は、怪訝に顔を歪め、何を言っているんだと冷たい一言を発する。
杏:
「私は知ってる…! 友紀ちゃんはさっきのオマジナイで恋愛成就を願った! 偏見を受ける恋の理解者を求めて! …そうでしょう?!」
友紀:
「っ…?!」
杏の言葉に、友紀は驚愕する。誰も気付いていないと思っていたから。もう中学の時のような、あんな思いをしたくは無いと、絶対にばれないようにずっと隠忍していたから。
そして聡明な杏はそれを見抜いていたのだ。三人の境遇は三人が三人とも知らないし気付けないでいたのでは無かった。ただ一人、杏だけは、気付き、知っていた。気付き知っていて、自分の殻に籠もり歩み寄ら無かった。
オマジナイの時も、ヘラヘラと道化を演じながらも友紀や簓の出した『願い事に関係するもの』をちゃんと見ていた。自分の察知が当たっているか、確認していた。矢張り友紀は好きな同性から貰ったストラップ、簓は心神安泰の御守り──即ち精神疾患の完治、精神の安定だと。
丸腰の杏の事など全く警戒していない簓は、カッター片手に友紀の方を振り向く。杏を見詰めて目を剥いて固まるその反応を見て、簓もまた訝りながら硬直してしまう。
杏:
「オマジナイの時に出した熊のストラップも…! あれ友達に貰った物だって言ってたよね? その友達って…好きな人でしょう? 想いを隠して友達として付き合ってる、好きな人でしょう?! 私は知ってる! 解ってる! 見てたから! 友紀ちゃんの事、見てたから! 言い出せなかったけど…ちゃんと見てたんだ! だって──『友達』だから!」
これが──杏の切り札。
追い詰められた杏は、手段を選ばなかった。嘘の上手さ。質の悪さ。虚言遣いは姉から、悪辣さはそのまた姉からよく習っている。
杏:
「私は本当の友達だ! だって…だって私…友紀ちゃんも簓ちゃんも殺そうとしてないっ! 簓ちゃんは友紀ちゃんに殺意を向けた! 金鎚仕込んでたって事は、友紀ちゃんがカッターで切り掛かる前から友紀ちゃんを殺す積もりだったって事だよ! わ、私は怖くて隠れてそれを見てたけど…それは謝るから! 助けなかった事は謝るから! ねえ友紀ちゃん、倒すべきなのは私じゃないよっ!!」
最早いつもの甘ったるい喋り方が完全に消えているが、杏は必死だったし、友紀もこの状況にそれをおかしいとは思えない。
簓:
「…っの!」
倒すべきなのは私じゃない。その明らかに簓討伐を狙ったであろう台詞にブチッと来た簓は、杏の方に向き直り歯軋りしたが、後ろの友紀は簓に金鎚を構えている状態で、最早どんな行動に出るか解らない。取り敢えずは丸腰の杏より武器を持つ友紀の方を警戒する。
一方で友紀は困惑してしまう。簓と違って、杏はちゃんと見てくれていた。見抜いて友達で居てくれたし、それを人に言い触らす事もしなかった。そんな友達を、此処で失って良いのか。誰だって死にたくないのは当たり前なのだ。先程の発言は、簓に追い詰められてパニクってしまった発言。誰しも死を目の当たりにしたら混乱する筈。本当は、凄く良い子なのかも知れない。友紀は、そう思ってしまう。
友紀:
「わ、私はっ……」
簓:
「チッ…!」
友紀がどうすべきか指針に迷っている内に、簓は舌打ちし、即刻杏を伐採しようとする。
杏:
「っ…! た、助けて! 助けて友紀ちゃん! 私は友達だよ! 本当の友達だ!」
簓:
「煩い黙れ! どうせそれも助かりたいが為の虚偽(うそ)だろ?!」
杏が何とか友紀を味方につけようと叫びながら逃げ回り、簓もまた叫びながらカッターを目茶苦茶に振り回し、手が付けられない。
狭い時計盤の上で走り回る二人を見る事無く、俯いて歯軋りする友紀。
丸で無差別殺戮犯のように刃物を振り回す脅威を前にして、遂に杏が浮かぶ時計盤から階段に飛び移った。
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