『魔夜』
第一章 悪夢の幕開け
──五月中旬。季節は一応まだ春だが、六月にもなっていないというのに、初夏のような暑い日が続いていた。
小夜子を救うと自信満々に言い放った少女は、あの日以来、全く姿を現していない。
若しかしたら、他に優先すべき事などがあって、忙しいのかも知れない。
そういえば、以前、自分は君達学生のように暇じゃないとか言っていた事があった。
何でも、学校に通いながらやらなければいけない鍛練や、物語の収集が山積みで忙しいのだとか。そんなの知った事か、と小夜子は思っていたが。
猪原十花:
「──って思うんだけど、小夜子はどう思う?!」
頬杖をつき、思考の海に沈んでいた小夜子は、判り易く聞き取り易い声ではっとする。
視界に入ったのは、小夜子の数少ない友人の猪原十花(いのはら とおか)が顔を覗き込んでいるところで、先の台詞から考えても、どうやら小夜子に何か言っていたらしい。
久遠小夜子:
「えっと……ごめん。なんて言ってたの……?」
彼女はちょっと色々と厄介な人物だったので面倒になりそうだが、聞いていた振りをして襤褸(ぼろ)が出たらそちらの方がもっと面倒になりそうだと思ったので、小夜子は素直に聞き返した。
猪原十花:
「うがあ!! 何で聞いてないんだよ! そういうの“キカズボー”って言うんだよ! 人の話を聞かない人!」
駿河柚胡:
「……違うと思う」
案の定、十花が大きな声で非難する。
そしてそれに冷静な──と言うか、どうでもよさげに淡泊な突っ込みを入れたのが、駿河柚胡(するが ゆう)。
常に眠そうな彼女は、今日も矢張り眠そうで、欠伸を一つ漏らしながら、
駿河柚胡:
「眠い……」
といつものように口癖を呟く。
下がった瞼と眠そうな眼差しが特徴で、基本的に何事をもどうでもよさげだ。
これでも医者の娘で、テストの時に直ぐに寝てしまう悪癖さえ無ければ、六大学のどれかに入学する事だって十分に出来そうなのに、親も残念無念である。
だが、お人形のように整った顔に、長めの黒髪がとても映えて似合っていた。
久遠小夜子:
「ごめんね。ぼーっとしちゃって」
猪原十花:
「小夜子は“ぼー”が多過ぎるんだよ! 折角、ラーメンのレンゲはプラスチック製かガラスっぽいやつ製かっていう超重要な質問してたのに!!」
柚胡の突っ込みを完全無視して、叫ぶように無駄に元気な声を出す十花。……その質問の何が重要なのかという事は、最早言うまい。
柏田真弓:
「まあまあ、十花ちゃん。小夜子はそういう子だから、ね?」
ここで、お淑やかな感じがする女の子、柏田真弓(かしわだ まゆみ)が穏やかに十花を宥める。
平凡であまり目立たない感じの子で、勿論見た目や雰囲気通り優しい子で、小夜子としては比較的付き合い易い相手であった。
猪原十花:
「うわ!!」
しかし、真弓の宥めに十花は急に大声を出し、酷く驚いた様子を見せる。
久遠小夜子:
「……どうしたの?」
恐らくまた素っ頓狂な返事が来るだろうと覚悟をしながら小夜子が問うと、
猪原十花:
「真弓、居たの?!! 気付かなかったよ!!」
案の定、十花はかなり悪気無く、しかも本人は自覚が無いが結構な大声で、有り得ないくらい失礼な発言をする。
柏田真弓:
「さ、流石に酷すぎるよ十花ちゃん!!」
猪原十花:
「だって真弓って特徴無くない? 存在感薄いっていうか、影薄いっていうかさ。何かこれと言って書き記す事、無いじゃん! ゲームにある登場人物紹介とかで、平凡過ぎて特徴無くて何書こうか悩むタイプの類だよね」
十花はこのように、何かとゲームや小説、アニメなど、創作物というか、フィクションというか、そういうのを例にあげる時が多い。
勿論、本人はゲームや漫画やアニメなどが大好きである。
柏田真弓:
「う……うぅ……」
いつも言われている事だが矢張り落ち込むのか、何も反論出来ずにガックリと肩を落とす真弓。
小夜子はやれやれと思いつつ、真弓を慰めに入る。
*前へ | 次へ#(136/410)
目次|栞を挟む|関連作品