『生存説』
独自観念語り
四報誇大(しほう こもと)。難読の名を持つそいつは誰がどう見ても頷ける、根っからの“変人”だった。
独特の観念を持ち、それに見合った雰囲気と、語り口。尊大で、名前の通り誇大妄想と自己陶酔の極みであり、妙な滑稽さを持ち、なのに憎しみを抱かせ無い何処か言うに言われぬ魅力がある女だった。
四報誇大:
「イジメで一番タチが悪いのは、“傍観者”であるとは思わないかい? 彼等は害を受ける被害者にも、咎められる加害者にも成らず、『助けたいけど怖くて助けられなかった』の一言で、被害者に比べ大した害も受けてないのに忽ち被害者に成る事が出来るのだよ。助ける事が出来るのに、自分が害を受けるのが怖くて助けなかった人間が、『怖くて助けられなかった』と。自分が害を受けるのを恐れて助けたいとさえ思わなかった人間が、『助けたいけど助けられなかった』と。そう、譬え正真正銘の被害者に何かしたとしても、彼等は『怖くて逆らえなかった』のたった一言で逃れられるのだ。確かに恐怖は共通だろうが、逆らえるのに怖くて“逆らわなかった”人間が、怖くて“逆らえなかった”で忽ち被害者扱いだ。
害を被るのは本物の被害者。
罪を背負うのは全て加害者。……君は世間では当たり前に受け入れられているこの法則、穢いとは思わないかい?」
誇大は、普通なら誰だって少しは気にする“周りの目”などは全く意に介さない脅威的なまでに致命的な第六感を持つ奴で、その日、町中で抹茶ミルクなんかを啜りながら唐突にこんな与太を飛ばし出した。
これだけ聞くと、現代の少しズレた少年少女達に有り勝ちな屁理屈と自己陶酔の可哀想な奴だと思うが、その通りだ。こいつは頭の螺が何本か外れた、“可哀想な奴”だった。道行く人が気の毒そうな視線を注いでくれている事に気付くべきである。
俺は無視しているが、単純な理由、勝手について来るのだ。勝手に付き纏ってベラベラと舌を回すのは、こいつの一番厄介なところである。
四報誇大:
「未来や過去だなんてよく言うが、そんなものを語るのは屋上屋を架すような事だと思わないかい? 後々の事を考えた、人生の設計や将来についてなどを未来と言うのならそれは無意義とは言わないが、時間は今現在も刻一刻と時を刻んでいる。私がこうして語っている“今”でさえ、既に“過去”と成っているのだよ。そして刻々と過ぎる“今”が“未来”でも在るのだ。未来は死なない限り存在するものだし、過去は譬え死んでも存在していたものだが、今と同時に存在する事は不可能な、不明瞭なものである。何時(いつ)だって存在しているのは、今流れている時間。それ以外には有り得ない。『あの時こうしていたら』などは無意味だし、『これからこう成っていたら』なども無意味なのだ。時が存在する限り、生き物には常に“今”しかないのだから。そんなものは“考えるだけ無駄な事”と“その時に成れば解るもの”なのだよ」
或る日の放課後、誇大は教室の机に腰を下ろして脚を組み、丸で世界を制したかのようにそう語ってみせた。
木元一哉:
「お前の言う事は何時もただの屁理屈だろ」
俺がそう言うと、誇大は何か上手い事言ったかのように偏屈な事を言い出す。
四報誇大:
「そう思うかい? 何、私が“解る者”で、君が“解らない者”というだけさ。まあ、これも個々の解釈に依るのだから、私がそう思っているだけの事である。君は屁理屈、私は理解する者との解釈でどうかい? 私は私の考えに間違いなど無いと確信している。抑、“間違い”も“正しい”も本人次第なのだ」
頭脳明晰、スポーツ万能で、殆どの事は何でも出来たし、容姿も普通では見られないくらい可愛く、本当に黙ってさえ居てくれれば完璧な女だった。
尊大で滑稽で偏屈で屁理屈屋で、それを誇る珍妙な奴。何時も独自観念語りをしては、世界を嗤って、斜めに構えてた。
四報誇大:
「安寧など、崩れるのは容易い。今平穏無事な人間は、それを奇跡と取るべきだ。私も、そして君も、何時死ぬかなんて解らない。誰もが自分だけは大丈夫と根拠の無い確信を持ち、又はそんな事考えもせずに過ごしている。寧ろ考える方が考え過ぎと言われるかも知れないね。例えば仕事や学校、車、自転車、徒歩など、いつ事故に遭っても当然ながらおかしい事では無く、その予期せぬ事態が齎すのは、最悪“死”だ。これが自殺などであった場合も、誰がいつ自ら命を断つかなど解らない。──若し、私が死んだら──君はどうする? 木元くん」
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