SHiONシリーズ | ナノ



聖なる人


「全能の神が私たちを憐れみ、罪を赦し、永遠の命に導いて下さいますように」
「アーメン……」

 教会の聖堂では司祭が文句を唱え、会衆が続けてアーメンを紡ぐお決まりの礼拝が行われている。アゼルは如何にも眠いのを必死で堪えている様子であり、対照的にイルマは真剣に祈りを捧げていた。
 人々にはパンと葡萄酒が配られ、これによって信徒たちとキリストは結ばれる。
 と言っても教会には神を崇拝する者ばかりではない。アゼルが一番一般的な例だが、パンと葡萄酒が無料で貰えることで先ず貧民たちが集り、卑しい貴族連中も形式だけで来ていたりなど様々だ。
 更に教会は礼拝の時に配るパンと葡萄酒とは別に、毎日スープやお菓子を無償支給していた。一重に、豊かなゴールデンソウル帝国の資産によるものである。大きな国は寄付も多いのだ。

「よく寝ずに頑張っていたね」

 礼拝が終わり、忙しなく信徒たちの相手をしていた司祭は、その中に紛れているアゼルを見付けると開口一番にそう言った。
 居心地が悪そうに頭を掻いて目を逸らすアゼルに対し、イルマは好感のある目を向ける。

「お早うございます、エリー神父!」

 司祭の名はElias Urquhart(エリアス・アークハート)。エリー神父の愛称で親しまれるこの司祭は、立場の弱い庶民・貧民・奴隷身分・下級貴族の強い味方だ。
 各国の教会は皇帝や王の決定さえも覆すことのできる公権力を誇る。それを理不尽に虐げられる者たちのために駆使するのが、エリー神父であった。

「お早う、イルマさん。最近はどうかな? 体は大丈夫?」
「大丈夫です。いつも、本当に有難うございます。こうして教会で神父様と共に祈りを捧げているお陰でしょうか」
「そうだね。偉大なる私たちの父はちゃんと見て下さっている。どんなに辛い時も主イエスの慈悲と赦しを待ち、心を強く持ちなさい」
「はい……」

 恭しく少し嬉しそうにエリー神父と話すイルマの姿を横目に、アゼルはわざとらしく「けっ!」と音を鳴らした。

「人は死んだら終わり。ただ腐るだけの肉の塊。魂が体から抜けてキリストが裁いて天国とか地獄とか煉獄とかある訳ねえじゃん」

 アゼルは神を信じていない。神にすがって助かるのなら、そんな都合のいいことはないだろうと思っていた。
 現実は、もっと残酷なのだと。
 残酷だからこそ、貴重なのだと。

「神父様は神様が本当に存在すると思ってんの?」

 イルマが相変わらずのアゼルの調子に呆れつつ見守る中、エリー神父は顔色一つ変えずに微笑んだままだった。

「その質問に答えるなら、神は存在するが実在はしない、だよ」

 司祭という立場上、否定はしない。だが肯定もしなかった。つまり神様は存在するがこの世にはいない、と司祭は言ったのだ。

「……?」

 とても難しく、とても簡単な答えにアゼルは最初首を傾げたが、直ぐに理解した。

「へぇ……上手く答えるじゃん。いると断言すれば現実的でないけど、いないと言えばそれは司祭の台詞ではない。まぁ、大々的に言ったら問題発言だろうけど」

 わざと尊大な態度でぶつかる彼に対しても、司祭は決して声を荒げたりするようなことはしない。司祭としては若い方であるにも関わらず、落ち着いていた。それがアゼルには更に気に食わなかったのだが。

「君は悩みがあるようだね。心に元気がないのはよくない。神を信じなさい。そして、素直になること。そうすれば、きっと光が見えて来るはずだ」

 エリー神父はアゼルの心を見抜いていた。彼が、金も地位も何もなく、そんな自分のことが嫌いなこと。変わりたいけど世の中が厳しく、厭世し、しかし何もかもを諦め切れずに葛藤していること。好きな女に憧れと劣等感を、司祭には嫉心を、イルマには安心を感じていることを……。

「う、うるせえな……分かった風に言いやがって。神がなんだってんだ、世の中金がなきゃ結局何もならねえ。神に祈って願っても貧民や奴隷は救われねえ。神父様は……自分に余裕があるから言えるんだ……。聖職者(ぼうず)は税金も免除されるしな?」
「アゼル!」

 思わずカッとなってしまったアゼルを、イルマが止めた。短気な彼の制御役。
 だが司祭はその言葉が不本意なこともよく分かっていた。

「そうだね。貧しいと、心まで貧しくなってしまう。悲しいことだ。だから私はお金のある人々からの寄付を、君たちのような方々を救うために利用している。これは決して優越感ではないよ。貴族たちの中にはお金のない方々を蔑む者もいるようだけど、みな同じ人間だ。人は平等、貧しいというだけで排斥される謂れはない。だから、君ももっと胸を張っていいんだよ。ね、アゼルくん」

 司祭はそう言って、アゼルの小さい頭を撫でた。多くを救う、現実的で厳しくも優しい、その手で。

「さ、触んな!」

 その手を軽く振り払うアゼルは、頬を少し紅潮させていた。彼が強がっているのは一目瞭然で、イルマは思わずくすりとしてしまう。

「そんな汚いものみたいにされたら傷付くな。もっと喜んで撫でられてくれてもいいのだけど?」
「誰が神父様なんかに撫でられて喜ぶんだよ! 変態か!?」
「酷いなぁ」

 へらっと笑った司祭には少しも傷付いた様子はない。神秘的で、優しい笑顔の裏に何かあるような気がして、底のみえない人物だった。
 だからこそアゼルはこの司祭が苦手だ。未知のものを前にした感覚。同時に男であるはずが母親のような感覚もするのが、彼を更に困惑させた。

「アゼル、照れてる?」

 イルマはそんなアゼルが可愛くて、ついからかいの言葉を掛けてしまう。

「はぁ!? 何をっ……ああ、もういい! 帰るぞイルマ!」
「そんな照れなくても」

 イルマの言い掛けの言葉を遮って、アゼルは手を引いて歩き出す。その背中に、司祭は声を掛ける。

「アゼルくん。何かあったら、いつでも逢いに来ていいよ。私はみなを平等に救いたい。君の悩みが解消されるように祈ろう」

 アゼルは返事をしなかった。振り向きもせずに、ずんずん進む。意地でも見ないとでも言うように。

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