SHiONシリーズ | ナノ






「……私なんかじゃ……無理だよね」

 思わず弱気な台詞が漏れていた。
 イルマにとってシオンという女は憎むべき敵であった。だが同時に、敬うべき命の恩人でもある。


 国を逃れ、ゴールデンソウル帝国の背後に聳える広大な山の中をさ迷っていた時。山賊に見付かった彼女は成す術がなかった。
 武器も、それを振るえる腕もない人間が賊になど遭遇したら、男なら即座に叩っ斬られて終わりだろう。女であるならば辿る結末は同じでも、殺す前に“使い道”がある。
 だから成す術のないイルマは、汗臭い山賊たちに組み敷かれて、その下品な嘲笑を聞いていた。ただただ、血が出るほど唇を噛み締め、拳を握り締めていた。
 ……悔しかった。無力な自分が。
 敵兵が国を壊して行く時も、逃げることしかできなかった自分。家族を奪われ、故郷を奪われ、たった一矢報いることすら敵わなかった非力な自分。そして今、山の中で穢れた山賊たちに犯されて殺される結末を迎えるしかない自分。
 生まれ変わったら、誰にも負けないくらい強い人物に生まれて、こんな奴らを薙ぎ倒してやりたかった。
 涙でぼやける視界の中、嘲笑っていた男たちは唐突に色を失う。
 何が起きたか分からなかった。
 山賊たちはイルマを離し、武骨な得物を手に暴れ始める。忽ち怒号と悲鳴が山中を覆い尽くした。
 何ごとかと起き上がったイルマの目に映ったのは、信じられない光景だった。
 山賊たちはざっと見ても四十人余りの大規模な集団であったが、その汚れた武骨な男たちの中に、小綺麗な格好の若者が一人。男たちの四方八方からの攻撃を疾風(かぜ)のようにかわしながら、手にした片手剣を速さを活かすように振っていた。まるで、華麗な舞いのようだった。
 イルマはただ茫然と、目の前の乱闘と言うにも烏滸がましいレベルの対決を見詰めていた。
 これだけの集団にも関わらず、誰の武器も掠らせもしない。逆に若者の剣は上から下に右から左にと自在に男たちを捉え、鮮血と悲鳴だけを残す。
 斬ることに特化した湾曲した剣はしかし、人の血と脂で斬れなくなったが、西洋剣は元より鈍(なまくら)が多い。若者は戦法を速さを活かすものから力を活かす戦法に切り替え、戦いは続いた。
 喚声に包まれる山中だが、山賊が一人また一人と減るにつれ静けさが支配し始める。
 最後に一人、残された山賊の頭領は予想外の展開にすっかり度肝を抜かれていた。
 山賊たちを全て斬り捨てた若者は容赦なくその大柄な頭領にも走り寄り、気合一閃、その脳天に剣を叩き込んだ。
 短い絶叫の後、頭領は地に没した。脳天には、斬れなくなった剣が力任せにめり込んでいた。……俄には信じ難い筋力だった。
 斯くして地にはもの言わぬ白目を剥いた骸が、累々と横たわっている。跳ね上げられた土によって更に汚された骸は一層穢れたものに演出され、多量の血と泥に塗れた様は凄惨の極みであった。
 返り血を拭った若者は、呆けたように見詰めたまま動けずにいるイルマに手を差し伸べる。
 彫刻のような美しい顔。整った唇から発せられる声は、泣きたくなるほど優しかった。見詰める琥珀色(アンバー)の瞳も、戦っている時は猛獣のように鋭かったのに、今はとても優しさに満ちていた。
 宛ら英雄か、勇者のような人。
 イルマは無意識に聞いていた。その強く、だがまだあどけなさの残る、美しい若者の名を。
 若者は、名乗った。

『私は、シオン・プレストン』

 と――。


 あとでこの若者が女性だと知って驚愕することになる。
 しかしもっと驚愕なのが、あの時シオンは騎士見習いとして訓練段階の身分だったことだ。シオンはその後、トントン拍子に出世して行くことになる。
 イルマを助けてくれた、命の恩人。そして実は、イルマが今の想い人と出逢う切っ掛けとなったキューピッドでもある。
 けれど、その強く優しいシオンが今イルマの前に壁になって立ち塞がっていた。
 本人にその気はなくとも、残酷だった。
 あんなに綺麗な顔をして、あんなに格好よくて、今では誉れ高い帝国騎士団の次期団長として活躍する皇帝陛下お気に入りの一級騎士……。
 貧しい娼婦のイルマがどう足掻いたら届くのだろう。
 イルマがシオンに助けられた後、或る人物に出逢わなければ、こんなに沈むこともなかったかも知れない。
 あの日、街中で出逢ったその人物は――。

「…………」

 思考の海に沈むイルマの傍に、人影が陰ろう。
 だが複雑な感情に自分の世界に入っていた所為か、視線も下に、重い空気を放っており、認識が遅れた。

「何が無理なの?」

 びくりと肩が数センチ上がる。声に吊られ顔を上げると、そこにはツンツンのツーブロックの頭をした男が笑顔を向けていた。

「アゼル!?」

 少年のようなその男は、相変わらず薄汚い格好をしたアゼルだった。
 最初はびっくりしたイルマだが、彼を前にして心なしか表情が色付いたようだった。

「なんでこんな時間にこんなとこにいるの? ……遊んでたの?」

 時刻は深夜。イルマの言う遊びとは無論、夜の娯楽のことである。

「いや……」

 アゼルは苦笑し、ばつが悪そうに後頭部をさすった。

「早く寝過ぎたみたいで……起きちゃったから、さ」
「それで眠れなくて出て来たって訳ね。でも、早く帰らないと駄目よ? アゼルは変なことに巻き込まれ易いんだから」

 イルマの言った変なこととは、様々な危険を指す。
 アゼルは非力だ。小柄で非力な女性のイルマと喧嘩すれば無論アゼルの圧勝になるが、男の中に入ればアゼルの非力は一目瞭然だった。そのくせ、短気で単細胞である。
 そんな彼が絡まれれば大人しくできるはずもなく、喧嘩に発展し、相手にボコボコにされることは目に見えている。
 幾ら天下のゴールデンソウルと言えど、夜の街は酔っ払いやアウトローなど危険な連中が闊歩しているのだから。
 更に男だけでなく、イルマのような娼婦たちも客引きで彷徨いている。
 アゼルなど簡単に女に騙されてしまう。誘惑する女の裏にアウトローな男たちがいたら、それこそズタズタにされてしまうだろう。
 様々な危険が蔓延る世の中で、不器用なアゼルは今までにも幾度となくトラブルを起こしていた。
 だから、イルマはアゼルが心配だった。彼こそ、今のイルマの全てなのだから。


「俺はお前より年上だっての!」

 そう言ってわざとらしく不貞腐れて見せるアゼルが、とても可愛らしい。年上の男を可愛いとは失礼かも知れないが、イルマの思う可愛いとは言い換えれば愛おしい想いだった。

「けど私みたいに上手くできないでしょ? アゼルってば行き当たりばったりなんだもん」
「あー……」

 頭を掻いて視線は宙を漂わせる彼に、イルマは微笑んだ。

「ふふ、大丈夫。私はアゼルのそういうとこ、嫌いじゃないよ。短気で単細胞なとこは、いけないけどね?」
「……うるせっ」

 短く返したアゼルは、言葉は乱暴ながら笑みを浮かべていて、その顔は少し赤みが差している。照れたその笑顔は、イルマには無垢な少年のように綺麗に思えた。

「……明日さ、教会に行かない? ミサのあとに支給もあるし、神父さんもたまにアゼルくんは元気かって聞いて来るよ」

 自分がアゼルに逢いたいがための誘いだが、アゼルがボコされりされる度に親身になってくれる司祭が待っているのは本当だ。たまには挨拶の一つくらいしに行ってもいいものを、神にすがるとか堅苦しい教会とかそういったものを嫌うアゼルは中々足を運ぼうとしないのだ。

「あの若々しいオッサン苦手なんだよ」

 思わず笑ってしまった。教会にいる司祭は優しいのだが、聖職者であるにも関わらず社交的な人物である。アゼルはこのフレンドリーな神父を苦手にしていた。無論、堅苦しい神父とも絶対に合わないが。

「いい人じゃない。アゼルは痛いとこばっかり突かれちゃってるから苦手なんだろうけど、親身になってくれてるってことよ」
「はぁ……」

 彼の鼻を軽くつつき悪戯っぽく笑うイルマを前に、アゼルはわざとらしく嫌そうな顔をしつつ否定はしなかった。

「じゃ、私行くね。お休み、アゼル」
「おう、お休み」

 話している内に教会が提供している宿屋に着いたため、イルマはアゼルと別れて入口へ向かう。

「……あのさ」

 去り際に、アゼルは深夜の静けさでなければ聞き取れなかったかも知れないくらいの声量で、声を掛ける。
 振り向いたイルマが見たのは、アゼルの背中。

「明日、迎えに行くわ」

 彼は背を向けたまま相変わらず小さな声でそう告げた。
 イルマのお誘いへの、承諾。

「うん、有難! でも、朝寝坊しないようにね」

 イルマは今日一番の笑顔になり、足早に去り行くその愛しい背中にそんな言葉を掛けたのだった。

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